東スポnote

東京スポーツ新聞社の紙面で過去に掲載された連載がまとめて読めたり、ココだけしか読めないコンテンツがあったりします。できる範囲で頑張ります。

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    羽生結弦 新聞セットC

    皆様の熱いご要望にお応えし「プロスケーター・羽生結弦スペシャルセット」をご用意いたしました。カラーで、中面で、本紙が大きく取り扱った新聞のみを集めたお得なセットです。 大好評いただいておりました、羽生結弦 新聞セットB(4部セット)の5月28日付の新聞が完売してしまいました為、そちらを除いた3部をセットにした商品を改めて販売させていただきます。 紙面発行日 9月13日付(12日発行) 9月18日付(17日発行) 12月10日付(9日発行) ◆送料 無料。送料込みの価格となっております。 ◆配送について クロネコヤマトのネコポスにてポスト投函いたします。 ◆返品について 新聞ですので多少の折れなどがございます。予めご了承ください。 お客様都合による返品はお受け致しかねます。 購入前に商品詳細をよくご確認の上、ご購入くださいますようお願い申し上げます。
    1,000円
    トウキョウスポーツONLINE SHOP
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    羽生結弦 新聞セットB

    皆様の熱いご要望にお応えし「プロスケーター・羽生結弦スペシャルセット」をご用意いたしました。カラーで、中面で、本紙が大きく取り扱った新聞のみを集めたお得なセットです。 紙面発行日 5月28日付(27日発行) 9月13日付(12日発行) 9月18日付(17日発行) 12月10日付(9日発行) ◆送料 無料。送料込みの価格となっております。 ◆配送について クロネコヤマトのネコポスにてポスト投函いたします。 ◆返品について 新聞ですので多少の折れなどがございます。予めご了承ください。 お客様都合による返品はお受け致しかねます。 購入前に商品詳細をよくご確認の上、ご購入くださいますようお願い申し上げます。
    1,200円
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  • 競馬

    競馬ファンはもちろん、ウマ娘に夢中な人も楽しめる記事をまとめました!

  • 【プロレス】豪傑列伝

    プロレスと格闘技界の豪傑のエピソードをまとめました。

  • 【プロ野球】シモノハナシ

    下柳剛氏の連載をまとめました

競馬

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  • 100本

ミスターシービーの主戦・吉永正人は〝寡黙な男〟だった

 10月28日、快晴に恵まれた東京競馬場は10万人を超える人々の人いきれでムンムンとしていた。一時代を築いた、あのハイセイコー以来の活気がよみがえったようだった。大正12年に『帝室御賞典競走』の名称でスタート。昭和22年から『天皇賞競走』と改められた歴史と伝統を誇るビッグレースの90回目を見に、大勢のファンが繰り出してきたのだ。人々のお目当ては一頭のサラブレッド。その馬は昨年、シンザン以来、実に19年ぶりに四歳クラシックを全制覇(さつき賞、ダービー、菊花賞)し、〝三冠馬〟とな

ついに実装!「ウマ娘」のメガネ美人!イクノディクタスを「東スポ」で振り返る

「ウマ娘 プリティーダービー」がめでたく3周年。22日の記念ライブ配信で発表された新実装ウマ娘2頭のうち1頭は、ゲーム公開当初からいたのにまだ実装されていなかったイクノディクタスでした。「ついにきた!」なのですが、「まあ、ドゥラメンテ(もう1頭の新実装ウマ娘でした)はくるでしょ」ぐらいに構えていた私にとっては「しまった!」でもあります。急いで原稿を書くにしても、集めなきゃいけない資料が多すぎる…。なぜなら、走ったレースの数は驚異の51戦、「ウマ娘」登場キャラの中でハルウララに

GⅠがない日はウマを読もう【オススメ競馬ミステリー小説】

「先輩、これって読みました?」――競馬が好きすぎるのに競馬の現場記者ではない愛すべき後輩が,、競馬が好きすぎるのに競馬記者ではない私に年始に教えてくれた本が一気読みするぐらい面白かったのでペンを執りました。昨夏に当noteで3本ほど書いた「GⅠがない時期に〝競馬本〟なんかいかが?」に対して「勧められたから読んでみたけど良かったよ」「競馬の本もいいね」という声をいただいてすごく嬉しかったので、調子にのって続けてみます。だって、競馬は読んでも面白いんですもん。(文化部資料室・山崎

その後のサトノダイヤモンド!アニメ「ウマ娘」を「東スポ」的に補完してみた

 アニメ「ウマ娘 プリティーダービー Season3」は、キタちゃんことキタサンブラックが引退してフィナーレ。一方で、秋の凱旋門賞の後、有馬記念に出走することなく、自分を見つめ直していたダイヤちゃんことサトノダイヤモンドは、もう一度世界を目指し、走り出すことを決めました。もちろん史実でも同様で、翌年、ダイヤモンドはターフに帰ってきます。いったい、どんな2018年だったっけ…今回のアニメで世間をザワつかせた「ピークアウト」という言葉を胸に翌年のサトノダイヤモンドのレースをおさら

【プロレス】豪傑列伝

プロレスと格闘技界の豪傑のエピソードをまとめました。

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  • 33本

鈴木みのると泥酔暴行騒動…船木誠勝「今なら当然、クビですよね」【豪傑列伝#33/最終回】

プロレスラー・船木誠勝は隠れた酒豪伝説の持ち主だ。新日本プロレスに所属していた1985年、15歳11か月で当時の史上最年少デビュー記録を打ち立てた船木は、すでに苦手だったアルコールを克服。早熟過ぎた船木を更生させたのは、3・21両国の金網マッチで激突する宿敵・鈴木みのるとの泥酔暴行騒動だった。  言うまでもないが、アルコールは20歳になってからだ。しかし、先輩の命令には絶対服従の体育会系に育った船木が、未成年であっても酒を口にするのは時間の問題だった。もう時効だろう。  

4トントラックにひかれた本間朋晃「なぜムタは逮捕されないんだ?」【豪傑列伝#32】

 1997年に大日本プロレスでデビューを果たした本間朋晃は、数々の過激デスマッチをくぐり抜けてきた。  その後、2004年に全日プロに入団。「王道」に足を踏み入れたかと思いきや、まさかここでデスマッチ団体での経験が生きるとは…。  同年6月9日の石川・金沢大会で小島聡とタッグを組んだ本間は、何とムタに自動車でひかれる惨事に遭った。もともとは小島がムタ戦を熱望したことから組まれた一戦で、本間は単なる「とばっちり」を受けただけだった。  めげない本間は翌10日の長野大会に元

沼澤邪鬼が語る初めての蛍光灯デスマッチ「いきなり死にそうになりました」【豪傑列伝#31】

 デスマッチの雄・大日本プロレスでも、一部から熱狂的な支持を集めているのが“黒天使”沼澤邪鬼だ。ケガを恐れず、理不尽な言動も数知れない。その生きざまは「神様」の異名通りだ。  幼いころからケガと隣り合わせだった。3歳の時に不注意から左手を骨折し、中学時代には柔道部の練習で受け身に失敗して右ひじを骨折。生まれて初めて入院生活を余儀なくされた。高校卒業後は地元の埼玉・本庄市の工場に就職。その後は職を転々としたが、レスラーになる夢をあきらめきれず、2000年に大日プロに入門。同年

年間300試合戦った藤波辰爾「常に気が抜けないことが逆に刺激になっていた」【豪傑列伝#30】

 プロレスラーは年間300試合を戦う――。もはや伝説に近い言葉だが、藤波辰爾は実際に月25試合のペースで戦った経験を持つ数少ないレスラーの一人だ。  パスポートは瞬く間にスタンプを押すスペースがなくなった。それでも足りず、新しいページが追加される。パスポートはどんどん厚くなり、更新の時には文庫本並みに膨れ上がった。休む暇もないほどの試合と移動の連続。だが、不思議なことに当時の藤波につらさはなかったという。  巡業先では病院を探し回り、注射や点滴を打って会場入りした。肉体の

【プロ野球】シモノハナシ

下柳剛氏の連載をまとめました

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  • 26本

「金本監督」「矢野監督」の下で投手コーチは無理【下柳剛連載#26/最終回】

前の話へ / 連載TOPへ  過去にも米球界に挑戦するチャンスはあった。最も現実味があったのは、2度目のFA権行使となった2007年オフだ。具体的なオファーをくれたのはコロラド・ロッキーズ。本拠地のクアーズ・フィールドは標高1600メートルの高地にあって、打球が飛びやすく「バッターズ・パーク」とも言われている。  そんな打者有利な球場を本拠地とするロッキーズがオレに興味を示してくれたのは、ばったばったと三振を取る本格派ではなく、多彩な変化球でゴロを打たせる技巧派だったから

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中学時代の体形はなんと160cm、90kg!【下柳剛連載#1】

 器用なようで器用ではなく、不器用なようで不器用でもない。エリートではなく叩き上げで、中継ぎも抑えも先発もこなし、37歳で最多勝のタイトルも手にした。笑いあり、涙あり。44歳まで現役で投げ続けた下柳剛氏が、型破りな野球人生を赤裸々に明かす。 次の話へ 「下の下」から始まった野球人生 早いもので昨年3月20日の引退表明から1年がたった。昨年末には地元・長崎で同級生たちに引退セレモニーもしてもらって現役生活に一応の区切りはつけたけど、今でもトレーニングは続けている。体に染み込

洗ったレンコンに徹夜でからしを詰め込んだ【下柳剛連載#2】

連載TOPへ / 次の話へ 高校入学して最初に取り組んだのはダイエット 本当の意味で野球漬けになったのは地元・長崎の瓊浦高校に進学して野球部に入ってからかな。昨日も書いたように中学時代の1、2年はまともに野球をさせてもらえなかったし、家の手伝いもしなきゃいけなかったから。  実家はさつま揚げやからしレンコンなんかを扱う店をやっててね。小学生時代から家業の手伝いはよくさせられてた。特に大変だったのが年末年始に飛ぶように売れる、からしレンコン作り。からしがよく染み込むように金

勝負は下駄を履くまで分からないっていうけど、ほんとその通り【下柳剛連載#3】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 甲子園が見えかけた県大会準決勝で…長崎の瓊浦高の2年生になったころには「絶対にエースになってやる」という高いモチベーションがあった。「やるからには」という軽い感じじゃなくて「絶対」。それは2番手投手としてブルペンで悔しい思いをしてきたからだ。  ある試合の前に左投手対策として打撃投手に起用されてから、オレはちょいちょい試合で登板機会をもらえるようになっていた。小学生のころ夢中になってやっていた的当ての成果もなくコントロールは悪かっ

【プロレス】ターザン後藤「我がプロレス交遊録」

2006年に掲載されたターザン後藤の連載を復刻しました。

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練習をのぞき見した子供に「金払わせろ」 ミル・マスカラスのプロ意識【ターザン後藤連載#6/最終回】

 ミル・マスカラス以上のプロには会ったことがない。良くも悪くもプロ意識を感じさせてくれる象徴的な話が3つある。  まずは、独特な形をしたアノ腹。人前では必ず引っ込めている。それでも試合をすれば息も上がる。呼吸が乱れても、なぜヘコませ続けられるのか、ヘコませる必要がどこにあるのかオレには不思議でならなかった。  おそらくマスカラスの美意識、こだわりなのだろう。オレもプロとして体形に関して興味を引かれた。気味が悪いので反面教師としたが、無理にでも人前で腹を突き出すようにしてい

ガンガン叱り、何気なく褒めるのが百田光雄さん【ターザン後藤連載#5】

 鬼教官。プロレスを教えてくれた百田光雄さんは、とてつもなく怖い人だった。  全日本プロレスに入門当初のこと。千葉にいる10歳離れた姉さんに、移動バスの待ち合わせ場所・品川に送ってもらった時の出来事だ。オレは当時まだ15歳。自分で言うのも何だが、今と違って顔も良くて「ジャニーズ系」と周囲にもてはやされ、姉さんにも我が子のようにかわいがってもらっていた。  だが、姉さんはプロレス界がどういう世界かは理解していなかった。百田さんは、心配してその場を離れようとしない姉さんに「も

試合前には必ずシーチキンの缶詰を食うことを欠かさなかったブロディ【ターザン後藤連載#4】

 全日本プロレス時代はよく先輩に怒られたが、亡くなったブルーザー・ブロディには、かわいがってもらった。  カリフラワー状になってしまった左耳を治療して、ようやく治りかけてきたところに、試合でブロディに蹴飛ばされてしまった。また腫れあがり、それこそマギー審司の一発芸のように、耳が「でっかくなっちゃった」――。  ブロディに悪気があったわけじゃない。引き揚げてくると「わりい、わりい。知らなかったんだ」と謝ってきた。下っ端のオレに頭を下げてくれたんだ。下の人間には優しい人だった

ハンセンの振り回すブルロープがオレに直撃!意外な展開に…【ターザン後藤連載#3】

 不沈艦スタン・ハンセンは「悪ガキ」だけど、意外にも小心者なんだ。  オレが全日本プロレスで外国人係を任されている間に、ハンセンはいろいろなことをやってくれた。移動のバスで水鉄砲を乱射して全員を“射殺”。それだけでは飽き足らず、窓を開けて信号待ちの車に発砲し、驚く運転手の様子に喜んでいたよ。子供としか言いようがないだろ。  そんな素顔を知っているから、試合の時とのギャップには驚かされる。目の色は違うし、暴走は誰にも止められない。20分以上も戦って「ウイ~ッ」を決めて、息ひ

【プロレス】タイガー服部が語る強豪外国人

2006年に紙面掲載されたタイガー服部さんの連載をnoteで復活させました。懐かしい外国人レスラーのエピソードをお楽しみください。

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  • 6本

足首を折られても心は折れなかったハルク・ホーガン【タイガー服部が語る強豪外国人#6/最終回】

 ヒロ・マツダさんの道場でコーチをしていたオレにとって、マツダ門下生のハルク・ホーガンは印象深い男の一人だ。  高校でレスリングをやっていたホーガンは、たまたまオレの家の上に住んでた自分の友達を通じて「マツダさんの所へ連れてってくれ」と入門を志願してきた。  当時のホーガンは体も大きかったから腕っぷしにはかなりの自信を持っていた。それに、アイツはロックバンドもやっていたこともあって、かなり生意気なヤツだった。  マツダさんにもふてぶてしく見えたんだろう。だからホーガンは

性格がまるっきり違ったマレンコ兄弟【タイガー服部が語る強豪外国人#5】

 みなさんご存じのマレンコ兄弟はタッグでも大活躍したし、シングルプレーヤーとしても超一流だ。2人とも玄人好みの関節技でファンをうならせていたが、性格はだいぶ違う。  オレは2人が10歳くらいの時にヒロ・マツダ道場で初めて会ったけど、第一印象は正反対だ。兄貴のジョーは男らしい奴で、お父さんのグレート・マレンコにいつもくっついていた。一方、ディーンは女々しいヘナチョコでお母さん子。いつも母親の陰に隠れていた。  関節技が得意だったのは2人とも父親と親交が深かったカール・ゴッチ

「空手の練習をするぞ」なんて言い出してドアをボコボコにして…【タイガー服部が語る強豪外国人#4】

手のつけられないイタズラコンビ 手のつけられないイタズラコンビだったのがダイナマイト・キッドとデイビーボーイ・スミスだった。  オレのマユ毛をそるなんて序の口。並の悪ふざけじゃなかった。やられた相手にはホント同情するしかない。  一番ひどかったのが〝ビッグ事件〟だ。やられたヤツの名前は失念してしまったけど、200キロぐらいある超大型レスラーだ。ここではビッグという仮名をつけておこう。  キッドとスミスはある日、ビッグを都内のステーキハウスに招待。オレも同行することになっ

ハーレー・ダビッドソンに乗せられ「死ぬかと思った」【タイガー服部が語る強豪外国人#3】

武勇伝のオンパレード、喧嘩で勝てるヤツはいなかった 数々の外国人レスラーの中でもとりわけ喧嘩の武勇伝が多いのがホーク・ウォリアーだ。  すごく一本気ないい男なんだけど、暴れると手がつけられない。六本木では同じくらい喧嘩っ早いエディ・ゲレロを10メートル吹っ飛ばしたこともあったし、北朝鮮の平壌でスコーピオともやっている。160キロぐらいあったキラー・カーンを持ち上げたこともあった。  巡業オフの北海道でランディ・サベージとやった時は参ってしまった。というのもその日はテレビ撮