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「金本監督」「矢野監督」の下で投手コーチは無理【下柳剛連載#26/最終回】

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 過去にも米球界に挑戦するチャンスはあった。最も現実味があったのは、2度目のFA権行使となった2007年オフだ。具体的なオファーをくれたのはコロラド・ロッキーズ。本拠地のクアーズ・フィールドは標高1600メートルの高地にあって、打球が飛びやすく「バッターズ・パーク」とも言われている。

ロッキーズの本拠地クアーズ・フィールド(2001年5月)

 そんな打者有利な球場を本拠地とするロッキーズがオレに興味を示してくれたのは、ばったばったと三振を取る本格派ではなく、多彩な変化球でゴロを打たせる技巧派だったから。「リリーフとして考えている」と言われて断念したけど「先発で…」と言われてたら、迷うことなく海を渡っていたはずだ。

 それはいいとして、楽天から戦力外通告を受けて米球界に活路を見いだすことになったオレは、練習場所を確保するだけでも大変だった。自主トレを行った奄美大島では勝手が分かっているから何とかなったけど、米国ではそういうわけにもいかなくてね。

 ロサンゼルスで行われるドジャースのトライアウト本番までは、その日、その日でグラウンドと練習相手を探し求める放浪生活だった。高校生の隣でピッチングする日もあれば、大学のトレーニング室でウエートトレをする日もあったし、中学生のコーチをしているという元マイナーリーガーに球を受けてもらうこともあった。そんな環境でも腐らずにトレーニングを続けられたのは、何としても、もう一花咲かせたいという思いがあったからだ。

 実際に調子自体は悪くなかった。都合が合わずに会うことはできなかったけど、当時ドジャースでベンチコーチを務めていた元日本ハム監督のトレイ・ヒルマン(現ヤンキース育成担当特別補佐)が、オレのリポートを球団に提出して後押しもしてくれた。

新天地を米球界に求めたが、平坦な道ではなかった

 1次テストのブルペンでの投球は、スライダーもフォークもシュートもまずまずで合格。順当にゲーム形式の2次テストへと進むことができた。だけど、大変だったのはここからだった。

 字面だけ見ればたいそうなテストに思われるかもしれないけど、参加者はバラエティーに富んでいて、50歳近いナックルボーラーもいれば、ゴロもろくに捕れない素人に毛の生えたような記念受験系の人もいる。そんな中での2次テストは悲惨なものだった。

 バッテリーを組んだのは学生風のラテン系素人さん。それでも「合格したい」という気持ちは人一倍強かったみたいで、オレは思いもよらないような身勝手な注文をつけられた。

ラテン系素人捕手の信じられない注文「フォークは投げるな」

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