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ついに実装!「ウマ娘」のメガネ美人!イクノディクタスを「東スポ」で振り返る

「ウマ娘 プリティーダービー」がめでたく3周年。22日の記念ライブ配信で発表された新実装ウマ娘2頭のうち1頭は、ゲーム公開当初からいたのにまだ実装されていなかったイクノディクタスでした。「ついにきた!」なのですが、「まあ、ドゥラメンテ(もう1頭の新実装ウマ娘でした)はくるでしょ」ぐらいに構えていた私にとっては「しまった!」でもあります。急いで原稿を書くにしても、集めなきゃいけない資料が多すぎる…。なぜなら、走ったレースの数は驚異の51戦、「ウマ娘」登場キャラの中でハルウララに次ぐ出走数なのです!

 というわけで、翌朝までに仕上がらず、こんな時間になってしまいました。体調管理をきっちり行うメガネ(外すと超美人!)の秘書タイプで、か弱そうにも見えるのに実際はめちゃくちゃタフ。「鉄の女」と呼ばれた名馬を「東スポ」で振り返りましょう。(文化部資料室・山崎正義)


2歳(1989年)

 イクノは本当にたくさん走りました。その頑張りを伝える意味でも、そしてこれが何レース目になるのかを数えるためにも、【】で番号を振ってみました。まずは最初の3つ。

【1】新馬戦(7月23日)

【2】フェニックス賞(8月19日)

【3】小倉3歳ステークス(9月3日)

 6歳まで走り続けた〝鉄の女〟と聞くと晩成のように感じますが、実は同期の中でもかなりの早期デビュー組で、しかも早熟かとも思わせるような〝スタートダッシュ〟を決めています。2歳の夏の小倉で早々にターフに登場すると3番人気で1着。中3週のフェニックス賞も勝ち、今度は中2週で小倉3歳ステークス(現在の2歳を当時は3歳と言っていました)というGⅢに駒を進めます。

 ショボくてすみません(苦笑)。この頃の「東スポ」はGⅠではない関西の重賞は、こんな扱いのこともありまして…ただ、それでもなぜこれを載せたかというと、◎がついているイクノディクタスの上にある数字をご覧いただきたいから。1番上の白抜き数字が枠で、この頭数だと4枠から外が2頭ずつになるのですが、❻だけがイクノ1頭になっているのがお分かりになるかと思います。そう、圧倒的な人気の馬に採用される「単枠指定」だったのです。フェニックス賞が2着に4馬身差をつける楽勝でしたし、実際、この小倉3歳Sで1・7倍という断然の支持を受けるのですが、〝鉄の女〟が、ピッチピチのころに、こんなキラキラした扱いを受けているとは失礼ながら驚かされます。逆に言えば、若いころから才能の芽は顔を出していたんですね。しかし、期待されたイクノはこの小倉3歳Sを重馬場に脚を取られた9着で終えると、中央場所に戻り、10~11月に3戦…。

【4】萩ステークス(10月14日)

【5】デイリー杯3歳ステークス(11月11日)

【6】ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス(12月10日)

結果はこう。

 それほど悪い着順には見えませんが、8→9→8頭立てですから、何とも言えない感じです。ただ、夏に素質は見せていましたし、賞金は持っていましたから、牝馬クラシック路線に備え、陣営は3か月ほど休ませます。その間に成長してくれれば…といった狙いだったのかもしれません。


3歳(1990年)

 残念ながら、才能の芽はなかなか花開きませんでした。

【7】4歳牝馬特別(3月18日)

【8】桜花賞(4月8日)

【9】4歳牝馬特別(4月29日)

 というわけで、【10】オークス(5月20日)の印もこんな感じ。

 結果は18番人気9着。2歳の小倉で早々に勝ち上がったものの、その後パッとしないどころか完敗続きというのは、成績的には典型的な早熟馬です。正直、このままフェードアウトという牝馬もいるのが競馬界ですから、ちょっぴり意外でした。夏にリフレッシュしたイクノが9月の【11】サファイアステークス(9月30日)という芝1700メートルのGⅢで果敢に先行し、3着に粘ったのは。しかも、それをフロック視され、10番人気で臨んだ続く【12】ローズステークス(10月21日)でも先行して2着に入ったことは。

「単なる早熟馬じゃないんだ」

「よく見れば血統も…」

 そうなんです。イクノディクタスは父ディクタス、母の父ノーザンテーストという、当時の社台グループ(一大生産グループ)が誇る、底力あふれる血を持っていたのです。このディクタス×ノーザンテーストという配合では2歳上にサッカーボーイという大物も出ており、他にも活躍馬が多数いました。というわけで、主役不在だった牝馬三冠最終戦【13】エリザベス女王杯(11月11日)では、イクノにも記者の印が回るようになります。

 攻めの予想を身上としていた本紙渡辺薫記者にいたっては果敢に◎。その理由をこんなふうに挙げていました。

「社台ブランド自慢の血統」

「夏を越して本格化ムード」

「栗東トレセンの坂路でガンガン鍛えてパワーアップしている」

 人気は9番目とはいえ単勝オッズは14・2倍でしたから、穴馬として馬券を買ったファンも多かったと思われます。

 結果は惜しくも4着でしたが、3戦続けての好走で、早熟という心配は消えました。さあ、いよいよ来年はサラブレッドが強くなる4歳なのですが、ちょっぴり困った事態が訪れます。イクノの適性がよく分からないのです(苦笑)。


4歳(1991年)

 当noteで何度か触れたように、この1990年ごろはまだ古馬牝馬路線は整備されていません。古馬牝馬ナンバーワンを決めるGⅠがなく(エリザベス女王杯は3歳限定でしたし、ヴィクトリアマイルも創設されていません)、ぶっちゃけ〝目標〟がないんですね。かといって牡馬が歩む古馬王道路線にチャレンジしても歯が立ちません。スタミナや底力ではかなわない時代だったわけです。ただ、スピードを活かす短距離・マイル路線なら牡馬相手に戦えることもありましたから、イクノもまずは、そこの適性を見ることになります。つまり、〝適性探しの旅〟に出るわけですが、イクノの鉄の女ぶりを理解する上でも、ぜひ、レース間隔に注目してお読みください。競馬においては「実際のレース間隔週マイナス1」が「中〇週」の〇に入ります。つまり、3週空いていたら中2週。詳しくは後述しますが、中2週はサラブレッドの消耗度が「やや高い」、中1週は「けっこう高い」とイメージしてください。中2週や中1週が続くと疲労が蓄積されていくというのが常識です。

 とうわけで、初戦は1600メートルの【14】京都牝馬特別(1月27日=GⅢ)。逃げてなかなかのスピードを見せたのですが、7着とイマイチだったので、今度は中1週で2000メートルの【15】すばるステークス(2月9日)に出走しました。結果は2番手から4着。着順は悪くありませんが、最後は上位から離され、脚が止まっているようにも見えたので、陣営はもう一度、距離を縮めます。

中1週で1700メートルの【16】マイラーズカップ(2月24日=GⅡ)

中3週で1400メートルの【17】コーラルステークス(3月23日)

 ここで3→1着。2歳夏以来の勝利を飾ったことで、短い距離に活路がありそうに見えたのでしょう、陣営は中3週で1400メートルの【18】京王杯スプリングカップ(4月21日=GⅡ)を使ってきます。

 レース前のコメントは「前走を見るとかなり力をつけてきた。相手は強いが、好レースになるとみている」だったものの、結果は11着と大敗。「う~ん…」といった感じです。ただ、イクノ自体は元気だったのでしょう、中2週で【19】京阪杯(5月12日)という2000メートルのGⅢに出走させると、そこをあっさり勝つのです。

「あれ?」

「スピード馬じゃなかったの?」

 陣営も再度の確認。中2週で【20】阪急杯(6月2日=GⅢ)という1400メートルを走らせたところ、2番人気で10着に敗れます。

「短距離ってわけじゃないのか…」

 舵を切ったのは中距離路線。中1週で【21】金鯱賞(6月16日)という中京の1800メートルを使った後、イクノは2000メートル前後のレースを求めて、九州への遠征を敢行します。

【22】小倉日経賞(7月14日=1700メートル)

【23】北九州記念(8月4日=1800メートル)

【24】小倉記念(8月25日=2000メートル)

 中2週、中2週という怒涛の3連戦を3→2→3着。で、休みもせず、またまた中2週で次は中京競馬場。

【25】朝日チャレンジカップ(9月15日=2000メートル)

 ここでも2着! 陣営は気付きます。

「中距離に適性あり」

「小倉は得意」

「中京も良さそう」

 真夏の小倉から残暑の名古屋にかけて、レース間隔が短い中での4連続好走は、こんなことも証明していました。

「タフ!」

「暑さに強い!」

 というわけで、イクノの生きる道がやっと見えてきます。

 ローカル狙い――

 はい、こういう馬は今でも存在しますので、まとめておきますと、以下のような理屈です。

「中央の大レースではちょっと足らない」

「メンバーが落ちるオフシーズンの中距離重賞なら通用する」

 そんな馬が、GⅠシーズンのない真夏や真冬のローカル競馬場で行われるレースを狙い撃ちするわけです。で、ローカル競馬場には「直線が短い」「坂がない」という特徴があるので、次のような馬に向いています。

「先行力があってしぶとい」

「夏場に走るので暑さに強い」

 はい、イクノディクタスはぴったりでした。ただ、ちょっと寂しくもありますよね。スターを目指さず、大舞台を望まず、地道に賞金を稼いでいくようなものですから。で、そんなイクノの馬生にこんな表現が使われることもあります。

 ドサ回り――

 芸人が地方を興行しながら回ること、地方巡業的な意味を持つ言葉で、確かに、遠からずとも思います。でも、この言葉にはちょっと悲哀が漂うんですよね。特にイクノみたいに、ぴっちぴち期間を終えた牝馬に使うと、都会のネオンに別れを告げて地方のスナックを転々とするさすらいのホステス感があるというか…なのでこのnoteでは、あえてこの言葉は使いません。ドサ回りではなく、働き場所を、自らが輝ける場所を見つけたイクノが力をつけていく様子を、一緒に見ていきましょう。


5歳(1992年)

 4歳後半、秋のGⅠシーズンとともに休養に入ったイクノは年明けから狙いすましたかのように裏街道を歩み出します。

【26】関門橋ステークス(2月2日)

【27】小倉大賞典(2月23日)

【28】中京記念(3月22日)

 順番で言うと、小倉、小倉、中京。いずれも東京・中山・京都・阪神といった〝中央場所〟との3場開催が行われる中での〝第3の競馬場〟です。結果は2、10、8着。今度は5月半ばの新潟開催を目指すのですが、馬が元気だったんでしょうね。2か月も走らないのはもったいない!とばかりに、大きなレースにも顔を出します。

 はい、この【29】大阪杯(4月5日)は牡馬の一線級が集まる格式高いGⅡ。今書いたようにイクノにとっては〝寄り道〟でしたから、当時の新聞を見ると陣営も「今回はメンバーが揃いすぎた。厳しそうだ」と正直に告白しています。とはいえ、ダービー以来のトウカイテイオーが楽勝し、一躍、競馬界の中心に躍り出た伝説のレースに、ちゃっかり出走して、4着に入っているのですからやはりこの馬、侮れません。

 で、まだまだ元気ですから、すぐに新潟に行かず、東京競馬場で行われたオープン特別の【30】メトロポリタンステークス(5月3日)にもひょっこり。重賞ではないぶんメンバーが弱いのを見越し、天才・武豊ジョッキーに騎乗依頼をする陣営もなかなかやります。しかも、レース前のコメントはこうでした。

「使い込んで良くなってきた」

 そうなんです。年が明けて4戦走っていますが、その程度で疲れるのではなく、むしろ走りながら調子を上げていくタイプなんですね。しかも、前年に証明している通り、暑さを苦にしません。むしろ、夏が近づくにつれて、この女性はどんどん元気になっていくのが特徴でした。というわけで、馬柱でここからの6戦を見てみましょう。

【31】新潟大賞典(5月17日)は4着だったものの、その後、わずか中1週でメンバー手薄のオープン特別【32】エメラルドステークス(5月30日)を快勝。勢いに乗って【33】金鯱賞(6月21日)も完勝します。

【34】高松宮杯(6月21日)は落鉄(蹄鉄がぬげてしまうこと)で大敗しますが、得意の小倉【35】小倉記念(8月30日)で牝馬ながら57キロ(牝馬は牡馬より2キロ優遇されるのがハンデ戦の定石ですから実質59キロ)を背負って勝ち切ります。

 2月から10戦目

 真夏

 酷量

 マイナス要素が揃いすぎていましたから、ファンも「さすがに厳しいだろ」と4番人気にとどめたのですが、この馬のタフさは我々の想像を超えていました。

 狙いすました結果とはいえ、おそらく、陣営も馬主さんもここまでうまくいくとは思っていなかったはずです。何せ、この年のここまでで、イクノが稼いだ賞金は…

 約1億4000万円!

 同年のダービーの1着賞金が1億3000万円ですから、いかに稼いだか…いや、とにもかくにもその頑張りには頭が下がります。で、おそらく陣営も、「ようやった!」だったと思うんです。「あとはゆっくりせいや」というか、「もう、勝つところはないかな…」だったとも思われます。なぜかというと、これだけ賞金を稼ぐと、オープン特別やハンデ戦が多いローカル重賞ではものすごい重い斤量を背負うことになり、馬のことを考えると出走は現実味のある話ではないですし、出たとしても好走は簡単ではありません。だからといって重い斤量じゃないレースを使うとなると、それは中央場所のメンバーが強い重賞やGⅠ。年齢的にも、5歳の夏を過ぎた牝馬はピークが過ぎていておかしくないですから、厳しい戦いになるのは目に見えているんです。だからこその「ようやった」「役目は果たした」「もう十分だ」だと思うのですが、イクノのタフさはもしかしたら陣営の想像をも越えていたのかもしれません。本格的な秋競馬が始まり、【36】オールカマー(9月20日)に出てきたときは、記者たちも「もう十分でしょ」という見方でしたから、こんな印。

 が、結果は…

 内からあっさり抜けて横綱相撲の完勝に、ローカル専用の牝馬だと決めつけて、4番人気にしか支持していなかったファンは呆気に取られました。

「こ、こんなに強いの?」

 しかも、勝ちタイムは、あのオグリキャップが叩き出したコースレコードを上回り、芝2200メートルの当時の日本レコードにも並ぶものだったのですから、フロックとも思えません。

「なんだなんだ」

「5歳の牝馬が狂い咲きか?」

 いやいや、レース後、主戦の村本善之ジョッキーはこう話しました。

「晩成タイプでいまが本当に充実している感じ。1番人気のヌエボトウショウとはこれまで五分の成績(4勝4敗)を残していたし、ある程度はやれる自信はあった」

「ここ4戦は落鉄で競馬にならなかった高松宮杯(12着)以外はすべて完勝。いまの安定性があれば一線級の牡馬相手でも楽しめる」

 そう、決して狂い咲きではなかったのです。裏街道を走って走って走りまくるうちに、表街道でも通用するぐらい力をつけていたのです。で、さらに驚くことに、そろそろガソリンが切れ、すなわち調子落ちも当然の状況の中、イクノはますます調子を上げていきます。これは続く【37】毎日王冠(10月11日)前の追い切り速報です。

 中2週の強行軍なのに絶好調。管理する福島調教師は不敵な笑みを浮かべました。

「今のデキなら古馬一線級相手でも楽しみは大きい」

 村本騎手は好調を強調しつつ、現実的な見方もしています。

「GⅠでは正直言って役者不足だと思うし、そのぶんここは力が入る」

 そう、さすがにこの後に控える天皇賞・秋は厳しいだろうから、ここはメイチ!というわけです。で、都合がいいことに、この年の毎日王冠は非常にメンバーが手薄でした。

「5歳の牝馬だから」という声と「このメンバーなら5歳の牝馬でも…」という声が半々の3番人気。結果は…

 堂々の2着!

「すごいじゃん」

「やるじゃないか」

 中にはこんなファンも。

「こんな牝馬、見たことない」

「偉いぞ、オバサン!」

 コラコラコラですし、言い方は失礼ですが、誰もが賛辞を送りました。こうしてイクノは〝晩成の熟女〟として一躍、人気ホースになります。そしてもうひとつ、この毎日王冠の2着でとんでもない記録が現実味を帯びてきました。それは…

 獲得賞金額の牝馬ナンバーワン

 つまり、歴代1位の座が目の前になっていたのです。トップに立っていたのは前年に安田記念とスプリンターズステークスを制し、史上初めて牡馬混合GⅠで2勝を挙げたダイイチルビー。その獲得賞金は

 4億3080万円

 で、イクノは

 4億1260万円

 続く天皇賞・秋の4着(賞金2000万円)で追い抜ける額にまで迫っていたのです。奇しくも同級生で、1億円の値がついた超良血のダイイチルビーを、血統は悪くないものの1000万円にも満たない額で取引され、裏街道を走り続けた馬が追い抜くなんて、まさにシンデレラストーリー

「すごいじゃないか」

「応援するぞ」

「頑張れ!」

 イクノはついに大舞台に帰ってきました。クラシックのときよりも年は取りましたが、あのときよりも多くの声援を受けて。

【38】天皇賞・秋(11月1日)、明らかに〝風〟は吹いていました。この年の春の天皇賞でトウカイテイオーとの世紀の対決を圧勝したメジロマックイーンは骨折で戦線離脱中。その天皇賞以来となったトウカイテイオーには休み明けの不安がありました。さらに、テイオー以外のメンバーが超小粒だったのです。

「やれるんじゃないか」

「4着どころか…」

「もっと上も…」

 まだまだ牝馬が古馬王道路線で歯が立たない時代に4番人気(単勝オッズ16・3倍)を背負った熟女は、おそらくこの日も絶好調だったのでしょう。抜群のスタートを切ると、すっと3番手につけます。テイオーの内、大本命の横で、裏街道を進んできた牝馬は堂々と、正攻法で牡馬に挑戦状を叩きつけました。絶好の位置取りに見えました。しかし、この日に限って、前をいくダイタクヘリオスとメジロパーマーが、スーパーガチンコな意地の張り合いを演じてしまい、前代未聞の超ハイペースになってしまいます。先行馬は総崩れ。テイオーさえも馬群に沈む激流は、さすがに5歳の牝馬には厳しかった…。

 結果は9着ですが、ペースを考えれば健闘とも言えます。だから、次走【39】マイルチャンピオンシップ(11月22日)に出てきて、これまた果敢に先行したときは、ファンも「もしかして」と思いましたが…

「やっぱり牡馬とのGⅠじゃ厳しいか…」

「年齢も年齢だし…」

「この年、何戦したんだっけ?」

 ファンは馬柱を確認して驚き、感嘆の声を漏らします。

「14戦…」

「よくやった」

「よくやったよ!」

 それはつまり、「ご苦労様」「もう十分だよ」でした。だから、腰を抜かしましたよ、イクノが次に【40】ジャパンカップ(11月29日)を選んだことに。さあ、ここまでレース数とレース名に加えて日付を書いてきた甲斐がありました。マイルチャンピオンシップと、このジャパンカップの(日付)をご確認ください。そう、イクノはやってくれました。

 連闘!

 この年15戦目が連闘!

 5歳の牝馬がGⅠ2連戦!

 さすがにヘロヘロだったら陣営も無理はさせていないはずですから、おそらく、イクノは元気だったに違いありません。

「すごすぎる」

「タフすぎだろ!」

 これを「鉄の女」と言わずして何と呼べばいいでしょう。もはや、この時点で殿堂入りしてもいいぐらいだと思いますが、イクノは世界の強豪が集まったこのジャパンカップで14頭中9着と踏ん張り、年末には【41】有馬記念(12月27日)にまで出走するのです。そして、大敗どころから16頭中7着と善戦するのです。

 中山の急坂を最後まで登り切った熟女にたくさんの拍手が送られたのは言うまでもありません。

「よく頑張ったよ」

「賞金歴代1位にはなれなかったけど…」

「本当にお疲れ様!」

 誰もが健闘を称えつつ、頭の中に浮かべたのは「勇退」の文字。賞金が増えすぎて出走できるレースが限られつつあった牝馬に、活躍の場は残されていないようにも見えたので当然ですが、やはりこの馬は超絶タフでした。陣営も引退を選択肢に入れていたはずです。いや、有力な選択肢にしていたはずです。でも、この馬は有馬記念を終えても元気だったのです。

 現役続行――

 鉄の女はまだまだ走ります。


 6歳(1993年)

 斤量が重くなるローカル重賞やオープン特別は使えませんから、イクノは古馬王道路線を歩みます。というか、歩まざるを得ません

【42】日経賞(3月21日)

【43】大阪杯(4月4日)

 日経賞の勝ち馬がライスシャワー、大阪杯がメジロマックイーン。つまり、当時のエース級と当たる中、「なんとか賞金をゲットできる5着以内に入れれば…」といったところだったのでしょうが、惜しくも2連続6着。続いて【44】天皇賞・春(4月25日)に出走しますが、そこでは歯が立たず9着に敗れます。14番人気でしたから健闘ではあるのですが、「やっぱり王道路線では厳しいか」と陣営も再認識したのでしょう。次は、一昨年に勝っている京阪杯という、ややメンバーレベルが落ちるGⅢを視野に入れました。実際、登録もしたのですが、発表されたハンデが重く、さすがにかわいそう…というわけで、陣営は京阪杯の翌日に行われた【45】安田記念(5月16日)にイクノを出走させます。見切りをつけたマイル路線に出走せざるを得ない、つまり〝買い材料〟がないのですから、無印も当然です。

 大人になりつつあった天才少女・ニシノフラワーが1番人気に支持され、外国馬も含めた多士済々のスピード自慢が集まる中、「なぜあなたが?」という中距離向きの熟女。苦戦必至の単勝109・6倍(14番人気)だったので、いつもなら先行姿勢を見せる村本ジョッキーも無理をせず、後方3番手でじっとしていました。直線で抜け出したのは2番人気のヤマニンゼファー。早々に先頭に立って押し切ろうとする後ろで、2着争いは大混戦です。4歳ニシノフラワーは脱落していましたが、内からは同じく4歳のシンコウラブリイ、外から5歳のシスタートウショウ。奇しくも牝馬が激戦を繰り広げていました。

 横一線

 内のラブリイか

 外のシスターか

「残せ!」

「差せ!」

「あれ?」

「なんだあの馬?」

 内の4歳牝馬

 外の5歳牝馬

 その真ん中にひょっこり6歳牝馬

「誰?」

「6番って…」

「イ…」

「イクノディクタス!?」

 熟女の意地

 いや、無欲の一発

「何も考えずに乗った。直線に向いて(入)着でもあればと思ったのに、こんなにいい脚を使うなんて僕も信じられない」

 主戦ジョッキーさえもビックリさせたのですから、ファンはもっとビックリ。払戻金を見てさらに驚きました。2番人気ヤマニンゼファーとの馬連は…

 6万8970円!

「6歳牝馬が…」

「ここでくる!?」

 私もア然ボー然。おかげで気づきませんでした。皆さんも忘れているかもしれません。2着、つまり、賞金が入ります。その額…

 3700万円

 ってことは…

 牝馬歴代1位!

 大観衆が見つめるGⅠという晴れ舞台で、裏街道を歩んできた熟女が、大記録を打ちたてた瞬間でした。ぶっちゃけ、〝熟女の大穴〟にインパクトがありすぎて、私以外にも翌日の新聞を読むまで記録に気付かなかった人も結構いましたが(苦笑)、誰もが惜しみない拍手を送りました。

「よくやった!」

「偉いぞ、オバサン!」

 コラコラコラですが、物語としては万々歳。

「久しぶりのマイル戦で疲れただろうから」

「ゆっくり休んでも…」

 はい、そうも思ったんですが、この熟女は、周囲の気遣いなんてお構いなしにレース後も元気一杯でした。

「休みません」

「私、走るの好きなので」

 まるでそう言っているかのように、中3週で【46】宝塚記念(6月13日)に出てきます。

 メジロマックイーンとメジロパーマーの一騎打ちムード漂う中、イクノに票が集まらないのも仕方ないところ。

「前回はマグレでしょ」

「6歳の牝馬だし」

「もう上がり目もないでしょ」

 熟女だからこその単勝40・9倍。熟女だからこその8番人気。全馬がゲートに入り、さあスタートというときにロンシャンボーイという馬がゲート飛び出してしまって、全馬が一度ゲートを出され、仕切り直しになったときも、キャリアが豊富すぎる熟女は落ちついていました。そして、多くの人は忘れていました。

 雨が上がった阪神競馬場

 もわん…としています

 25度を超えています

 蒸し暑い

 その暑さに強い馬がいることを忘れていたのです。

 マックイーンが外からぶち抜けたその後ろ

 外から熟女

 大外から鉄の女!

 テレビでは杉本清アナウンサーが叫んでいました。

「外からまたまたイクノディクタス!」

 驚いたのでしょう、もう一度。

「外からまたまたイクノディクタス!

「すげえ…」

「オバサン、すげえーー!」

 コラコラコラですが、これこそ93年に起きた熟女の大穴2連発。そして私は、多くの人が忘れがちな事実をもうひとつ書き残しておかねばなりません。宝塚記念からわずか2週間後、つまり中1週で、イクノはレースに出走しているのです!

【47】テレビ愛知オープン(6月26日)

 宝塚後も全く疲れていなかったのでしょう。

 大好きな夏に向けて、グングン調子を上げていたのでしょう。

 つまり

 放牧に出すのがもったいないぐらいの絶好調――

 結果は

 鉄の女は、その秋も走りました。

【48】オールカマー(9月19日)

【49】毎日王冠(10月10日)

【50】天皇賞・秋(10月31日)

 順に7→7→10着。年齢が年齢だけに、暑さが消えていく時期だけに、なかなか調子は上がりませんでした。そして、ついにラストレースがやってきます。

【51】富士ステークス(11月14日)

 最後がGⅠではなくオープン特別なのもイクノらしかったです。力をつけた92年秋からの1年は、当時、古馬が出走できるGⅠのうち、スプリンターズステークス以外のすべてに出るという〝表舞台の女〟だったのですが、最後はやはりそこじゃなかった。そして、天皇賞から中2週というのも、鉄の女にふさわしい。やはり、最後の最後までイクノディクタスはタフでした。

 51戦9勝

 重賞4勝

 獲得賞金5億2000万円超

 1000メートルのレースも走り

 3200メートルのレースも走った

 その全走破距離

 9万6300メートル

 誰もがこの言葉を見るとあなたを思い出します。

「無事之名馬」

 お疲れ様でした。

 そして、お待ちしていました。

 私たちもやっとあなたを育成できます。 


おまけ1 マックイーンとの関係

「ウマ娘」のメジロマックイーンがイクノディクタスを見る目は他のウマ娘を見るものとは明らかに違います。これは武豊ジョッキーによるマックイーンがイクノに恋心を抱いていたことを示唆する発言、また、繁殖にあがったイクノの最初の交配相手がマックイーンだったことが関係していると思われます。恋の真実は何とも言えませんが、宝塚記念で他馬を圧倒した名馬と、その後を追うように差し脚を伸ばした名牝が結ばれるのはなかなかロマンチックです。


おまけ2 中〇週

 中2週というレース間隔自体は、昔はよく見かけました。競馬というのは走らせるだけで手当てがもらえますから、特に下級条件だと、成績が伴わないからこそ走らせまくるケースもあります。ただ、イクノのようにオープン馬だと、やはり多くはなかったと思います。

 現在、レース間隔としてメジャーなのは中3週や中4週でしょうか。昔に中2週が多かったのは「レースを使いつつ馬を仕上げる」という側面もあったのですが、昨今は牧場や施設が進歩したおかげでトレーニングで馬を仕上げることができるので、レース数を減らし、馬を消耗させないようにするのがトレンド。だから、中2週だと「少し間隔が詰まっているが…」なんてコメントが陣営から出ることが少なくありません。それだけ、「中2週=間隔が短い」といった認識が一般的になっているのでしょう。GⅠでも、例えば、ヴィクトリアマイルと安田記念の間は中2週なので、グランアレグリアやソングラインは「短いレース間隔がどう出るか」といわれました。


ドゥラメンテ

 同時に実装されたドゥラメンテについては昨年秋から放送されたアニメ第3期との〝伴走note〟でガッツリ触れました。お時間あればぜひ!ですが、アニメのネタバレを含みますのでご注意ください。


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