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天皇賞・春といえば「ウマ娘」で感動をくれたライスシャワー!〝孤高のステイヤー〟を東スポで振り返る

第3弾です!

 先週公開させていただいたウオッカとダイワスカーレットの記事をたくさんの人に読んでいただき、感激しております。本当にありがとうございました。皆さんの「いいね」や「スキ」がウオッカとスカーレットに届けばうれしいです。

 そして、おかげさまでこの企画、しばらく続行となりました。競馬担当ではないとはいえ、一応は現役の記者ですので普段の取材、編集作業があるのですが、調教師(年下の東スポnote編集長@ドS)がスパルタなのです。ゴールデンウイークに短期放牧に出されることもなく、坂路でビシバシ追われることになります。私がミホノブルボンになれるかどうかは皆さんの励まし次第ですので、応援よろしくお願いします。

 というわけで、第3弾(記事としては4本目)。私はゲーム「ウマ娘」はもちろん、アニメ「ウマ娘」のファンでもあるのですが、今年1~3月に放送されたSeason2で最も印象深かったのはライスシャワーでした(いい年して泣きました。7話と8話は神回!)。「勝っても誰も喜ばない。勝ってもみんなを不幸にする」「(結婚式で行われる)ライスシャワーという幸せの名前の自分が…」。そうつぶやくオドオドした小さい女の子。強くなってしまったが故にヒール扱いされ、悩みます。詳しくはネタバレになるので避けますが、その代わりに実際のライスシャワーを東スポで振り返ってみました。「偉業を阻んだ」といわれるレースは、実際、どのような状況で行われたのか、どうしてヒールという立ち位置になってしまったのか、何より勝利が偶然ではなかったことが伝われば幸いです。(文化部資料室・山崎正義)

1992年 菊花賞

 皐月賞とダービーを制していた同級生のスーパーホース・ミホノブルボンの3冠を阻止したのが菊花賞です。まずはそのときの本紙競馬欄(馬柱)をご覧ください。

菊花賞・馬柱

 ブルボンに◎がズラリ。記者がそれよりも自信を持って推奨する黒で塗りつぶした◎もあります。隣にいるライスが2番手評価なのも伝わると思いますが、2頭の人気は1番人気と2番人気なのに大きな差がありました。単勝オッズはブルボン1・5倍に対して、ライスが7・3倍。〝ブルボンの3冠濃厚〟という見方が中心だったことが分かります。
 
 なぜここまでだったかというと、ライバルがいなかったんです。3歳牡馬(若いオス)のクラシックは皐月賞とダービーが春、対して菊花賞は秋なので、夏の間に力をつけた春とは別の有力馬(上がり馬)が出現することがあるんですが、このときはそんな馬もいませんでした。唯一ライバルになれそうだったダービーの2着馬ライスも、関東の前哨戦で2着した後、関西の前哨戦に出走したものの、ブルボンに圧倒されていました。完全な1強で、菊花賞直前の段階では、ライスはブルボンの「ライバル」という立場ではなかったのです。2番人気ですが、「逆転は難しい2番手」という評価でした。

 というわけで、多くのファンが、史上5頭目、無敗では2頭目の3冠馬誕生の可能性が高いことを感じ取っていたのは間違いありません。テレビ中継では、実況の杉本清アナウンサー(競馬の実況でめちゃくちゃ有名な人です)が、スタートでゲートが切られる直前、「3冠馬へ、行けブルボン」とも口にしています。そして、ブルボンは4コーナー手前で満を持して先頭へ。しかし、すぐ後ろでマークしていたライスシャワーがしのび寄り、残り100メートルで並び、かわしたのです。

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 映像を確認してもらえればよく分かりますが、ゴールの瞬間、京都競馬場には歓声に加えて悲鳴とため息。ファンの反応を物語るこれ以上のものはないかもしれません。当然、翌日の本紙もブルボンの敗戦を大きく扱っています。

菊花賞・結果

 ただ、ライスだって最後の1冠を取るために、ブルボンを逆転するために仕上げてきていました。実際、記事ではライスの騎手が1週間前にこんなことを話していたと書いています。

「最初から気後れして馬にまたがるわけにはいかない。こっちのほうに絶対距離適性があると思って乗るよ」

 そう、そもそもライスとブルボンには距離適性に差があったのです。ライスは気性的にも血統的にも長距離はドンとこいでしたが、「ブルボンは短距離タイプ」とは春先から言われていたことで、誰もが距離が延びることを不安に感じていました。それを証明するのが、2000メートルの皐月賞を勝った次走、2400メートルで行われたダービーの本紙です。15番を見てください。

ダービー・馬柱

 2冠馬の割に印が少ないと思いませんか? そう、この時点で既に400メートルの距離延長は不安視されていたんです。それなのに結果的に4馬身差で圧勝したことで、もともとスパルタ調教で知られるブルボンは「練習によって距離適性も克服した」と思われたのでしょう。さらに前述の通りライバルや新興勢力が台頭しなかったことで、もっと距離が延びた(条件が悪くなっていた)3000メートルの菊花賞でも大本命となったわけです。しかし、やはり適性というものはあります。上の菊花賞翌日の記事ではブルボン陣営がレース後にこう語っていたと書いてあります。

「馬の資質(能力)は努力次第で変えられる。しかし、本質(性格からくる距離適性)までは変えられなかった」

 こう聞くと、ライスの逆転は必然だったとも言えます。しかし、〝ヒール感〟の残ったまま、今度は長距離適性抜群の先輩と、3200メートルでぶつかるのです。

1993年 天皇賞・春

 古馬になった(オトナになった)ライスは、大目標である天皇賞・春に向けて前哨戦を2戦して、徐々に調子を上げていきます。待ち受けるのは過去2年の天皇賞・春を勝っているメジロマックイーン。ウマ娘で良家のお嬢様キャラとして登場する通り、おじいちゃんもお父さんも天皇賞を勝っている(親子3代制覇)名門の出身で、ミホノブルボンと違い、長距離適性もバッチリです。前の年の秋はケガでお休みしていたものの、4月の復帰戦をレコードタイムで圧勝し、万全の状態で本番に臨んできました。ファンやメディアの見方は「前人未到の3連覇に向けて死角なし」といったところ。新聞での印は…。

93年天皇賞・馬柱

 やはりマックイーン断然で、単勝オッズは1・6倍でした。対してライスは5・2倍の2番人気。1番人気馬は違いますが、菊花賞の時よりオッズが低いのを見ると、「ライスの逆転もあるかもしれない」というファンもかなりいたはずです。実際、ライス陣営は打倒マックイーンに闘志を燃やしていました。何週にもわたりハードなトレーニングを重ね、天皇賞が行われる週の調教でも長い距離を走り、しかもビッシビシと鞭を入れられていました。やりすぎを心配されるほどでしたが、騎手は「大一番にふさわしいデキ。叩き3戦目で最高潮に達してきたと判断してもいいですよ」と語っています。

93年天皇賞前4月20日

天皇賞ウイークのライス。殺気すら感じられたという

 ただ、やっぱり、記録がかかっているときは、どうしてもそっちの方に注目が集まりますよね。視聴者が望むものを提供しなければならないレースの実況もそうでした。杉本清アナがマックイーン中心にしゃべるのも当然でしょう。スタートが切られ、1周目のスタンド前を通過して2周目に入るときには、しっかり「マックイーンにご注目ください」とカメラをそちらに向けさせています。大本命マックイーンは3~4番手の絶好位で2周目の2コーナーに向かっていきました。

 一方のライスはスタートしてからずっと内の5~6番手でじっとしていました。虎視眈々といった感じですが、2周目の向こう正面で少しだけ外に出し、マックイーンの左斜め後ろにつけます。そして、3コーナーを過ぎ、マックイーンが仕掛けて2番手に並びかけようとすると、離れず、そのまま斜め後ろをついていく。4コーナーを回ったところでマックイーンが先頭に立つ。「マックイーンの独走になるか」と杉本アナ。しかし、既にその時にはライスが並びかけていました。残り200メートルの標識を待たず、あっさりとかわそうとしたところで、杉本アナが「今年だけもう一度頑張れマックイーン」と叫びますが、その声も虚しく、差を広げていきます。終わってみれば2馬身半差をつける完勝でした。

93年天皇賞1

 ゴール直後の杉本アナの言葉が、当時のファン目線と近いので並べてみます。「関東の刺客、ライスシャワー」「昨年の菊花賞でもミホノブルボンの3冠を阻んだライスシャワー」「春の天皇賞ではメジロマックイーンの大記録を打ち砕きました」。翌日の各メディアも「マックイーン敗れる」「3連覇ならず」がほとんど。本紙はこんな具合でした。

93年天皇賞・結果

 やはり、2着だったマックイーンの扱いが勝ったライスぐらい大きいです。しかし、よく読んでみると、ライスの強さが浮き彫りになっていきます。マックイーンの騎手・武豊と調教師のコメントを抜粋してみましょう。

「力は出し切っていると思う。相手が一枚上だったということです」(武豊)
「最高の状態で出走させられた、という自信はあるし、正攻法で負けたのでは仕方ない。勝つ自信はあったが、これが競馬です。ライスシャワーが強かっただけ」(調教師)

 完敗を認めています。勝ち時計もレコードタイムでしたし、2着だったマックイーンもタイム的にはレコードで走っていますから、やはりライスが上だったのです。「ついて来れるならついて来い」とばかりにスパートしたマックイーンについていき、しっかり勝ち切ったライス。マラソンランナーらしく、ムダ肉を削りに削った前走比マイナス12キロで出走してきた〝究極の出来〟は、もはや語り草です。JRAは2012年のCMで、この時のライスを「極限まで削ぎ落した身体に鬼が宿る」と表現しています。このあたりがしっかり反映されているアニメも素晴らしいので、ぜひ一度観てみてください。

 そうそう、私としては名勝負を演出したマックイーンにも拍手を送りたいですね。このときは既に6歳。人間で言えばだいぶオジサンですし(対するライスは脂が乗り切った20代)、その年齢でケガを乗り越え、レコードタイムで走るのは並大抵のことではありません。いずれこの連載でも詳しく現役生活に触れてみたいと思います。

 ちなみに、2周目向こう正面で、ライスがマックイーンの斜め後ろにぴったり張り付いた作戦は、昨年の3冠馬・コントレイルに対し、菊花賞でアリストテレスがとったマーク戦法に似ています(アリストテレスは今週の天皇賞・春に出ますよ~)。ピタッとついて来られるのは本当に嫌だそうですが、コントレイルは最後まで抜かせませんでした(すごいです)。

1995年 天皇賞・春

 ライスシャワーはマックイーンを破った後、スランプに陥ります。秋は3、6、14、8着。翌年は復権を期し、5→2着と調子を上げつつ、天皇賞・春の連覇を目指しますが、骨折をしてしまいました。

94年春の骨折

 年末に復帰して有馬記念で3着に入るものの、年が明けた95年も2戦とも6着で、調子は上がってきません。メディアやファンの間でも「マックイーンとの一戦で燃え尽きた」という声をよく耳にしましたし、植え付けられてしまった〝刺客キャラ〟も影響して、正直、人気ホースというくくりではなかったと思います。「前は強かったけど、今はちょっと期待するのは酷かな…」。そんな見方で迎えたのが2年ぶりの天皇賞・春でした。

95年天皇賞・馬柱

 新聞の印も微妙ですよね。完全に無視している人もいれば、◎をつけている記者もいます。ただ、この◎も、「あまりにメンバーが弱いので、長距離適性だけでひょっとしたら何とかなるかもしれない」というニュアンスが強いものでした。実はこの年は、強い馬が相次いでリタイアしており、お世辞にもGⅠと呼べるようなメンバーではなかったんですね。4番人気と支持はされていましたが、誰もが半信半疑で見ていたはず。しかし、そんな視線を裏切ったことでライスは多くの人の心を打ちます。言葉だけで表現すれば「劇的な復活」なんですが、私が強調したいのはレースぶり。2周目の3コーナーで先頭を奪い、超ロングスパートをかけるのです。ゴールドシップの菊花賞でも触れましたが、スタミナを温存するのが大事な京都競馬場の長距離レースで、早仕掛けはセオリーに反します。しかし、ライスは奇襲とも言うべきそれをしました。皆が出方をうかがっている中、スランプに陥っているオジサン(このとき6歳)が一番先に動き、無謀で強気な、最も若々しいレースをして、最後の最後、ハナ差で勝つのです。

95年天皇賞

 翌日のこの紙面では陣営が「あそこで先頭に立つのは賭けだった」と話していたことを伝えています。正直、まだいいころのライスに戻ってはいなかったこと、それでもレース前日に異例の激しい追い切りをかけて馬を追い込んだことも明かされていますが、それ以上に、何と言ってもレースぶりでした。年老いた引退間際のボクサーが、消えかけた闘魂に火をつけ、若い選手相手に真っ向から打ち合いを挑み、フラフラになりながら逆転KO勝ちを収めるイメージでしょうか。セコくない、何とも男らしい戦いぶりに、今まで刺客扱いしていたファンもライスを主人公として認めるのです。そして、上半期の総決算、宝塚記念のファン投票で1位となります。ミホノブルボンやメジロマックイーンの偉業を阻んだ後のファン投票でも1位にならなかった馬が、生涯で初めて1位に輝くのです。

1995年 宝塚記念

 天皇賞の疲れもあり、ライスは本調子ではありませんでした。レースの週の調教を報じた本紙がこれです。

95年宝塚追い切り

 見出しはあくまで「及第点」。2200メートルという距離もライスにとっては短く感じられました。ファン投票1位なのに、記者は重い印をつけていません。

95年宝塚・馬柱

 レースでは後方を進みました。いつもの行きっぷりではなく、3コーナーを過ぎて上がっていこうとするものの、4コーナーの手前で故障を発生して転倒してしまいます。左第一指関節開放脱臼、粉砕骨折で、安楽死処分となってしまいました。「骨折しただけでなぜ?」と思う競馬初心者の方もいらっしゃるでしょうが、競走馬が重度の骨折によって4本脚で立てなくなると、折れていない他の脚に過度な負担がかかり、死に至る病を発症してしまいます。回復の可能性がほとんどないため、馬を苦しめないために安楽死の処置が取られるのです。

95年宝塚・結果

 ヒール→ヒーロー→非業の死。その後に待っていた過剰とも言えるファンの反応については様々な見方があるでしょう。受け取り方も人それぞれだと思いますが、ゲームやアニメのヒットによって、類いまれなる孤高のステイヤーに注目する人が増えたのは、長く競馬を続けてきたファンとしては嬉しい限り。競馬を知らない方々と、当時の状況を共有できたならいいのですが…なんて書いているうちにもう一度、アニメのライスシャワーを見返したくなりました。今日はこの辺で。またお会いしましょう!

おまけ

 っと、忘れてました。95年の天皇賞・春で小ネタをもう2つ。

 杉本アナはライスシャワーが先頭で4コーナーを回った時「やっぱりこの馬は強いのか!」と驚きを言葉にします。ファン目線を忘れない実況はさすがです。ゴール後「おそらくメジロマックイーンも、ミホノブルボンも喜んでいるでしょう」とも言っています。

 もうひとつは、最後の最後、大外から猛追してライスシャワーをハナ差まで追い詰めたステージチャンプ。差し切ったと勘違いした騎手がガッツポーズをしてしまったことも有名です。前回のウオッカ&ダイワスカーレットの天皇賞・秋ではないですが、本当に僅差だと、騎手でさえ勝ち負けが分からないんですね。

 というわけで、皆さんにお時間を取らせないようサクッと読めるものにしないといけないことは分かっているんですが、また長くなってしまいました。私、どれだけ競馬が好きなのでしょう。

 そうそう、実は次回にどの馬を書くか迷っています。ツイッターで皆さんのご意見を聞かせてください!

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