マガジンのカバー画像

【プロ野球】シモノハナシ

26
下柳剛氏の連載をまとめました
運営しているクリエイター

記事一覧

「金本監督」「矢野監督」の下で投手コーチは無理【下柳剛連載#26/最終回】

前の話へ / 連載TOPへ  過去にも米球界に挑戦するチャンスはあった。最も現実味があった…

150
東スポnote
6か月前
2

中学時代の体形はなんと160cm、90kg!【下柳剛連載#1】

 器用なようで器用ではなく、不器用なようで不器用でもない。エリートではなく叩き上げで、中…

東スポnote
1年前
14

洗ったレンコンに徹夜でからしを詰め込んだ【下柳剛連載#2】

連載TOPへ / 次の話へ 高校入学して最初に取り組んだのはダイエット 本当の意味で野球漬…

東スポnote
1年前
5

勝負は下駄を履くまで分からないっていうけど、ほんとその通り【下柳剛連載#3】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 甲子園が見えかけた県大会準決勝で…長崎の瓊浦高の…

東スポnote
11か月前
11

社会人時代の3年間は貧血で倒れ、血尿が出るほど練習した【下柳剛連載#4】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ バラ色の未来が一転して暗黒の世界に 夢だったプロ…

東スポnote
11か月前
9

先輩の披露宴の席で聞いたドラフト4位指名【下柳剛連載#5】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 周囲に説得されダイエーに入団することに 左投げで…

東スポnote
11か月前
11

プロたるものポーカーフェイスにしているべきだと思っていた【下柳剛連載#6】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 〝オヤジ〟に教えられたプロの心構え 1993年のシーズンからダイエーの代表取締役専務兼監督となった根本陸夫さんには、ほんとお世話になった。すでに66歳という高齢だったこともあって、当時から親しみをこめて「オヤジ」と呼ばせてもらっていた。  オヤジは世間的に「怖い人」というイメージで見られがちだけど、実際に接しているとおちゃめな面も多々あった。93年の開幕直後には投手交代でマウンドに駆け寄った際に右太ももを痛めて、アイシングしながら

「これがお迎えってやつか」。冗談抜きにそう思った【下柳剛連載#7】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 三菱GTOを駆って家路に就いた途中、痛恨のハンド…

東スポnote
10か月前
14

岩本勉は几帳面で、リモコンにラップを巻く【下柳剛連載#8】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 二日酔いで頭がガンガンする中、トレードを告げられ…

東スポnote
10か月前
10

「沖縄中のうどんを食べつくすんじゃないか!?」ってウワサされた落合博満さん【下柳剛…

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 些細なことから感じた落合さんのプライド 日本ハム…

東スポnote
10か月前
19

今なら素直に言える。「イチローくん、あのときはゴメン」【下柳剛連載#10】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ ストレート発言に疑惑の目を向けてきたイチロー 1…

東スポnote
10か月前
6

六本木にあった行きつけのラウンジが「犬OK」になった【下柳剛連載#11】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 1997年のクリスマスイブに1億円プレーヤーの仲間入…

東スポnote
9か月前
7

シーズンオフ“異種トレーニング”の出発点は酒!【下柳剛連載#12】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 高田道場のボクシングトレーニングで思わぬ〝悲劇〟…

東スポnote
9か月前
11

契約更改でモメるにはモメるなりの理由があったんだ【下柳剛連載#13】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 交渉次第で給料が上がるんなら、誰だってやるでしょ? 現在のプロ野球は野球協約の第173条で「球団又は選手は、毎年12月1日から翌年1月31日までの期間においては、いかなる野球試合又は合同練習あるいは野球指導を行うことはできない」と定められていて、その期間の練習は選手の自主性に委ねられている。  だから、契約さえ済んでいれば基本的に何をしてもOK。それこそオレがプロ入りした当初は、ダラダラと12月を過ごして、1月に入ってようやく体を