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試合前には必ずシーチキンの缶詰を食うことを欠かさなかったブロディ【ターザン後藤連載#4】

 全日本プロレス時代はよく先輩に怒られたが、亡くなったブルーザー・ブロディには、かわいがってもらった。

 カリフラワー状になってしまった左耳を治療して、ようやく治りかけてきたところに、試合でブロディに蹴飛ばされてしまった。また腫れあがり、それこそマギー審司の一発芸のように、耳が「でっかくなっちゃった」――。

 ブロディに悪気があったわけじゃない。引き揚げてくると「わりい、わりい。知らなかったんだ」と謝ってきた。下っ端のオレに頭を下げてくれたんだ。下の人間には優しい人だった。

 先輩からかばってくれたこともある。控室でキャッチボールをしていたら、蛍光灯を割っちまって、音を聞きつけたブロディは、自分の試合前なのに「ここは任せろ。いいから早く行け」と逃がしてくれたんだ。おかげで大目玉を食らわずに済んだ。

イスで鶴田を襲うブロディを遠巻きに見つめるターザン後藤(左から2人目)

 ほかにもある。アレは博多大会の出来事だった。いつものように選手をリングに先導していると、ハンセンに殴りかかった不届き者が現れた。

 オレは20歳ぐらいのその男を控室に連行して、徹底的に痛めつけてやった。顔面が変形しても殴り続けた。血だるまにつるし上げてレフェリーが止めに入る騒ぎになったが、ブロディだけは「止めるな。やらせろ」と言ってくれたんだ。

 ブロディは人一倍、プロレスに自信と誇りを持っていた。練習を他人にマネされることすら嫌ったほどで、プロレスラーに手を出すという非常識な行動が許せなかったんだろう。

 ジムで一般人にトレーニング方法をパクられただけで「ノー、ノー」と怒り出した。それでも続けていると、バーベルを挙げた瞬間にブロディはストンピングを、その人の腹にブチ込んでいった。ちょっとやりすぎなところもあって、オレが言うのもなんだけど、ヒヤヒヤさせられたことも多かった。

 とにかくこだわる男だった。理由は分からないけど、会場ではスクワット、試合前には必ずブーツに入れておいたシーチキンの缶詰を食うことを欠かさなかった。自分で「いい」と思ったことは、とことん続けていた。

プロレスに対する情熱は凄まじい

 オレが21歳で初めて米国修行に行った時だって、ヒンズースクワットを200回でやめたら「それじゃ全然足りない。日本で通用しないぞ」とアドバイスしてくれた。試合も陰から見守っていてくれたし、プロレスに対する情熱は凄まじいものがあった。

 しかし、だ。「頑固さ」は一歩間違えると「迷惑」でしかない。

 バスで高速道路を走っていると突然、ブロディに1万円札を渡され「ビールを買ってきてくれ」だよ。夜も遅いし、早く移動しなきゃいけないし「そう言われても…」と困り果てていると、ブロディは「ビールだ、ビール」と怒り出した。サービスエリアにも売ってないことが分かると、オレからカネを奪い返し、高速を下りて深夜だというのに真っ暗な街中で、酒屋を探すことになった。

トレーニングするブロディ(1982年12月、大阪)

 言いだしたら聞かないから、外国人係の苦労は尽きないよ。

 ブロディが生きてたら、素人に毛が生えたような今のインディをどう思うかな。無鉄砲なハンセンとは対照的に、何事にも緻密な計算を働かせていた。

 唯一、計算が狂ったのは、東京での宿舎があった品川駅前を、若い奇麗な女の子と歩いていたところを、オレに見られたことだな。バスの中で「ヘイ、ブロディ、グッド・モーニング」って声をかけたら、バツの悪そうな顔をしていた。今となっては懐かしい思い出だね。

※この連載は2006年2月3日~3月まで全6回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やしてお届けします。

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