4トントラックにひかれた本間朋晃「なぜムタは逮捕されないんだ?」【豪傑列伝#32】
1997年に大日本プロレスでデビューを果たした本間朋晃は、数々の過激デスマッチをくぐり抜けてきた。
その後、2004年に全日プロに入団。「王道」に足を踏み入れたかと思いきや、まさかここでデスマッチ団体での経験が生きるとは…。
同年6月9日の石川・金沢大会で小島聡とタッグを組んだ本間は、何とムタに自動車でひかれる惨事に遭った。もともとは小島がムタ戦を熱望したことから組まれた一戦で、本間は単なる「とばっちり」を受けただけだった。
めげない本間は翌10日の長野大会に元気に出場。事故翌日も試合をするとはレスラーのかがみだ。ところが2か月後の8・30釧路大会で、本間は再びムタに襲撃を受ける。今度は4トントラックだ。これも当時、3冠王座挑戦を控えた西村修がムタに「悪」の伝授を請うたことに端を発したものであり、本間は「いけにえ」に過ぎなかった。不運と言うしかない。
2度にわたる「ムタひき逃げ」の被害者となりながら大けがを負わなかった本間は、まさに不死身と形容していい。デスマッチで鍛えられた屈強な肉体がタフネスさの源とか思いきや、実はもう一つ大きな要素があった。本間は高校生のころにも地元・山形で車にはねられた経験があり、それで「免疫ができていた」と胸を張る。自慢するようなことでもないと思うが…。
※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。