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沼澤邪鬼が語る初めての蛍光灯デスマッチ「いきなり死にそうになりました」【豪傑列伝#31】

 デスマッチの雄・大日本プロレスでも、一部から熱狂的な支持を集めているのが“黒天使”沼澤邪鬼だ。ケガを恐れず、理不尽な言動も数知れない。その生きざまは「神様」の異名通りだ。

沼澤の生死を超えたパフォーマンス。アブドーラ小林(左)に蛍光灯と炎の中に落とされた

 幼いころからケガと隣り合わせだった。3歳の時に不注意から左手を骨折し、中学時代には柔道部の練習で受け身に失敗して右ひじを骨折。生まれて初めて入院生活を余儀なくされた。高校卒業後は地元の埼玉・本庄市の工場に就職。その後は職を転々としたが、レスラーになる夢をあきらめきれず、2000年に大日プロに入門。同年11月にデビュー戦を飾ったが、待っていたのはケガとの闘いだった。

【沼澤の話】最初から骨折だらけでした。デビューしたての01年の春先に、リングから降りる時に左足の下駄骨折(第5中足骨基底部骨折)をしてしまい、2か月ほど休みました。その秋に頸椎を折って、02年5月の試合中に、今度は背骨の圧迫骨折をやったのを覚えています。

 聞くだけでも痛々しい話だが、これらはすべてデスマッチを始める前のこと。03年秋から念願のデスマッチ戦線に乗り込むと、体はいよいよ傷だらけとなる。

【沼澤の話】初めて蛍光灯デスマッチをやった時に、いきなり死にそうになりました(笑い)。蛍光灯の破片の山に投げられたんですけど、運悪く破片が肺の壁近くまで刺さって、肺がしぼんじゃったんです。大量出血で集中治療室に運ばれて、意識を失いましたね。それでも1か月ほどで復帰できたんですが、その何週間後かに2階からダイブして、右足を粉砕骨折しました。その時は腰の骨を右足に移植して、9か月ぐらい休みましたね。

「殺したいほど愛してる」健闘を称え合い、熱いキスを交わす沼澤(右)と葛西純(2009年3月、新木場)

 それでも「神様」が危険な戦いをやめることはなかった。05年6月には、大日プロ史上最凶との呼び声が高い「有刺鉄線ボード&カミソリ十字架ボード+αデスマッチ」で葛西純と対戦。惜しくも敗れはしたが、この一戦を機に覚醒した沼澤は自ら「キ○ガイ」を名乗り、連日連夜の死闘を繰り広げている。試合後には毎回のように、血だらけで自分の頭を蛍光灯で割るパフォーマンスを披露。ケガを恐れない戦いぶりと理不尽な行動で、熱狂的なファンの支持を集めている。

【沼澤の話】思えば確かに「キ○ガイ」ですね。控室ではいつも全裸になりますし(笑い)。おそらく大日本の選手で、ボクの恥部を見たことない人間はいないでしょう。警察ざた? 職務質問されることはよくありますけど、捕まったことは今のところありませんよ。

 デスマッチとともに歩んできた「神様」。何とも痛々しく、かつ謎が多い沼澤だが、まだまだ暴れ足りないらしい。デスマッチの知名度を高めるため、捨て身の戦いを続けていく覚悟だ。

【沼澤の話】こうなったら頭蓋骨を折るしかありませんね。今年はデビュー10周年ですし、話題を集められるように頑張ろうと思います。 

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。


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