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ハーレー・ダビッドソンに乗せられ「死ぬかと思った」【タイガー服部が語る強豪外国人#3】

武勇伝のオンパレード、喧嘩で勝てるヤツはいなかった

 数々の外国人レスラーの中でもとりわけ喧嘩の武勇伝が多いのがホーク・ウォリアーだ。

 すごく一本気ないい男なんだけど、暴れると手がつけられない。六本木では同じくらい喧嘩っ早いエディ・ゲレロを10メートル吹っ飛ばしたこともあったし、北朝鮮の平壌でスコーピオともやっている。160キロぐらいあったキラー・カーンを持ち上げたこともあった。

ノートン(右)にキックを見舞うホーク(1993年8月、両国国技館)

 巡業オフの北海道でランディ・サベージとやった時は参ってしまった。というのもその日はテレビ撮影の予定だったからだ。どうもアメリカでホークが奥さんと一緒にジムで練習していた時にサベージにからかわれたのが発端だったらしいけど、こっちとしてはたまったもんじゃない。結局、2人一緒でのテレビ撮影は流れてしまった。

 手を焼くことも多かったけど、感心することもあった。場所はどこだったか覚えていないけど、イラン人をボコボコにした時、怒った相手に刃物を持ち出されて首にザクリと斬りつけられた。首筋から血がダラダラ流れていてオレは「ヤバイ」と思ったけど、ホークは大丈夫だった。傷口が腫れていたのに3日後に何食わぬ顔で試合をしていた。大したものだ。

 あいつの喧嘩癖はミネソタの高校時代かららしい。同級生のカート・ヘニングもやられたらしい。腕相撲世界一のスコット・ノートンもホークには一目置いていた。おまけにタッグパートナーのアニマルもよく殴っていた。ホークの周りで、アイツに喧嘩で勝てるヤツはいなかった。

 私生活もすごかった。ご自慢のハーレー・ダビッドソンに乗せてもらったこともあったけど、すごいスピードを出しやがった。オレは死ぬかと思った。

鋼の肉体で世界のマットを震かんさせたホーク・ウォリアー(右)

ホークの奥さんが残した名言「ウソをつかない生き方を教えてくれたのは彼です」

 酒もハンパじゃない。外国人レスラーには巡業の最後の日にギャラを支払うんだけど、当然前借りするヤツもいる。ホークなんかは常習者の一人。給料日の時に支払う金がなかったなんてこともあった。

 すべてがメチャクチャなヤツだった。喧嘩、酒、そしてヤツはプロレスを続けるために痛み止めを飲み続けていたらしい。だから寿命を縮めて45歳で亡くなってしまった。でもホークは真っすぐな男だった。葬式の時に、彼の奥さんが言った「ダンナは生き方がメチャクチャで私に残してくれたものは何もなかった。ただ、私にウソをつかない生き方を教えてくれたのは彼です」という言葉は今でも刻まれている。

 それにしてもアイツと同郷の同級生だったヘニング、リック・ルードも早死にしてしまった。生きてるのはスコットだけだ。オレは何だかとても寂しい。ただ、ホークは天国でヘニングと戦っているだろうから、寂しくないんだろうな。

※この連載は2006年4月9日~5月まで全6回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やしてお届けします。

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