東スポnote
東京スポーツ新聞社の紙面で過去に掲載された連載がまとめて読めたり、ココだけしか読めない…
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高級クラブをはしごしても最後は野球の話に戻った〝野武士〟集団【石毛宏典連載#6】
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守備は私が上!!原辰徳に強烈ライバル心 1981年のプロ野球が開幕した4月4日、私は「1番・ショート」で先発出場した。デビュー戦だ。敵地・川崎球場で行われたロッテ戦。開幕戦とあってマウンドにはエースの村田兆治さんが立っていた。「まさかり投法」と呼ばれるダイナミックなフォームでパ・リーグを代表する右腕。その村田さんから4打数3安打1打点、1本塁打、2盗塁。
全国穴掘り大会の練習で不発弾を発見!
まさか警察と自衛隊を巻き込むとは…。それは毎年、千葉県成田ゆめ牧場で行われる「全国穴掘り大会」にDVDの企画で参加した時のこと。ルールは簡単。1チーム最大6人で30分間ひたすら穴を掘って一番深く掘ったチームが優勝です。
頂点目指し、我がチームのメンバー(僕と4人の後輩芸人)は大会前、千葉県四街道の知人Mさんの畑で穴掘り合宿を行ったんですが、そこで事件が起きました。スコップにガツンと固いものが
もし阪急が当たりクジを引いていたら、プリンスホテルで支配人をやっていたかもしれない【石毛宏典連載#5】
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プロ入り条件は「西武以外ならプリンスホテル残留」 1980年11月19日から千葉県旭市の実家で2日間にわたる家族会議が開かれた。議題は私の進路だ。
プリンスホテルに入社して2年が経過し、私は再びドラフト会議での指名可能選手になった。社会人でも2年連続で日本代表として国際大会に出場。特に2年目の8月に開催された第26回世界アマ野球選手権では最強軍団・キ