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【プロレス】豪傑列伝

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プロレスと格闘技界の豪傑のエピソードをまとめました。
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2024年5月の記事一覧

後藤洋央紀 おじいさんの幽霊に一発張り手するも「当たりませんでした…。」【豪傑列伝#17】

 心霊現象に興味を持つ人間は星の数ほどいれど、実際に100か所もスポットを回る度胸の持ち主はそういない。新日本プロレスの荒武者・後藤洋央紀は、そんな男の一人だった。ある究極体験をするまでは――。  “デビュー戦”は愛知県豊田市の旧伊勢神トンネル。トンネルの中に入ってクラクションを3回鳴らすと霊が寄って来るということで有名な場所だった。  そんな心霊スポット通の後藤でも忘れられない場所が、富山県にある廃屋旅館だ。「肝試しに向かった女性が失踪した」「関係者が自殺した」などとい

焼肉30人前をたいらげた中西学「結局俺が冷麺大盛り7杯食った」【豪傑列伝#16】

ゴツイ体のプロレスラーは星の数いるが、新日本プロレスの中西学ほど見事な肉体を誇るレスラーは数少ない。「野人」「最後のゴリラ」などの異名を取る中西は、筋骨隆々な体を維持するために食べる量もハンパではなかった。 2500キロカロリーが成人男性一日の摂取カロリーの目安だ。その約5倍とは尋常ではない。そんな男をテレビ局が放っておくはずもなく、期せずして大食いタレントとの対決も実現した。 こんな男が来店しようものなら、店側もたまったものではない。通い詰めた定食屋が中西にだけ特別料金

高校球児だった金丸義信「甲子園のブルペン内で暴投したのを覚えている…」【豪傑列伝#15】

 投手として甲子園出場経験がある金丸義信は、夏が来るたび野球に打ち込んでいた頃の自分を思い出す。実は大物メジャーリーガーから三振を奪ったこともある伝説の持ち主でもあった。  山梨県甲府市出身の金丸が野球を始めたのは小学校3年生の時。ほとんどのポジションをこなすマルチプレーヤーだったが、単に最適な守備位置が見つからなかったという理由もある。転機が訪れたのは、甲府市立北西中学校野球部2年生の時だ。投手に専念するや頭角を現し始めた。  金丸が選んだのは、山梨学院大付属高校。今夏

極貧から這い上がった中嶋勝彦「もちろん修学旅行は欠席です」【豪傑列伝#14】

 中嶋勝彦は、過酷な少年時代を過ごしてきた。貧しい幼少期を経て、14歳でプロレス界に入ってからは、1年365日24時間プロレス漬けの生活を送る。同年代の友人が青春を謳歌する間、ただひたすらに歯を食いしばって未来を見続けてきた。  3人兄弟の次男として生まれた中嶋は、母子家庭で育った。母親・富士子さんが家計を支えていたが、小学校高学年に入る頃から生活は苦しくなる。電気、ガスが止められることもしばしば。夕飯は母親が仕事先から持ち帰ったコーンスープだけという日もあった。  しか

〝大食漢〟鷹木信悟 吉野家で「特盛り4杯と定食4人前食って、ビールも飲んで…」【豪傑列伝#13】

 人並み外れた練習量を誇る鷹木信悟は、食べる量もケタ外れ。プロレス入り前にはテレビ番組で大食い王者との対戦経験もあるなど数々のエピソードを持つ。  同番組で鷹木はラーメン1杯を約30秒で平らげるガッツキぶりを披露し、チームをけん引した。さらにプロレス入り前に入門していたアニマル浜口ジムでも、大食いぶりを発揮。  浜口氏と食事に行けば必ずチャーハンを10人前…。先輩に食事に誘われたのに、食費を抑えるために牛丼店に行かざるを得なかった。  鷹木の大食い自慢は今に始まったこと