高校球児だった金丸義信「甲子園のブルペン内で暴投したのを覚えている…」【豪傑列伝#15】
投手として甲子園出場経験がある金丸義信は、夏が来るたび野球に打ち込んでいた頃の自分を思い出す。実は大物メジャーリーガーから三振を奪ったこともある伝説の持ち主でもあった。
山梨県甲府市出身の金丸が野球を始めたのは小学校3年生の時。ほとんどのポジションをこなすマルチプレーヤーだったが、単に最適な守備位置が見つからなかったという理由もある。転機が訪れたのは、甲府市立北西中学校野球部2年生の時だ。投手に専念するや頭角を現し始めた。
金丸が選んだのは、山梨学院大付属高校。今夏の甲子園にも出場した名門だ。さすがに有望選手が集う学校だったため、金丸の位置付けは3番手の投手。巨人でいえばグライシンガー、ゴンザレスに続く内海哲也のような存在だが、投手は3人だけ。ちなみに2大エースの一人は、後にオリックスに入団した五島裕二だった(現在は引退)。金丸投手は、サイドスローから繰り出す独特の球筋でタイミングをズラし、打ち取ることが多かったという。そして1994年、春のセンバツで初めて甲子園の土を踏んだ。
プロの道をあきらめた金丸は95年、全日本プロレスに入門した。そして今から5年ほど前、バラエティー番組の企画で、当時ヤクルトスワローズに所属していた岩村明憲内野手と対戦する機会があった。金丸の変化球は冴え、最後は絶妙のカーブで何と三振を奪った。岩村はその後、デビルレイズ(現レイズ)に入団。メジャーリーガーとして現在も活躍していることは説明するまでもない。
なお、その魔球の存在を証言するものは、金丸以外にいないという…。
※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。