「お前も男だな」、ある乱闘をきっかけにチームメートと〝ファミリー〟に【岩村明憲連載#8】
ナインの負け犬根性払拭に苦労した
僕が2007年からプレーしたデビルレイズ(現レイズ)において、当初苦労したのはナインの負け犬根性をいかに払拭するかにありました。
チームメートの意識改革は簡単なことではなかった
その年の6月にはこんなこともありました。当時のア・リーグ東地区は開幕からレッドソックスが勝ち星を積み重ね、独走状態にありました。するとある日の試合後のクラブハウスでこんな声が聞こえてきたのです。
「また、来年!」。思わず耳を疑いました。気がつくと、その言葉を発した選手の元に「また来年って、どういうことだ!? まだ、6月だぞ!」と詰め寄ってました。
明らかに負け癖から出た言葉を看過することはできませんでした。「切り替えたい気持ちは分かるけど、もう少し悔しがろうぜ!」と続けると、言われた選手はムッとしていましたね。「負けていいとは思ってない。何でお前にそんなことを言われなくてはいけないんだ」と反論してきました。さらに「一生懸命やった結果だからしょうがないじゃないか」と開き直ってきました。
これには頭に血が上りましたね。「バカか、お前は!」と気がつけば、クラブハウスでけっこうな言い合いとなっていました。
レッドソックスの松坂と対戦した岩村(07年7月、フェンウェイ・パーク)
メンタル面も課題でしたが、プレーに関していえば、日米での守備に対する意識の差も気になりました。
たとえば走者が一塁にいて、エンドランがかかっている。そしてセンターに打球が飛ぶと、中堅手は何も考えずに間に合わない三塁へダイレクトで投げるんですね。
少しでも返球が低く投げられれば、打者走者の二塁への進塁を防ぐことができ、ひいては失点を防ぐことにもつながります。日本球界ならば当然の常識ともいえますが、チームではそういったことも一からナインに伝えていきました。
言い方も気をつけました。それこそ「お前はバカか!」などと言おうものなら、相手がふてくされてしまうのは目に見えています。なので「お前の肩の強さはよく理解している。お前の身体能力が高いこともわかっている」と前置きした上で「打球を見て、投げたくなっただろうけど、打者走者を二塁に行かせないことも考えようぜ!」と声をかけました。
まず相手のことを認める、その上でアドバイスを伝えるようにする。本人たちにはメジャーリーガーとしてのプライドもあります。その点は気を使いました。
ヤンキースの松井、井川と談笑する岩村(07年7月、トロピカーナ・フィールド)
また、逆にコミュニケーションを図る意味で日本語の本を配ったりもしました。こちらも向こうを知ろうと努力しましたし、同様にせっかく同じ時間を過ごすのだから、日本にも興味を持ってほしい。
そうすることで「アリガトウ!」「コンニチハ!」など、日本語のあいさつが飛び交うようになり、少しずつチームの雰囲気が明るく変わってきました。戦う集団になってきたと感じたのは08年に入ってからのことでした。
マドン監督と喜ぶ岩村(07年4月、メトロドーム)
一気に距離が縮まった乱闘事件
メジャー挑戦1年目の2007年はア・リーグ東地区最下位に終わりました。自身のことでいえば、環境の違いに苦労したり、ナインのモチベーションの低さを嘆いたりといろいろありました。
そして迎えた08年シーズン。万年最下位だったチームにも、少し明るい兆しが見えてきました。
メジャー屈指の強打者、オルティスと話す岩村(07年9月、フェンウェイ・パーク)
開幕から1か月がたったころに3連戦で勝ち越すようになって、貯金ができるようになってきたんです。ヤンキース、レッドソックスなど常に上位にいたチームがこの年は揃って不振だったことも影響しました。
個人的には5月にレッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パークの左翼にそびえる通称「グリーンモンスター」を越える本塁打を打てたことはうれしかったです。
左打者でありながら、あの左翼フェンスを越えたということでそのパワーで注目を集めましたが、何よりも僕が打つことでベンチがパッと盛り上がる。そのころにはそういうムードができていたことがうれしかったですね。チームが少しずつ強くなっている、そんな実感を感じ始めていました。
一方で守備では二塁にコンバートされ、必死に取り組みました。よく二塁手は野球をよく知らないとできないといわれますが、実際にやってみて、その意味がよくわかりました。
打球の方向、ベースカバーなど様々なことに目を配る必要があり、常にその次の行動を考えながら、動かないといけない。もともと中学時代に二塁は経験したことがあり、経験ゼロではなかったですが、やはり慣れるまでには苦労しました。
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