〝氷上の哲学者〟小平奈緒は歩みを止めない…だからスゴイ、だから強い
4年前とは異なる光景だった。すぐには立ち直れないかもしれない。それでも、歩みを止めないのがスピードスケート女子の小平奈緒(35=相沢病院)というアスリートのスゴさであり、強さであると北京五輪を通じて改めて実感した。
記憶に刻まれた平昌五輪だったが、そこから苦しみが始まった…
前回の平昌五輪では1000メートルで銀メダル、連勝街道を突っ走っていた500メートルでは五輪新記録の36秒94をマークして金メダルに輝いた。
「実際に見た景色は涙でかすんで、ほとんどみなさんの顔も見えなかった」
レース後には3連覇を目指しながらも銀メダルに終わり、号泣する李相花氏(イ・サンファ、韓国)と熱い抱擁を交わしたシーンが世界中で大きな話題となった。
記録にも記憶にも深く刻まれた平昌五輪。だが、それは苦しみの始まりでもあった。翌シーズンの終盤に股関節痛を発症。「平昌でも金メダルを取って、また勝ちを重ねていかないといけない雰囲気の中で調子が悪いとは正直に言えなかった」。無理がたたり、一時は片足でしゃがめない状況にまで悪化した。当初は右側を痛めていたものの、今度はかばっていた左側に痛みが移った。2019年2月には3年近く続いた500メートルの国内外での連勝記録が37でストップした。
「究極の滑りを目指すと言っておきながら、自分の体も使いこなせない状況では、この先がないなと感じた」
こう振り返りながらも、小平は決して諦めることはなかった。
勝つことを目標にしない、だからこそ続く向上心
なぜ苦しい中でもモチベーションを保つことができたのか。小平を中高6年間指導した宮田スケートクラブの新谷純夫氏はこう証言する。
「勝つことが目標になっていない。目指すところがスケーティングの完成や、より速く滑りたいというような方法を実践的に探って確かめてやってきている。平昌五輪はスケートをやってきてからの夢と研究、向上心、スケートに向かってきた思いが結実したもの。だからあの上を行く、次の4年間はあの上に行きたいし、あの上に行けるだろうっていう見通しがあるから続けてきたと思う。小さいときからですが、基本的なベースとしてスケートは好きですし、やっぱり楽しんでいるよね」
どうしたらもっと速くなれるのか――。〝スケートが好き〟との一心は今も昔も変わらない。20年11月には陸上トレーニングを取り入れ、周囲のサポートを受けながら股関節の違和感を修正。1月9日の会見では「8割ぐらいは自分の体だと思える状況まで一緒に積み上げてきた」と話すなど、北京五輪へ順調に仕上げてきたはずだった。
しかし、神様は残酷だった。1月15日に歩いて練習へ向かう途中、雪道で脚を滑らせてしまった。右足首を捻挫し、2週間ほど氷に乗ることができなかった。北京入り後、最初の練習となった31日には、氷に対し「最初のあいさつは上手にできたかな」と手応えを口にした一方で、不安は募るばかりだった。右脚の踏ん張りが利かないため、普段とは逆の左脚を後ろにして構えるスタートの形を模索。最後まで必死にあがいたものの、連覇のかかった500メートルは17位、1000メートルも10位に沈んだ。
ドラマの再現は幻に終わった。言葉を詰まらせる場面もあった。ただ、小平は「年が明けてから一度、絶望的な状況に陥ってしまった。この大会に間に合うか心配だったが、少しでも希望を見ることができたので、最後成し遂げることはできなかったけど、しっかりと自分なりにやり遂げることができたのかなと思う」と懸命に前を向いた。
韓国放送局「KBS」の解説席からレースを見守った戦友の李相花は、涙ながらに声援を送った。願いは届かなかった。でも、小平の思いは十二分に伝わった。
「最後まで完走する姿を見て、やっぱり奈緒だと思った」
ケガを言い訳にせず、最後まで懸命に戦い続けた小平は、李相花だけでなく、誰が見ても勇ましかった。
北京五輪を終えて次なる山に
今後の去就は未定だ。とはいえ、今季の戦いはまだ終わっていない。2月27日にはインスタグラムのストーリー機能を更新し「五輪閉幕後すぐにドイツに移動し、今は、少しでも自分を取り戻せるようにシーズンの最終舞台に向けたトレーニングを行っています。できない自分と向き合う時間から、徐々にできるようになる時間にシフトしつつあります」と報告。新たなる戦いに向けて、再び走り始めた。
これが勝負師か。「カッコいいな」と再認識したのと同時に、新谷氏のある言葉を思い出した。
「1つ山に登ってしまえば、山登りと同じでね、新しい景色が見える。登れるだけの気力と体力があるかという部分もあると思うけど、まだ行ける、その山に登れるって思ったら、彼女は辞めないだろうね」
次なる山はオランダ・ヘレンベーンで行われるW杯の最終戦「ワールドカップスピードスケート ファイナル」(3月12~13日)だ。そこにはいったいどんな景色が待ち受けているのだろうか。そして、その景色を見た〝氷上の哲学者〟はどんな言葉を残してくれるのだろうか。今から楽しみだ。(運動2部・中西崇太)