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13年越しのドラマ、ソフトボール日米決戦で実感したアボットの超一流メンタリティー

 目の前には13年前と同じ光景が広がっていた。

 当時小学6年生だった私は、テレビで放映されていた2008年北京五輪をかじりつくように視聴。新聞記事はスクラップし、今でも一冊のファイルに保管してある。その中で、特に印象に残っているのがソフトボールだった。決勝の米国戦では、強力打線相手に絶対的エース・上野由岐子投手(ビックカメラ高崎)が好投。打線も先発のキャサリン・オスターマン投手、2番手のモニカ・アボット投手(トヨタ自動車)から効率良く得点を奪い、3―1で勝利を収めた。上野を中心にマウンドで歓喜の輪を作った選手たちの姿を見て「カッコいいな」と興奮したことを今でもはっきり覚えている。

マウンド歓喜北京五輪08年8月

北京五輪でソフトボール日本代表が金メダルを決めた瞬間、マウンドの上野を中心に歓喜の輪ができた(08年8月、北京)

 月日は流れ、私はスポーツ紙の記者として東京五輪の取材に携わることになった。北京五輪以来、3大会ぶりに正式競技に採用されたソフトボール。「もう一度日本と米国の決勝戦を見たい」と願っていた私は、他競技の取材の合間を縫って、ソフトボールの取材に熱中した。

 そして、迎えた東京五輪。日本と米国は順調に1次リーグで白星を重ね、横浜スタジアムで7月27日に行われる決勝に駒を進めた。

「絶対にこの試合だけは目に焼き付けたい」。他競技の取材を早めに済ませ、午後8時からの決勝戦は横浜スタジアムの記者席から固唾をのんで見守った。

上野とオスターマン東京五輪21年7月

上野とオスターマンが13年の時を超えて投げ合った(21年7月=上野の写真は決勝戦、オスターマンは予選のイタリア戦)

 先発は13年前のあの日と同じく、日本は上野、米国はオスターマン。アボットも0―1で迎えた5回二死一塁で救援。13年前と同じ顔ぶれ、展開に自然と鳥肌が立った。試合は4回に日本が渥美万奈内野手(トヨタ自動車)の二塁内野安打で先制すると、5回には二死二塁のチャンスで二刀流・藤田倭投手(ビックカメラ高崎)がアボットから右前適時打を放ち、リードを広げる。投げても上野が5回まで1安打無失点の快投。6回に先頭打者に左前安打を許したところで、チーム最年少左腕・後藤希友投手(トヨタ自動車)へスイッチ。一死一、二塁のピンチを招いたが〝奇跡のダブルプレー〟で難を逃れた。7回は再び上野がマウンドへ上がり、3人でピシャリ。再び上野を中心とした歓喜の輪が出来上がった。

タイムリー内野安打の渥美万奈

㊤タイムリー内野安打の渥美万奈、㊦接戦の末、米国を破り金メダルに沸き立つ日本代表(21年7月、東京五輪決勝戦)

マウンド歓喜東京五輪21年7月

「テレビで見た光景だ」。小学生の頃、自分が金メダルの瞬間に立ち会えるなんて夢にも思っていなかった。様々な感情が駆け巡り、目頭が熱くなった。試合後にはありったけの思いを原稿にぶつけた。宇津木麗華監督、北京五輪でバッテリーを組んだ代表戦士・峰幸代捕手(トヨタ自動車)が本紙に明かしてくれた上野の〝スゴさ〟。チームを支えた主将・山田恵里外野手(デンソー)の〝頼れるひと言〟。若きサウスポー・後藤の〝伝説〟。少しでも多くの方に選手たちの魅力を知ってもらいたい。その一心で深夜2時過ぎまでパソコンに向き合った。

東京五輪決勝集合写真

記念撮影でも笑顔がはじけまくった(21年7月、横浜スタジアム)

 まだまだ未熟な若造記者とはいえ、今やれることは全部やり切った。だが、1つだけ後悔していることがある。それはアボットの〝生きざま〟を伝えられなかったことだ。代わりにここで紹介させていただきたい。

アボットカナダ戦あづま球場

こちらが米国代表のアボット投手(21年7月、東京五輪のカナダ戦)

 アボットは北京五輪後の09年に来日した。「最初は日本でプレーしたいとは思わなかった」と葛藤を抱えながらも「日本の文化や日本のソフトボールを体験してみよう」と日本リーグ・トヨタ自動車の門を叩いた。トヨタ自動車では10、11、12、18年と4度MVPを受賞。18年には最優秀防御率、最多勝、ベストナインと投手部門のタイトルを総なめにした。その活躍ぶりに、日本人選手から「リーグのレベルを底上げしてくれる」との声が相次いでいた。

 まさに申し分のない実績だが、アボットの最大の魅力はその人柄だ。来日後はトヨタ自動車のチームメートとコミュニケーションを図るため、本を持ち歩いて勉強。必死に日本語を学んだ。練習に取り組む姿勢も超一流。後藤もアボットの背中を見て、日々練習に励んでいたほどだ。

 正直なところ、アボットのストイックさを知る前は「外国人投手だから雑な部分もあるんだろうな」と勝手な偏見を抱いていた。そこで、ある日の取材で峰に聞いてみた。

「アボットってどんな投手ですか?」

 五輪等の国際試合で何度も対戦し、トヨタ自動車ではバッテリーを組む峰も「最初は外国人選手って感覚でガンガンやるのかなって思っていた」と明かす。ところが、チームメートになって印象は一変したという。

峰幸代捕手

トヨタ自動車ではバッテリーを組む峰もアボットを尊敬している

「自分のコンディションをコントロールするっていうところにすごく力を入れている。例えば試合でこれを成功させたいからこういう投球練習するみたいなイメージ。この日にトレーニングをして、この日にランニングをして、この日にブルペンで何球投げて、この日に投球の確認をどれぐらいやるみたいな。スケジュールの管理をすごくしている」

 すべては理想の投球をするために――。今何が必要なのか。どんな投球をすればチームを勝利に導けるのか。アボットは自身の登板日を逆算し、練習メニューを計画。その愚直な取り組みに、峰は「外国人選手も細かなスケジュールを組んで、その日のためにという思いが日本人選手よりも強いのではと思った。もちろんそこに負けてはいけないが、すごい感じる」と絶賛していた。

 これが超一流アスリートのメンタリティーなのか。いくら私が勉強不足だったとはいえ、アボットに対して失礼なイメージを持っていたなと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

コーチと記念撮影するアボット

コーチと記念撮影するアボット(21年7月、福島あづま球場)

 決勝戦後の会見でもアボットの人間力の高さが垣間見えた。上野の印象について問われると「彼女の素晴らしいところは、常に自分をリセットし、様々な角度から攻められるところかな。前回の五輪から13年が経ったが、その間も技を磨いてきた。レジェンドであり象徴です」とコメント。五輪はもちろん、日本リーグでもお互いを高め合ってきた2人にしか分からない心情なのか。晴れやかなアボットの表情が目に入った瞬間、思わず胸がいっぱいになった。

東京五輪上野金メダル

やっぱり上野由岐子はレジェンドだ(21年7月、東京五輪表彰式)

 結果的には日本の金メダルで幕を閉じた東京五輪。ただ、米国にアボットがいなかったら。米国が決勝に残っていなかったら。名勝負の裏にライバルあり――。ようやくこの言葉の意味が分かった瞬間だった。

アボットカナダ戦

カナダ戦で三振を奪いガッツポーズのアボット(21年7月)

「1年間やってみよう。日本を好きになれなかったら米国に帰ろう」。そんな思いで来日したアボットも気づけば、10年以上日本でプレーを続けている。誰よりも日本を愛するアボットがいたからこそ生まれた激闘。目の前で決勝戦ならではの緊張感を味わい、選手たちの雄姿も発信できた自分は幸せ者だなと思った。(運動2部・中西崇太)

コチラも中西記者が書きました↓


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