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光と影を見たカーリング女子代表ロコ・ソラーレは北京五輪も期待大!バンキシャおおいに語る

「これが私たちロコの意地だ」――。新型コロナウイルス禍の影響で直近の大会の現地取材は適わなかったが、テレビの画面越しに執念の叫びが届いた気がした。

平昌五輪銅でカーリング人気を高めたあとにピンチが…

 今から4年前の平昌五輪。ロコ・ソラーレ(以下LS)はカーリング界の歴史を大きく塗り替えた。流行語大賞を受賞した「そだねー」や「もぐもぐタイム」など、競技内外で注目を浴びる中、3位決定戦で英国を下し、史上初となる銅メダルを獲得。テレビ朝日の進藤潤耶アナウンサー(現報道局ニュースセンター経済部)による「ナンバーワンはニッポン!」との実況は、多くの方の脳裏に焼き付いているのではないだろうか。

表彰式でポーズを取る5人(左から藤沢五月、本橋麻里、鈴木夕湖、吉田夕梨花、吉田知那美=18年2月、江陵カーリングセンター)

「あの銅メダルでカーリング人気が高まった」。関係者の間では今でもLSへの感謝の言葉が聞かれるほどだ。しかし、栄光は苦しみの始まりでもあった。帰国後は多くのテレビ番組に出演。試合にも大勢のファンが集まった。認知度が上がったとはいえ、LSの選手たちにかかるストレスは大きく、サードの吉田知那美は「次の五輪に出られなかったらどうしよう」と不安に駆られた。実際に、代表理事を務める本橋麻里氏も「メダリストになると本当に知らない人も自分のことを知っている。選手たちが気を休める瞬間がないなというのが一番心配なところ」と話していたこともある。

平昌五輪の閉会式でも人気だった藤沢(中央)と本橋(18年2月、平昌五輪スタジアム)

 平昌五輪後も常に世界の第一線で活躍してきたLS。ところが、国内のレベルが向上したこともあって苦戦を強いられる場面が何度も見られた。2019年の日本選手権では中部電力に完敗。世界選手権出場を逃した。20年には日本一を奪還したものの、コロナ禍で世界選手権が中止に。スキップの藤沢五月は「1回ガクンときた。最大のピンチだったかなと思う。精神的に結構きたので、それが結構辛かった」と当時を振り返る。

 20年以降は、コロナ禍の影響で当たり前のように行っていた海外遠征に足を運ぶことができなくなった。「できないことばかりを話すのではなく、できることを話し合って前向きに取り組むようにしていた」。どんなときも前向きに物事を捉え、国内で練習を積んできた。だが、21年の日本選手権で北海道銀行に敗れ、連覇を逃した。

カーリング女子日本代表決定戦第1戦第8エンド。北海道銀行に追いつかれたLSは険しい表情を隠せなかった(21年9月、稚内市みどりスポーツパーク、代表撮影)

 さらに、北京五輪切符をかけた世界最終予選の出場チームを決める北海道銀行との代表決定戦(昨年9月)ではまさかの2連敗。崖っぷちに立たされた。第2試合から第3試合までの休憩時間はわずか3時間あまり。「正直立て直すのは難しいのでは」と私は思った。それでも、LSのメンバーたちはわずかな時間で新たな境地を切り開いていた。

「作戦のレパートリーも、ショット率も(北海道銀行より)上回っていて、ラインも美しく滑っているのに、なぜ勝てないのか。何が悪いんだろう…。私たちには運がなかったと思った。運が味方してくれないなら、自分たちで(運を)変えよう。できそうなことは休憩中に全部やった。運がないということを受け止めたら、気持ちが楽になった」(吉田知)

崖っぷちに追い込まれた日本代表決定戦第3戦、ストーンを投じるLSの藤沢(21年9月、稚内市みどりスポーツパーク=代表撮影)

〝弱さの情報公開〟で原点を取り戻した!

 決して順風満帆ではなかった4年間。何度も壁にぶつかる中で「弱さの情報公開」をチーム内でするようになった。

「チームスポーツなので個人的にそれぞれに思うことがあったり、考えだったり、緊張だったりプレッシャーを感じたりとかそれぞれ違うものを持っている。それを一人で抱えて氷の上で爆発してしまうよりも、しっかりと自分がこういう気持ちなんだっていうのを理解して、必要な時は周りの人達に『ごめんなさい、ちょっと今日は助けが必要です』というような感じで、感情が爆発してしまってパフォーマンスが崩れる前に、余裕がある人が余裕のなくなっている人はサポートする。そのサポートのし合いをこの4年間は特にできた」(吉田知)

 平昌五輪を経て、心のどこかで「カッコつけていた」自分たちがいた。LSらしさって何だろう。自問自答を繰り返す上で、セカンドの鈴木夕湖が「喜怒哀楽のすべての感情を100%出すのがうちらしさ」と語ったように、忘れかけていた〝原点〟を取り戻した。失っていたものを再び手に入れたLSは圧巻だった。「カーリング精神に反していないか」と賛否両論はあったのも事実。それを承知で自分たちの感情を素直に表現し、絶対絶命の局面から奇跡の3連勝。試合後には人目をはばからず、大粒の涙を流した。

第5戦第2エンドで声を出すLSの吉田知那美(21年9月、稚内市みどりスポーツパーク=代表撮影)

 ひと皮むけたLSは強かった――。世界最終予選(昨年12月)では、カーリング関係者から「ロコでも勝ち抜くのは簡単ではない」との声が聞かれながらも、1次リーグを3位で通過すると、プレーオフで平昌五輪銀メダルの韓国を下して北京五輪切符を奪取。藤沢は「4年前と違って私たちの実力も上がっている。五輪に出場する全部のチームがいいチームだと思うが、恐らく私たちは全てのチームに勝ったことがあるくらいの実力にはなってきている。五輪という舞台であろうとも、自分たちのパフォーマンスを全力で出すこと、そして自分たちらしい試合をすることっていうことが一番」と充実の表情。大一番を前に、確かな手応えをつかんだ。

日本代表に決まった瞬間、吉田知那美(中央右)のもとに吉田夕梨花(左端)、藤沢五月(中央左)、鈴木夕湖(右端)が集まって喜びをわかちあった(21年9月=代表撮影)

藤沢「どんな状態の氷になってもどんと来い」

 現在はコロナと戦いながら、カナダ合宿で最終調整に励む。その一方で、欧米を中心に世界各国で新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」が拡大。カナダでも多くの感染者が確認されていることから、出場予定だった大会も中止となった。また、感染リスクを減らすべく「セルフバブル生活」を今月からスタート。できる限り人との接触を減らしているという。一難去ってまた一難。最後の最後まで試練が訪れているLS。「大丈夫なのかな?」と不安になった自分もいた。ただ、先日の取材で藤沢が頼もしい言葉を残してくれた。

「難しいシーズンを過ごしてきた中での北京五輪。これからまた北京五輪に向けてハプニングだったり、思ったこと以上の出来事だったり、いろんなことが起こったとしても、しっかりとチーム力で乗り越えて、臨機応変にポジティブにチーム力をしっかりと氷の上で発揮ができるチームがいいパフォーマンスをできるんじゃないかなと思うので、それを意識していきたい。北京の氷の状態は分かりません。私たちはどの状況の氷になっても対応できるようにチームで練習をしてきた。どんな状態の氷になってもどんと来いという感じです」

ロコ・ソラーレの藤沢五月(21年12月、スイス、ⒸJCA)

 周囲に支えられながら、どんな逆境も最後はプラスに変えてきた。藤沢の言葉を聞いて、私の自信が確信に変わった。「LSなら北京五輪の主役になってくれる」。LSの軌跡を通じ、誰か1人でも「自分もがんばろう」と前を向くきっかけとなる情報を発信する。彼女たちの姿を見て、私も記者を志したあの日の〝誓い〟を思い出した。(運動2部・中西崇太)

ロコ・ソラーレと漫画家の田川とまた先生がコラボした銘菓「赤いサイロ」(株式会社清月提供)

コチラもぜひ!中西記者コレクション


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