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衝撃を受けた権藤監督のイケイケ野球。そんな野球もあったのか!【駒田徳広 連載#19】

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勝負事はナメられたら終わり。ドン底の時こそ闘争心をムキ出しにしてほしい

 巨人は今、4年連続で優勝を逃し、2年連続でBクラスというこれまでになかった苦しい時代に突入している。だが、ドン底の今だからこそ、シュンとすることなく闘争心をムキ出しにしていってほしい。
「エラそうなことを言えるだけの成績を残してないから」とおとなしくしていては、相手にナメられるだけ。勝負事はナメられたらおしまいだと思うから、ボクは相手が先輩だろうが、よく喧嘩を売ったものだ。

 打席では相手チームの捕手の“口撃”にはずいぶん頭を悩まされ、特に阪神の木戸さんや、大洋(横浜)の市川さんには集中力を乱された。何しろ投手が投球モーションに入ってもまだ話し掛けたり、声を出したりしてくるのだから気になって仕方がない。さすがに頭にきて「ひきょうじゃないですか!どうして正々堂々と勝負できないんですか!」と食ってかかったことがあった。

阪神・木戸克彦(左)と大洋・市川和正

 だから思いっきりやり返したこともある。ある先輩捕手から「オイ駒田、さっきはうまく打ったなあ」と褒められたことがあったんだけど、そこで「ああそうですか。でもボクは○○さんと違って年々うまくなっていますからねえ」という憎まれ口で返したのだ。相手がカッカしてリードを乱してくれればこっちのもの。プロなら「オレは絶対にナメられないぞ!」という気概を持つことは大切なことだと思う。

 こんなこともあった。ボクが打席に入った場面で相手ベンチから「駒田は変化球は打てないからな!」と声が飛んだ。カチンときたボクはボールになる変化球をキッチリと見送って、甘い変化球を犠牲フライにした。その後「ヨソの選手のことなんか気にしてないで、自分とこのピッチャーの心配をしたほうがいいぞ!」とスタンドに聞こえるほどの大声で相手ベンチに言い返してやった。その時は、お客さんもドッと沸いたものだ。

巨人時代の駒田氏。プレーはもちろん、ヤジでも観客を沸かせた

 一方、横浜に移籍した後は横浜スタジアムのお客さんともよく口喧嘩をした。あまりにもクソミソに言われるもんだから「あなたの席は覚えましたからね!」と怒鳴ったこともある。心情的にボクのことを受け入れられない横浜ファンの人が多かったみたいで、ずいぶん厳しいことも言われた。おかげでフェンスを挟んでのボクとファンの怒鳴り合いは横浜スタジアムの名物のようになってしまった。
 横浜ファンのボクに対する冷たい視線の理由は分かり切ったことだ。「大量解雇」――。1993年のオフ、横浜はボクをFAで獲得するために高木豊さん、屋鋪さん、そして大門、松本、山崎といった生え抜きの5選手を一挙にクビにしていた。

「併殺王」の汚名を返上するため、打撃スタイルを大きく変えた

 1993年オフ、横浜へのFA移籍を決断したボクはすぐさま大きなショックに襲われた。
 あれは「一緒にやらないか」という横浜監督の近藤さんからの電話に「お願いします」と即答した数日後のことだった。横浜が高木豊さん、屋鋪さん、大門、松本、山崎の5選手を一挙にクビにしたことを発表。5人の選手の年俸を合計すると、ボクをFAで獲得するために必要な資金とほぼ一致することから、マスコミが「大量解雇! 駒田獲得のための犠牲者に」と書き立てたのだ。

左から屋鋪要、高木豊、大門和彦、山崎賢一

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