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ロシア、ドイツ、英国…戦いの場を求めて世界放浪の旅を続けた悪魔仮面の〝人生相談〟【ケンドー・カシン評伝#4】

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カシンから記者に猛抗議がありました…

 連載4回目に入る前に読者の皆さんに重要なお知らせがあります。連載1回目を読んだカシン選手から、猛抗議がありました。

「マスクマンの命である素顔を勝手に掲載するとはどういうことだ。しかも本名や実家まで…。個人情報と人権侵害について真剣に考えているのかはなはだ疑問だ。実家にも激怒され『本名や実家をさらすとは何事だ。家督は三男に継がせる』と通告されてしまった。マスクマンとしての神秘性を失ってしまった。もう覆面レスラーとしてやっていけない。今、青森の紅葉をボーッと眺めながら心の傷を癒やしているところだ…」

 今後、本人の機嫌により突然、連載が打ち切りになる可能性も出てきましたが、とにかくカシン選手の心の傷が癒えることを祈り、法廷に立つ覚悟を持ちながら連載を続けたいと思います。では4回目、行きましょう。

ハバナ・ピットブルズを手玉に取るカシン(05年4月、米ロサンゼルス)

ハバナ・ピットブルズを手玉に取るカシン(05年4月、米ロサンゼルス)

わずか2回!悪魔仮面とIWAジャパンの奇跡の遭遇

 時期は前後するが、話が横道にそれたついでに、誰もが忘れているであろう意外な事実について書きたい。本紙は浅野起州社長(現会長兼ユーチューバー)率いるIWAジャパンの「2丁目劇場」を四半世紀にわたって報じているが、実はカシンも劇場に登場した過去があるのだ。

 まだ全日本所属だった2004年6月30日、カシンは浅野社長が経営する新宿2丁目の定食屋「花膳」に突然、乱入。ホッケ定食(680円)を食べつつ、浅野社長の不在をいいことに「ホッケ定食680円→9680円」「銀ダラ定食800円→8800円」などと品書きにイタズラ書きを始めた。

 慌てて駆けつけた浅野社長に「金持ちだと聞いているが全日本を買ってくれないか?」と無理難題を押しつけ、1万円札をカウンターに置いて姿を消した。「待ちなさ~い」とカシンを追いかけた浅野社長は、なぜか背後から追走してきた謎の覆面男にひかれて大の字に。両者の間にまさかの遺恨が生じ、カシンの7・21後楽園大会来場が決まった。

浅野社長に追いかけられるカシン(04年6月、新宿)

浅野社長に追いかけられるカシン(04年6月、新宿)

 カシンの来場が決まるとチケットの売り上げは伸びたのだが、悪魔仮面は観客席で試合を観戦したのみで、途中で帰る始末。浅野社長はエレベーターまで追いかけたがカシンはサッサと水道橋の闇に消えた。「もう、何なのよ、あの子は!」と浅野社長はプンスカ怒るのみだった。

 実はこの来場には事情があった。花膳来襲の1か月ほど前、記者はカシンと2丁目で飲んでいたが、路上で浅野社長にバッタリ。「まあ、あなたがカシン選手なの。いい男ねえ~」と褒めちぎるや、2次会の費用を全額払ってくれたのだ。

IWAを観戦するカシン(04年7月、後楽園)

IWAを観戦するカシン(04年7月、後楽園)

 律儀な悪魔仮面にしてみれば、ごちそうしてもらったお礼をするため、2丁目劇場に自ら登場して話題をつくろうとしたのだが「ギャラの交渉がうまくいかず、試合をしないで帰るハメになりました。結果的に浅野社長に嫌われてしまったのよ。残念なのよ…」と当時を振り返りつつ肩を落とした。インディの極北IWAジャパンと悪魔仮面の奇跡の遭遇は、わずか2回で幕を閉じてしまった。

チーム・ジャパン結成、世界各国に参戦した悪魔仮面

 話を本筋に戻そう。晴れて「被告人」の立場から解放されたカシンは自由気ままに戦いの場を求めるようになる。05年には新日本に復帰するとロス道場のコーチを務めて、日本では永田裕志中西学藤田和之らと「チーム・ジャパン」を結成。シリーズの合間にはフラリと海外を訪れ、世界各国のリングにスポット参戦する。

チーム・ジャパンの藤田和之、カシン、永田裕志、中西学(左から、05年9月、仙台)

チーム・ジャパンの面々(左から藤田、カシン、永田、中西=05年9月、仙台)

 さらにはロサンゼルスの新興総合格闘技IFLのコーチにも招聘されたが「ヤスダと名乗る人物の陰謀によりコーチの座を追われてしまった。安田忠夫じゃないぞ。俺はサイモンの野郎にダマされただけなのに、何でそんな面倒な人間関係に巻き込まれなければならないんだ。IFLの幹部にも会ったが現場を仕切る副社長が、本当にバカそうだった」と毒づく。案の定、IFLはあっさり消滅してしまった。それでもカシンは新日本のマットに上がりながらも、ロシアやドイツ、英国などにも戦いの場を求めて、世界放浪の旅を続けた。

 06年になると格闘技イベント「HERO’S」に出陣。3月15日には秋山成勲と対戦する。しかし谷川貞治プロデューサーからオファーがあったのは、試合のわずか3日前だった。「準備も何もあったもんじゃない。まあ、僕はリザーバーだからいいんですけどね」

HERO’S、袖車で秋山に敗れた石沢(06年3月、東京・日本武道館) 

袖車で秋山に敗れた石澤(06年3月、日本武道館)

 この年はプロレス活動を一切行わずに総合格闘技のみに専念するも、カーロス・ニュートン戦(10月9日)、金泰泳戦(12月31日)に臨むも、いずれもオファーが直前だったため、3戦3敗の戦績に終わってしまう。「でもこの年が一番稼げましたかね。何もしなくても1~2年は暮らせるギャラを手にしました」と悪魔仮面は振り返る。

 ニュートン戦は1か月前に決まったが、この時カシンはニューヨークに滞在中。それでもヘンゾ・グレイシーの道場や、ブルックリンのボクシングジムに通い、個人トレーナーを雇って試合に備えたという。世界各国どの場所に行っても、ハードトレーニングを欠かさないのは、悪魔仮面のすごいところである。これだけは誰にもマネできないだろう。

「ヘンゾのジムではマネジャーに嫌がらせをされて気分を害した」。ハイアン・グレイシーに勝った男が入門してくれば、そりゃあヘンゾも嫌だろう。さらには「ボクシングのパーソナルトレーナーは1回40ドルも払ったのに、最後の練習をすっぽかしやがった。ニューヨークは嫌な思い出しかない」と苦々しく語った。 

悪魔仮面の「人生相談」コーナーが始まる

 ちなみにこの時期、カシンは本紙格闘技特集面「ファイトクラブ」で人生相談の回答者を務めている。ヘソ曲がり男だけにアッサリ短期間で終了するかと思いきや、何と連載は約10年も続いた。もっとも「人生相談」とは名ばかりで、単なる悪魔仮面の毒舌全開コーナーだったが…。

 参考までに積極的に海外遠征に出ていた時期の人生相談を再録してみよう。

カシン人生相談2004年10月20日

【2004年10月20日付紙面】
 ――もしもし

 カシン ハロー。

 ――もしもし?

 カシン グーデンターク。

 ――……

 カシン 泣いているのか?

 ――いや、離日前はあれほど「絶対に電話するな」と念を押され、何度電話しても不在。顔も知らないホテルのフロントマンに「またユーか…」とアキ果てられる始末。まさか出てくれるとは思わなかったので、感極まりました

 カシン 一生の不覚だ。現地のプロモーターから連絡が入るはずだったんで、うっかり受話器を取ってしまった。日本のわずらわしさから逃れようとドイツまで来たのに、なぜお前の声を聞かなきゃいけない。心底不愉快だ。

 ――ドイツはどんな具合ですか

 カシン 気候は快適だが、ホテルは名前だけ「スイート」だな。14日からEWP(ヨーロピアン・レスリング・プロモーション)の「レスリング・フェスティバル」(~23日)に出てる。ところが思いもよらない災難に巻き込まれてしまった。

 ――まさか交通事故にでも

 カシン チャンピオンになってしまった。

 ――ホントですか?

 カシン これこそ事故だ。16日にロイヤルランブル形式でEWPインターコンチネンタル選手権があったんだが、俺はうっかり勝ち残ってしまい、最後はチャンピオンのロビー・ブルックサイドが仲間に裏切られ、気が付いたら俺の腰にベルトが巻かれていた。何かの間違い、あるいは国際的な陰謀に違いない。どいつもこいつも俺に必要のないものを押し付けてくる。

 ――いや、快挙ですよ

 カシン 冗談じゃない。このベルトも封印します。それよりも何か相談は来てないのか?

 ――回答者が回答者なので、相談よりも「本当にドイツに行ってるんですか?」(横浜市、23歳OL)という趣旨の質問が山ほど来てます。不思議と全部女性ですね

 カシン とりあえずドイツは23日まで。陰謀が怖いので帰国の日は秘密です。次はイギリスだな。

 ――イギリス?

 カシン ああ。これから試合に行ってくるから、もう切るぞ。二度と電話するなよ。

ロス道場で教えるカシン(05年4月、ロサンゼルス)

ロス道場で教えるカシン(05年4月、ロサンゼルス)

カシン人生相談2005年10月19日

【2005年10月19日付紙面】
 ――無事ロスに到着したということで(注・全日本と係争中)

 カシン シーッ。声が大きい。この国際電話も盗聴されている恐れがある。そもそも本当にお前なのか? 

 ――……

 カシン 空港に着いた直後から、トレンチコートの怪しい男に後を付けられている。常に誰かに見張られているようで、ロスの雑踏を歩く時ですら覆面を手放せないほどだ。心底参っている。

 ――無実の罪、いわれのない迫害だと

 カシン その通り。もし俺がこの先、ホテルで全裸のまま昏睡状態で発見されたり、ダラスでパレード中に狙撃されたり、NYのダコタハウス前で熱狂的ファンに射殺されたら、背後に巨大な圧力が存在していたと解釈してくれ。30年後、当局が「カシン・ファイル」を公表し、事件の真相が明らかになる違いない。

 ――ところでロスはどんな具合でしょう

 カシン 天気だけは最高だな。空港にはロス道場のセーラ(デル・レイ=AtoZに来日経験あり)という女子レスラーが車で迎えにきてくれた。道すがら「なぜユーはそんなに女子プロレスが嫌いなのか?」と聞かれたんで「システムそのものがなってない。ロクに練習もせず、から揚げ弁当2個食べて試合してるような連中(?)に何ができる」と答えたら、あとは無言で終わってしまった。最後は「グッバイ」と言っただけで別れた。

 ――あまりといえばあまりのような気も…ところで「昨年ドイツで取ったEWP(ヨーロピアン・レスリング・プロモーション)のベルトはその後どうなったんでしょう」(東京都、男子高校生)という質問が来てます

 カシン こいつはバカか? そんなものは英国での初防衛戦でアッサリ奪い返されている。ドイツといえば追手を巻くため、今週末にドイツへ逃亡する。10月いっぱいはハノーバーでEWPに出る。前述のベルトには22日、矢野(通)君が挑戦するらしい。俺は29日に矢野君とEWPのタッグ王座に挑戦する予定だ。ベルトを取ったらどうしようか。どこかの団体に送りつけようか。

 ――……

 カシン 8日のドームで俺の仕事はひと区切りついた。あとは知らん。永田君には「カン違いだけはするな」と伝えてくれ。何だか電波傍受されてるような気がしてきたからもう切るぞ。

 今、読み返してもこれのどこが人生相談なのかよく分からないし、そもそも質問に全然答えていない。ちなみにカシンが罵倒したセーラは、現在WWEのNXTアシスタントヘッドコーチを務めているというから世の中分からない…。単なる悪魔仮面の近況報告でしかないが、それでも一部ではカルト的人気を集めた。もし読者の皆さんがご希望であれば、悪魔仮面と真面目に交渉した上で、Web上で再開したいと思う。 

セーラ・デル・レイ

セーラ・デル・レイ(05年)

 海外から総合格闘技へと流浪の旅を続けていたカシンに大きな転換期が訪れた。07年3月、師匠であるアントニオ猪木氏がIGF旗揚げを発表したのだ。

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けんどー・かしん 1968年8月5日生まれ、青森県南津軽郡常盤村出身。91年、早大人間科学部卒業後、新日本プロレスのレスリング部門「闘魂クラブ」に入団、94年、正式に新日本プロレス入団。96年の欧州遠征でマスクマンに。PRIDEや全日本プロレスでも活躍。獲得タイトルはIWGPジュニアヘビー、世界ジュニアヘビーなど多数。181センチ、87キロ。


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