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90年の日本シリーズ4連敗で思い出した〝西武コンプレックス〟【駒田徳広 連載#14】

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加藤から先制弾放ち感情が爆発、三塁を回りながら「バカヤロウ!」

「バカヤロウ!」。それまでためこんでいた感情がそのまま口から出てしまった。だが、これほど巨人ファンに支持してもらった暴言もなかったのではないだろうか。

 1989年の日本シリーズ第7戦。巨人は3連敗のガケっ縁から3連勝し、日本一の行方は最終戦にもつれ込んでいた。この試合に「5番一塁」で先発出場していたボクの第1打席が回ってきたのは2回一死走者なしの場面。打った瞬間の手応えは十分で、ボクは打球が右翼席上段に吸い込まれる前に両手を上げてバンザイをしていた。まだ回は2回だし、1点を先制しただけだ。今後、試合はどうなるか分からないけれど、あの瞬間ボクは「これで勝った」と思い込んでいた。

加藤哲郎から本塁打を放った駒田氏(89年、日本シリーズ第7戦)

 マウンドには第3戦終了後に「巨人はロッテより弱い」と発言した加藤哲郎。その加藤が帽子を叩きつけて悔しがっていた。これほど気分のいいホームランもそうはない。三塁ベースを回った時、調子に乗ったボクは加藤へ向かって冒頭の暴言を浴びせたのだった。

 後で聞いた話だけど、ボクの暴言は加藤に聞こえていなかったそうだ。ただ、三塁を守っていた金村が「このオッサン、何を言い出すんや!」と驚いたらしく、金村のおかげで「あの人はユニホームを着ると人格が変わるぞ」という風評が立ってしまった。シリーズ終了後には加藤も「駒田さんがボクのことを一番怒っていたと聞きました」と頭を下げてきた。おかげさまで、この暴言以降のシーズンでは、打席に立っても内角の厳しいボールがめっきり少なくなったような気がしている。

近鉄の金村義明(87年)

 試合はその後も巨人が加点し、6回には原さんの2号2ラン、さらにはこの日本シリーズで引退が決まっていた中畑さんが代打で登場し、感動的なトドメの一発を左翼席へと叩き込んだ。これで決まりだ。巨人は8―5で逃げ切り「3連敗から4連勝」という奇跡を起こしたのだ。

 ボクにとってはこれが初めての日本一。しかもうれしいオマケまでついた。MVPはとにかくいい場面で打ちまくった岡崎さんだと思っていたんだけれど、何とボクが選ばれた。7試合すべてに安打を放ち、打率5割2分2厘は7試合での新記録だという。最後の試合に5タコだった岡崎さんは「俺のおかげでクルマ(MVPの賞品)を取れたようなもんだぞ」と悔しがっていたっけ。

日本シリーズMVPに輝いた駒田氏

 特にこのシリーズでは勝ったうれしさはもちろん「やっと終わった…」という気持ちが大きかった。祝勝会となれば2次会、3次会と大騒ぎすることになるんだけど、この年ばかりは全員で騒ぐのは1次会だけ。飲みに行く元気も残らないほど、疲れ切ったシリーズだった。

1990年は西武に4連敗…何をやっても勝てないと思った

 巨人の「伝統と歴史」というものをあらためて感じさせてもらったのは1989年、日本一に輝いたあとの読売グループ祝勝会での出来事だった。
 ボクが巨人に在籍中、日本一になったのはこの年だけだったので特に強い印象が残っている。優勝パレードも気持ちよかったけれど、あの儀式は胸に「ジーン」とくるものがあった。

日本シリーズ優勝祝勝会、左から正力亨オーナー、藤田元司監督、小林与三次社長、務台光雄会長

 皇居前のパレスホテルで開かれた祝勝会では、チャンピオンフラッグが読売新聞社の務台名誉会長に進呈される儀式が行われていた。そこでハプニングが起きたのだ。まずは監督の藤田さんから正力オーナーにフラッグが手渡されると、次に正力オーナーから務台名誉会長へ…。すると務台さんは大粒の涙を流し、泣きながらフラッグを受け取った。あの時ほど「巨人という球団での日本一の重み」を感じたことはなかった。

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