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冷静沈着な岡崎さんが顔を真っ赤にして怒った大洋・田辺のスッポ抜け【駒田徳広 連載#15】

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ファンは岡崎さんのように二軍から這い上がる選手を待っているはず

「おいコマ、オマエは岡崎にいいように利用されているだけなんだぞ」

 フロントの人からそんな指摘をされたことがある。それには当時、何かにつけて一言多かったボクと岡崎さんを「切り離そう」という狙いがあったのだろう。

契約更改を終え引き揚げる駒田(92年12月、球団事務所)

 ボクがあまのじゃくな性格なら、岡崎さんもそう。だから2人が考えていることに大差はなかった。ただ、違っていたのは岡崎さんは頭のいい人で、問題を解決する方法を導き出すのがうまかった。ボクはすぐに熱くなり、思ったことをそのまま言ってしまうから、あちこちで衝突を繰り返した。そんな時は「駒田が言いたいことはこういうことなんですよ」と、岡崎さんに随分助けてもらったものだ。岡崎さんは柔らかいニュアンスと機転の利いた言い回しでフロントやコーチ、先輩たちにボクの気持ちを伝えてくれた。だが、逆の場合もある。「ストレートに言った方が効果的」と思った時はボクに言わせるのだ。岡崎さんが「どうしようか?」と聞いてきたら、決まって「ボクが言ってきてやりますよ!」となる。そういうことが続いたから「オマエ、また岡崎に利用されてるぞ」と言われるのだ。

岡崎氏の生きざまは巨人の伝統そのものだった

 岡崎さんで思い出すのは1984年のオープン戦。岡崎さんは当時、肋膜炎を患ったことで練習生扱いになり、実家のある大分で療養生活を送っていた。その大分でオープン戦が行われ、岡崎さんがジャージー姿で球場にあいさつにやってきた。

 病気のせいでまんまると太った姿にボクの目は点になった。後に岡崎さんから「あの時、オマエ冷たかったよな。俺のこと、もう野球できない体だと思ってただろ」と聞かれたから、正直に「ウン」と答えた。それほど変わり果てた姿だった。

 だが、それから岡崎さんの猛烈なリハビリが始まった。まずは多摩川の芝刈りとボール拾いだ。来る日も来る日もボールを拾い、体力が戻ってくると猛ノックを受けた。そして翌年の同じ大分でのオープン戦、岡崎さんは見事なサヨナラホームランをかっとばして一軍定着を決めたのだった。それが岡崎さんの「生きざま」だ。はい上がってきた選手にはドラマがあり、そのチームの「におい」がついている。ファンを感動させることのできる選手は何もすごいプレーをする選手だけじゃない。その選手の「生きざま」に心を動かされ、応援してくれるのではないだろうか。

守備連取する岡崎(左)と見守る土井正三コーチ

 今はそんな巨人の「におい」を持つ選手が少なくなっているのではないかと思う。勝つために補強をすることは大事なことだとは思うけれど、ファンはファームから苦労してはい上がってきた選手を待っているはずだ。

岡崎さんが打席に立つとナゼかボールがスッポ抜ける大洋の左腕・田辺学

 いつも冷静沈着な岡崎さんが顔を真っ赤にして怒ったことがある。ボクがそんな岡崎さんを見たのは後にも先にもあの時だけだ。

 あれは1989年の大洋(横浜)戦。大洋のピッチャーは左腕の田辺でキャッチャーは市川さん。「何を考えてんですか!」。死球を受けた岡崎さんが、声を荒らげて市川さんに詰め寄ったのだ。

 その前の打席では頭に向かってくるカーブをすっ飛んでよけていただけに「これで2度目だ!」ということらしい。「さっきの打席でもそうでしょ! スッポ抜け!? 2度も続けてスッポ抜けるなんて、そんなのプロのピッチャーじゃないでしょ!」。ボクはあの岡崎さんが珍しく怒っているのだから、おかしくて仕方がなかった。

大洋の市川和正(左)と田辺学

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