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酒豪の大島康徳さんの一言一句が貴重な財産となった【田中幸雄連載#8】

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「この人はすごい」白井一幸さんの背中から学んだ〝プロの心得〟

 この人はすごい。素直にそう思った先輩選手がいた。正二塁手だった白井一幸さんだ。イップスに苦しみながらも正遊撃手に抜てきされたプロ2年目の1987年から二遊間を組ませてもらい、大きな影響を受けた。

 グラウンド外でも食事のお誘いを受け、ご一緒する機会も多かった。基本的にかなり厳格で若手に対してもよくキツい言葉を発する人だったが、なぜか自分には優しかった。ハッキリとした理由は今でも分からない。おそらく他の先輩と同様に愚直な自分の性格を考慮し、あえてソフト路線で接してくれていたのだろう。

田中にプロの厳しさを教えてくれたのが白井だった

 タイプ的に「背中で見せる先輩」だった白井さんは、よく練習をする人だった。野球に対して貪欲で、とても真面目。最初に衝撃を受けたのは選手寮「勇翔寮」での出来事だ。1年目のある日の夜、室内練習場で体を動かそうとすると、いつもは自分以外にほぼ決まって誰もいないはずなのに明かりがついていた。

「二軍の選手で誰か練習しているのかな」

 そう思って耳をすましてみると、室内練習場の中から誰かが荒い息遣いとともにバットで空を切り裂く音が聞こえてきた。白井さんが一人で黙々と汗を流していたのである。

「一軍にいる人が、こんな遅い時間に練習するんだな」

 その後も頻繁に夜の室内練習場で顔を合わせていた。そのたびに“プロの心得”を学ばせていただいた。練習を重ねなければうまくなれない。プロで通用する選手になるためには、人一倍の努力をしなければいけない。そう教えてくれたのが白井さんだった。

田中より2年早くプロ入りした白井一幸、左は大社オーナー、右は植村義信監督(83年12月、球団事務所)

 それだけではない。実は私が現役中、ウエートトレーニングを欠かさなくなったのも白井さんの影響によるものだ。ひと昔前のプロ野球界はウエートトレーニング自体がタブーとされていたが、白井さんはいち早く取り入れて実践していた。実際に結果も伴っていたことで私も白井さんに倣って「ノーチラス」のマシンを使い始め、筋力アップに努めるようになったのである。

 私は現役時代に「球界屈指の太い二の腕の持ち主」「左右の二の腕は前脚」と称されていたが、それは白井さんのトレーニング方法を参考にしたことから始まっている。余談ながら後年にはウエートトレーニングに没頭し過ぎるあまり、後に結婚する妻とのデートの待ち合わせ時間に大幅に遅れてしまい、大目玉を食らったこともあった。

白井一幸(右)の守備、左は田中、手前は西武・バークレオ(88年、東京D)

大島さんのアドバイスで驚くほど飛距離が伸びた

 プロ3年目、1988年シーズンから日本ハムには交換トレードで中日からやってきた大島康徳さんが加わった。83年には本塁打王にも輝いているセ・リーグ屈指の強打者で、前年までの通算成績は1656安打、321本塁打、953打点。すでに37歳とベテランの域に達していたが、円熟味を増した打撃には凄みすらあった。

中日からトレードで加入した大島

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