河埜和正さんが門限破りして玄関前に全員正座!【定岡正二連載#14】
オシャレな中井康之さんの〝フリーマーケット〟
「はい、新人は全員集合!」。選手寮の廊下に先輩の声が響いた。何ごとかと思ってボクたちルーキーがぞろぞろと集まると、廊下にはたくさんの服が並べられていた。
「お前ら知ってるか。東京じゃあ、こんな服がはやっているんだぞ」。声の主は中井康之さん。田舎から出てきたばかりのボクたちは、ところ狭しと並んだ服を前に「すげえ」「格好いいなあ…」とため息をついた。
「安くしとくぞ。5000円でどうだ」。世間知らずのボクたちは、先輩からそう言われたら「そうなのか」と思うしかない。当時はアイビールックが流行していて、京都出身でおしゃれな中井さんは、チーム内では流行のスタイルの最先端を走っている人だった。
そんな中井さんに勧められるままに服を購入したボクたちは、その後になって別の先輩から「お前ら、まんまと中井にだまされたな」。どうやら自分の着なくなった服を後輩たちに売りつけては、次に買う服の資金にしていたらしい。「これがフリーマーケットというものなのか」。あの時は貴重な社会勉強をさせてもらった。
中井さんは寮の部屋にファッション雑誌の「メンズクラブ」がぶわーっと並んでいるほどのおしゃれ好きな一方、大のクルマ好きでも知られていた。シルバーのいすゞ「117クーペ」に乗っていて、ひまさえあればいつも愛車を磨いていた。自分がほかに用事がある時は「おいサダ、3000円やるからオレのクルマを磨いてくれよ」とお願いされたこともある。トヨタのスポーツカー「スプリンタートレノ」に買い替えた時には「この人、暴走族かよ」なんて思ったけど、クルマでかっ飛ばすのも中井さんなりのストレス発散方法だったのだろう。
選手としてもすごい人で「何でこんな人が二軍にいるんだろう」と思ったほど。1972年のドラフト会議で、巨人から1位指名を受けて入団。京都・西京商時代はあまり注目されていなかったから「巨人の隠し球だ」と、当時は大きな話題になったそうだ。見事な逆三角形の体形から繰り出されるボールはとんでもなく速く、足も速かった。打ってもものすごい飛距離だったんだけど、中井さんはいかんせん体が硬かった。1試合、投げ終わると全身は湿布だらけでケガも多く、のちに投手から野手に転向したのも、故障が原因だったからと聞く。
「それにしても新人にいらない服を売りつけるなんて、中井さんだけですよ!」。中井さんと会うと冗談交じりにそんな話もするんだけど、中井さんは現役引退後、東京・護国寺に「護国寺なかい」という居酒屋を開業。2007年に東京・芝大門に移転し、現在は店名「なかい」で営業している。商売の才能は現役時代からあったということかもしれない。
「鬼寮長」こと武宮敏明寮長との“攻防戦”
「下でじっくり腕を磨いてこい。力がついたらいつでも上げてやるからな」。1975年春のベロビーチ・キャンプを終えたボクは、宮田征典投手コーチから二軍降格を通告された。ベロビーチで肩を痛めていたこともあり、自分でもその覚悟はできていたからショックはなかった。
それから本格的な選手寮での生活が始まった。巨人の寮生活はというと「鬼寮長」こと武宮敏明寮長との“攻防戦”が注目されるのだが、ボクたちの世代は優等生ばかりだったように思う。もちろん遅刻をしたり、ルールを破った時に竹刀で叩かれたりすることはあったけれど、高校を卒業したばかりのボクたちにとっての武宮さんは、父親のような存在だった。武宮さんも、息子を育てるような愛情を持って接してくれたと思う。
問題が多かったのは、ボクたちの1年後輩となる篠塚和典らの世代だった。あの世代のルーキーたちはやんちゃなやつらばかり。おしゃれに気を使っていたシノが、同世代の連帯責任で自慢の髪形を丸刈りにさせられた時の泣きそうな表情は、今でも記憶に残っている。
寮生活で強烈な印象が残っているのは、河埜和正さんが門限破りをした時のこと。酒が大好きな河埜さんはよく門限を破っていたんだけど、あの時ばかりはついに武宮さんの堪忍袋の緒がぶち切れた。烈火のごとく怒った鬼寮長は「河埜が帰ってくるまで、寮生は全員正座だ!」と寮の玄関前の廊下に全員を正座させたのだ。
「河埜さん、早く帰ってきてくれよ…」。誰もがそう思いながら、そのままの姿勢で1時間は経過しただろうか。やがて上機嫌の河埜さんが赤ら顔で帰ってくると、ボクたちの姿を見て赤い顔がサーッと青くなるのが分かった。「バシーン!」。次の瞬間、武宮さんの竹刀がうなりを上げた。あの時の音はとにかくすごかった。
そういうボクも門限破りをしたことはあったけど、ラッキーなことに武宮さんには一度もばれなかった。もともと酒が飲めなくて「プロになったからには飲めるようにならなきゃだめだ」と一念発起したボクは、連日連夜、ウイスキーを部屋に持ち込んではガーッと飲んで布団にもぐり込むという“特訓”を繰り返した。
そのおかげもあって、何とか弱点克服に成功。酒に強い同期の田村勲らと飲みに繰り出しては、こっそり寮に戻った。酒のにおいを消すために、武宮さんの前では呼吸を止める技も身につけた。武宮さんはとっくに気がついていたのかもしれないけど…。あのスリルはたまらなかった。
もちろん遊んでばかりいたわけではない。門限を破った翌日は、それこそいつも以上に練習したものだ。だが、そんなボクに冷ややかな視線を送っていたやつがいる。同期の西本聖。あいつはボクとは逆のタイプの男だった。
※この連載は2009年7月7日から10月2日まで全51回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全25回でお届けする予定です。