見出し画像

本当にヤバかった…酒席での桜庭和志vs伊良部秀輝【下柳剛連載#18】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ

星野監督も認めた!2003年阪神リーグVは伊良部秀輝のおかげ

 ラブちゃんこと伊良部秀輝は野球に対して誰よりも真面目な男だった。そこが美人揃いの新地のクラブであろうと、好んで野球の話をした。なかでも多かったのが、投球時の肩やヒジ、腰、ヒザの使い方といったメカニックに関する話。そして「こうしたら、ええんちゃう」とオレなりにアドバイスすると即、実践するのがラブちゃん。他に客がいようとお構いなしでシャドーピッチングを始めた。

 体のケアに関しても神経質なまでに気を使う男だった。メシに行くときでも飲みに行くときでも各種サプリメントがぎっしりと詰まったリュックを背負ってきてね。「先輩、今日は鉄分の摂取量が足りませんね」って、鉄分のサプリを出してくれたり。ドラえもんの四次元ポケットかっていうぐらい、いろんなものが出てきた。

伊良部(右)が信頼を寄せていた金田監督(1990年、川崎球場)

 信じた人にはとことん付いていくっていうのもラブちゃんだった。特に信頼を寄せていたのがロッテ時代にお世話になった元監督の金田正一さんで、調子が悪くなると電話で相談したり、直接会って指導を受けたりもしていた。

 そんなラブちゃんが2003年の優勝の原動力だったことは、誰も異論ないだろう。阪神での初登板となった開幕2戦目の横浜戦こそ「名前だけで抑えた」という印象だったけど、そこから5連勝だからね。

 この年の阪神は、7月8日という異例の早さで優勝マジック49が点灯した。唯一の危機といえば恒例の「死のロード」で4勝11敗と大きく負け越したぐらいで、4月26日以降は一度たりとも首位の座を明け渡していない。日本ハム時代の98年に最大10ゲーム差をひっくり返されてのV逸経験があるオレと片岡篤史は、事あるごとに「絶対に油断したらアカンで」って言って回っていたけど、そんな心配も杞憂に終わるほど03年の阪神は強かった。

 数字だけで言うなら、20勝を挙げて沢村賞にも輝いた井川慶の働きも大きかった。でも、シーズン序盤にチームを勢いづけたのは、球宴までに9勝(2敗)をマークしたラブちゃんだ。

 星野仙一監督もそう考えていたと思う。球宴後のラブちゃんは4勝6敗と失速した上、ダイエーとの日本シリーズでは癖が見抜かれていて、先発した第2戦は3回5失点でKOされた。それでも王手をかけて臨んだ第6戦に再びラブちゃんを先発させたのは「優勝できたのは伊良部のおかげ」っていう思いがあったからだったと聞いた。

日本シリーズ第2戦でKOされた伊良部だが、星野監督は第6戦にも再び先発させた

 ラブちゃんは、チームに18年ぶりのリーグ優勝をもたらしたものの、翌04年オフに戦力外通告を受けて阪神を去った。でも、オレとラブちゃんの交流はその後も続いた。

今でもラブちゃんは天国で野球を続けているのかな

 あれは確か、2008年のシーズン中だった。ラブちゃんこと伊良部秀輝が米国から帰国していると聞いて、東京にある鉄板焼き屋で一緒に食事をすることになった。

 現役引退から早4年。それでもラブちゃんは、お互いの近況報告が済むと「先輩、投球フォームを教えてください」って真顔で聞いてきた。ヒザが痛くて、現役時代のフォームではまともに投げられないって言うんだ。

 オレは「ヒールアップをやめてみたら」とだけアドバイスした。投球時に軸足のかかとを上げるフォームでは、ヒザへの負担も大きいと思ったからだ。するとラブちゃんは、その場でシャドーピッチングを始めた。「なんか、いい感じです。これなら145キロは出そうです」って子供のような笑みを浮かべて。こっちまでうれしくなって「次は飲みに行こう」と約束して、その日は別れた。

独立リーグで投げる伊良部(2009年8月、高知市営球場)

 次に会ったときは藤川球児に久保田智之、そして格闘家の桜庭和志も一緒だった。この日もラブちゃんは上機嫌で、また投げられる手応えをつかんだことをうれしそうに話していた。

 そんな和やかなムードが、桜庭の何げないひと言で一変した。「また現役でやったらいいじゃん」って言ったら、ラブちゃんが「そんな簡単なことじゃねえんだよ」ってマジで切れちゃってね。もう一触即発。オレが「ラブちゃん、まともに桜庭とやったら殺されるぞ」ってなだめてその場は収まったけど、本当にヤバかった。

 そしてラブちゃんは、翌年4月に米独立リーグで本当に現役復帰した。その年の夏には日本の独立リーグに移籍して、5年ぶりとなる日本のマウンドにも立った。体はボロボロだったようで、プロとして再び脚光を浴びることはなかったけど、その後も草野球は続けていたと聞いている。

 そのラブちゃんは11年7月に自ら命を絶って帰らぬ人となった。本当に残念でならない。彼と関わった人は、みんな同じ気持ちだったんじゃないだろうか。愛されて嫌われて好かれて疎まれて…っていう稀有な人生ではあったけど、ラブちゃんの野球に対する真摯な姿勢は誰もが認めていた。

かつてのチームメートの訃報に、阪神ナインは黙とうをささげた

 ロッテ、ヤンキース、阪神。ラブちゃんが深く関わったチームは、例外なく彼に黙とうをささげた。ヤ軍時代にバッテリーを組んだジョー・ジラルディ監督も主将のデレク・ジーターも。阪神時代の監督である星野仙一さんも、QVCマリンでの追悼セレモニーに楽天のユニホーム姿で参加した。

 今でもラブちゃんは天国で野球を続けているのかな。個人的には、昨年7月に逝ってしまった愛犬のラガーと一緒に遊んでいてくれたらうれしい。

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ

しもやなぎ・つよし 1968年5月16日生まれ。長崎市出身。左投げ左打ち。長崎の瓊浦高から八幡大(中退、現九州国際大)、新日鉄君津を経て90年ドラフト4位でダイエー(現ソフトバンク)入団。95年オフにトレードで日本ハムに移籍。2003年から阪神でプレーし、2度のリーグ優勝に貢献。05年は史上最年長で最多勝を獲得した。12年の楽天を最後に現役引退。現在は野球評論家。

※この連載は2014年4月1日から7月4日まで全53回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全26回でお届けする予定です。


カッパと記念写真を撮りませんか?1面風フォトフレームもあるよ