壁を殴って拳が血だらけの星野仙一監督【下柳剛連載#17】
シーズンが始まると闘将指数はグングン上がった
阪神移籍前に抱いていた星野仙一監督のイメージは、ひと言で言うと「怖い」。現役時代から闘志あふれる投球でその名をとどろかせ、39歳の若さで中日の監督を引き受けたころから「闘将」と呼ばれて「鉄拳制裁」なんて言葉もセットのように使われていた。
社会人時代に中日のスカウトが興味を示してくれたときも阪神への移籍が噂されたときも、真っ先に浮かんだのは「怖い星野さんの下で野球をやるのは…」という不安だった。でも、2003年のキャンプで実際に接するようになると、そんなイメージは一変した。選手にガミガミ言うわけでもないし、表情はいつでも穏やか。
阪神の監督になって変わったのか、それとも年を重ねたせいなのか…と思っていたら、やっぱり闘将は闘将だった。
あれはオープン戦も終盤に差し掛かっていたころだったと思う。ある選手が走塁ミスをしたときに、たまたまベンチでそばにいた広沢克実さんを怒鳴りつけたんだ。いくら明治大学の先輩後輩っていう関係があるといっても、相手は40歳の誕生日を目前に控えた大ベテランだからね。こりゃあ大変だと思ったよ。
実際に公式戦が始まると、星野さんの闘将指数はグングンと上がっていった。歓声が飛び交う球場でも、投げているピッチャーにはベンチからの声や動きが分かるもんでね。特にオレのような左投手だと、甲子園では一塁側ベンチがよく見えるから。
いつだったかは忘れたけど、こんなこともあった。その日も星野さんはベンチで「高めばっかり投げやがって」って、オレの投球にイライラしていてね。そういうときほどベンチの様子が気になるもんで、オレもチラチラと見ていたんだけど、知らぬ間に星野さんが姿を消していたんだ。どうしたんだろうと思いながらもオレは投球に集中して、何とかそのイニングを投げきった。
驚いたのはベンチに座って一息ついた直後だ。いつの間にか定位置に戻っていた星野さんを見ると、拳が血だらけだったんだよ。おそらくベンチ裏で「シモの野郎、ふがいないピッチングをしやがって」って壁を殴っていたんだと思う。さすがにあのときは背筋が凍りついた。
投手の送りバント失敗なんて、もってのほかだった。一死一塁で併殺に倒れようものならベンチになんて戻れない。普通はベンチでバッティンググラブやレガーズを外してから次のイニングに備えるんだけど、そんなときは「君子危うきに近寄らず」でさ。若手の控え野手にグラブを持ってこさせて、さっさとキャッチボールを始めたりしていたよ。
伊良部秀輝ほど野球を愛していた男はいない
2002年までの阪神は「暗黒時代」と呼ばれていた。1993年から10年連続でBクラス。その間には4年連続を含む6度の最下位があり、外から見ていても「人気先行のチーム」という印象の方が強かった。ただ、03年は選手の中にも「今年は行けるんちゃうか」という期待のようなものがあった。広島で4番を務め、00年に打率3割、30本塁打、30盗塁のトリプルスリーを達成している金本知憲がFAで、日本だけでなくメジャーでの実績もある伊良部秀輝が加入したことと無縁ではない。
オレにとっては初めての関西暮らしで、野球をすること以外にも不安な点はあった。そんな中でも結果を残すことができたのは、チームメートに恵まれたというのも大きい。入団の経緯や時期はバラバラだけど、切磋琢磨できる同い年のカネと矢野輝弘(現燿大)がいて、広沢克実さんという頼れる先輩もいた。そして何より頼もしかったのが、1つ年下の伊良部の存在だ。
もちろんロッテ時代からラブちゃんのことは知っていた。ただ、当時はライバルチームのエースだし、特に話をすることもなかった。そんなラブちゃんとオレの距離が一気に縮まったのは、この年の1月半ばに、マンションを探すため大阪へ向かう途中だった。
新幹線のシートに深くもたれかかって爆睡していたオレは、妙な気配を感じて目を覚ました。目の前に立っていたのは熊のような大男で、こちらをのぞきこんでくる。それがラブちゃんだった。どちらかといえば「生意気」なイメージを持っていたけど、実際のラブちゃんはまったく違う。大きな体をこれでもかというほどかがめて、満面の笑みで「先輩、阪神で一緒ですね。よろしくお願いします」って丁寧にあいさつまでしてくれた。
それからというもの、キャンプでもオープン戦でも公式戦が始まってからも、よくラブちゃんとはツルんでいた。193センチの大男の後ろにいれば目立たなくて済むしね。飲みに行くのも、広沢さんを交えた3人でっていうパターンが多かった。
せっかくの機会だからラブちゃんとの思い出話を続けよう。とかく誤解を招きがちだったけど、あれほど野球を愛していた男はいない。いつでも頭の中は野球のことばかり。それこそ新地で飲んでいようと銀座で飲んでいようと、必ず野球の話をするのがラブちゃんだった。
一度、スイッチが入ったら、そこがどこであろうと人の目があろうとお構いなし。知らない人が見たらビックリするような行動に出ていた。
※この連載は2014年4月1日から7月4日まで全53回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全26回でお届けする予定です。