見出し画像

オレを含めて、勝ち投手が全員左腕だった2003年の日本シリーズ【下柳剛連載#19】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ

古巣ダイエー相手に「よう3勝もできた」

 阪神に移籍した2003年は実にめまぐるしい一年だった。出会いあり、別れあり、優勝あり…。新たにチームに加わった「アニキ」こと金本知憲や「ラブちゃん」こと伊良部秀輝などの働きに加え、新戦力に刺激を受けた生え抜き選手たちの活躍もあって、阪神は2位・中日に14・5ゲーム差をつけてぶっちぎりで優勝。オレもその一端を担えたことは誇りに思っている。

 初めてのビールかけはめっちゃ楽しかった。これまではテレビで見るだけだったし、プロである以上、一度はやってみたいと思っていたからね。よう浴びたし、よう飲んだ。優勝した翌日の9月16日も試合があったから野手は大変だっただろうけど2次会だ、3次会だと朝まで飲んでいたと記憶している。

初めて体験した2003年のビールかけは格別だった

 古巣のダイエーと対決することになった日本シリーズはメディアも評論家の方々も「阪神有利」と予想していた。公式戦で発揮した強さを考えれば、普通はそう考えるだろう。もちろん選手たちも「日本一」を目標に掲げて頂上決戦に臨んだ。

 ただ、実際問題として当時のダイエー打線はすごかった。1番から名前を挙げると村松有人、川崎宗則、井口資仁、松中信彦、城島健司、バルデス、ズレータ、柴原洋、鳥越裕介。3番の井口から6番のバルデスまでシーズン25本塁打、100打点を超えていて、ズレータにも一発長打がある。村松やムネリン、柴原は俊足巧打が売りで、投げていてひと息つけるのは9番の鳥越ぐらい。結果的に阪神は3勝4敗で負けるわけだけど、今になって考えれば「よう3勝もできた」というのが正直なところだ。

 何とも不思議な日本シリーズでもあった。まずは開幕直前の金曜日に発売された写真誌で星野仙一監督の勇退が報じられて、始まってみれば勝ったのは本拠地チームだけで「内弁慶シリーズ」とか言われてね。勝ち投手になったのも1戦目からダイエーの篠原貴行、杉内俊哉、阪神・吉野誠、ウィリアムス、オレ、ダイエー・杉内、和田毅と左腕ばかり。こんな日本シリーズも珍しいんじゃないかな。

幕切れで星野監督(左)とハイタッチする金本(右手前)と下柳(2003年8月、甲子園球場)

 オレにとっては初の晴れ舞台だったし、先発した第5戦では同い年のカネが先制ホームランを打ってくれたり、リリーフ陣が踏ん張ってくれたおかげで白星を飾ることもできた。ただ、心に残ったシーンを一つだけ挙げるとすれば、自分のことよりも第7戦の9回に飛び出した広沢克実さんの代打ホームランだ。レフトスタンドに弾丸ライナーが突き刺さった瞬間、こらえていた涙が一気にあふれ出していた。

広沢克実さんの現役最終打席ホームランに号泣した

 3勝3敗で迎えた2003年の日本シリーズ第7戦、阪神の5点ビハインドで迎えた9回に、ベテランの広沢克実さんは代打として先頭打者で登場した。事前に本人から「このシリーズが終わったら引退する」と聞かされていたオレは、ベンチで胸を熱くしていた。

 移籍1年目のオレをいろいろ面倒見てくれたのが広さんだった。この年は一緒に食事や飲みに行く機会がもっとも多かったのも広さん、伊良部秀輝、オレのトリオ。10月4日の広島戦で10勝目を挙げたときに、ドンペリで祝福してくれたのも広さんとラブちゃんだ。てっきりおごってくれるもんだと思っていたら「2桁勝てて気分いいやろ。自分で払っとけ!」って言われたのもいい思い出だ。

ベテランの広沢は現役最終打席で鮮やかな本塁打を左翼席に叩き込んだ。手前は和田

 その広さんが現役最終打席で“らしさ”の詰まったホームランを見せてくれた。チームの勝ち負け以上に「これで広さんと一緒に野球をするのも最後か」と思ったら、自然と涙があふれ出ていた。負けて宿舎へ戻るときなんて、もう号泣状態。自分でも不思議なぐらい涙が出た。そして涙が乾くと、一つの決意をした。「FA権を行使して関東に戻ろう」と。

 別に阪神が嫌いになったわけじゃない。ずっと読んでくれている読者の方には、もうお分かりだろう。愛犬のラガーを知人に預けて“単身赴任”していたオレにとって、FA移籍は予定通りの行動だった。18年ぶりの優勝でバタバタしていたこともあるんだろうけど、事前に球団から残留に向けての下交渉を持ちかけられることもなかったしね。

面倒見てくれた広沢は日本シリーズ終了後に引退した(2003年10月、球団事務所)

 このときは、メジャー移籍も視野に入れて「らつ腕」で知られる米国の代理人、スコット・ボラス氏とも契約を結んだ。実際に何球団か興味を示してくれたようなんだけど、ボラス氏の持ち駒に大物FA選手がいるとかで遅々として話が進まない。日本で興味を示してくれていた阪神と横浜(現DeNA)からは「せめて日本かメジャーかだけでも年内に決めてほしい」と催促されていたこともあって、メジャーは早々とあきらめた。自分のことを後回しにされてまで…っていう思いもあったから。

 すると今度は思いもよらない展開になった。世に言う「ラガー争奪戦」だ。オレがことのほか愛犬のラブラドルレトリバーを大事にしていることを重要視した阪神と横浜の2球団が、主役であるはずのオレへの条件提示以上に、ラガーのことをどれだけ大切に考えているかで争い始めた。

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ

しもやなぎ・つよし 1968年5月16日生まれ。長崎市出身。左投げ左打ち。長崎の瓊浦高から八幡大(中退、現九州国際大)、新日鉄君津を経て90年ドラフト4位でダイエー(現ソフトバンク)入団。95年オフにトレードで日本ハムに移籍。2003年から阪神でプレーし、2度のリーグ優勝に貢献。05年は史上最年長で最多勝を獲得した。12年の楽天を最後に現役引退。現在は野球評論家。

※この連載は2014年4月1日から7月4日まで全53回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全26回でお届けする予定です。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

カッパと記念写真を撮りませんか?1面風フォトフレームもあるよ