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「出てこいや!」が生まれたいきさつは…【高田延彦連載#10】
ハッスル「高田総統」の圧倒的唐突感!!
2002年11月に引退後は、PRIDEの統括本部長に就任しました。今はRIZINの統括本部長ですけど、この競技が好きだから、やりがいがありますね。
「出てこいや!」が生まれたいきさつは…03年8月のミドル級GP開幕戦で「選手を呼び込んでください。高田さん流でいいですから」と主催者側から要請されたんです。「出てきてください!」と言うところを力一杯、選手に尊敬の念を込めて、かっ飛んだ感じで威勢よく――そう考えたら瞬間に出てきた。実は直前まで決まっていなかったんです。
統括本部長としてはいろんなことをやらせてもらってますよね(苦笑い)。04年大みそかはふんどし姿で太鼓。演出チームにオファーされた時は「マジ?」という感じでした。「俺が? ふんどしで? 太鼓のプロがたくさんいるのに?」と。でも最終的には担ぐ人が担ぎやすいように、みこしに乗りました。
ちなみに、今年の大みそかも仕上がりバッチリです。楽しみにしていてください。ある意味それが年末の伝統ですからね。
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04年はいろいろありました。1月に「ハッスル」が旗揚げして、3月の「ハッスル2」から私は「高田総統」になりました。最初は大変でした。まさに圧倒的唐突感!! 何の前触れもなくあの姿で出て行ったから、お客さんのドン引きのインパクトはすごかった。セリフが吹っ飛ぶかと思いました。あの時はちょっとスタッフにむかつきましたけどね(笑い)。ちなみに旗揚げ当時はバタバタしていて、役づくりも任せられていたんですよ。ハッスルの成功は、オーちゃん(小川直也)と橋本(真也=故人)という二枚看板がいたからこそです。とはいえ、ハッスルはもう1回なにかイベントをやりたいですよね。継続的でなくても、スペシャル的な感じでもいい。
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引退後は同時にタレント業もやらせてもらうようになりました。こちらは高いハードルをまたいで飛び込んだ感覚ではないですね。もともとゆるやかにそれらしいことをやっていましたから。妻からアドバイス? 全くないです。そういう話もしないですよ。自分のオンエアも見ないですから。でも(夫人が出演している)「朝だ!生です旅サラダ」(テレビ朝日系、土曜午前8時)は見ますよ。あの空気が好きなんです。
テレビに出演している時は素に近いです。ただし声だけじゃなくて、心のボリュームをちょっと上げるというか、テンションを上げないとダメですね。私は元気が取りえだから。たまに「声が大きい!」って言われることもありますけど、楽しむことが大事だと思ってやっています。
PRIDE消滅後も榊原信行氏とは話し合いを…
PRIDEが事実上「消滅」したのは2007年のことでした。それはあまりに唐突で…。3月には(買収した)UFCのトップと記者会見をして「一緒にやっていきましょう」という話をしたんですが、実現しませんでした。
ただ、その後も榊原信行氏(現RIZIN実行委員長)とは時々食事に行って、そのたびに「時が来たらやるんで、協力してください」という話はされていました。最終的に一昨年の11月に「やる」という話があり、私は「とにかく何でもやれることは協力します」と返答しました。そこから今日まで走り続けてきたわけです。
今、RIZINが目指している場所は高いですよ。コツコツと毎回インパクトの残るイベントを積み重ねて、最終的に多くの人やファイターが集まるようになることが目標。それを近い将来実現するため、皆で頑張っている最中です。
最初の大会は昨年12月29、31日でした。反省材料はいろいろとあるにせよ、会場はさいたまスーパーアリーナでテレビも地上波。あれだけのファイターが集まり、観客も集まってくれた。あの舞台を作れたのは、ほぼ奇跡に近いと思う。これはね、私にも想像できないとんでもない作業だったと思います。榊原委員長がPRIDE時代に築き上げた信頼度。「あそこがもう1回立ち上げるなら協力しよう」という信頼とコネクションをつなぎとめていた彼の人間力のたまものですよ。その労力は生半可なもんじゃない。敬意を表します。
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だからこそ、その努力をムダにしてはいけない。そこから「つなげて、つなげて」です。そういう意味では、4月17日の「RIZIN・1」(愛知・日本ガイシホール)と9月25日の「無差別級トーナメント 開幕戦」(さいたまスーパーアリーナ)は、しっかり大みそかにつながったと思います。
特に若い選手がいいファイトで観客を魅了してくれました。この熱を29、31日につなげて今年を締めくくり、未来への道しるべにしないといけない。
10、20年後に目標到達では遅すぎると思っています。だから質を1回ずつ倍々にしていかないといけない。PRIDEの成功体験があるから、ある程度のところまでは早く到達したいという思いが強いんです。「目標となっているもの」の背中が見える位置まで早く行きたい。視界が不透明な中を進むより、目標までの距離がどのくらいなのか、確認できればモチベーションが上がりますから。今より何段階かステージが上がれば、選手もレベルアップするし、知名度も上がって世界も変わってくる。そうやって五輪メダリストがまた興味を示してくれるような状況が生まれてきたらうれしいですよね。
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そういう意味でも29、31日の大会は本当に重要なものとなります。次回からの連載最後の2回は、その「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND―PRIX 2016 無差別級トーナメント」の見どころをお伝えしようと思っています。
たかだ・のぶひこ 1962年4月12日、神奈川・横浜市出身。80年に新日本プロレスに入門。81年5月の保永昇男戦でデビュー。84年に新団体UWFに移籍。第2次UWFを経て、91年にUWFインターを設立し「最強」の称号を得る。新日本プロレスとの対抗戦は日本中を熱狂させた。解散後はPRIDEに戦場を移し、ヒクソン・グレイシーら強豪と激闘を展開。98年に高田道場設立。2002年11月24日の「PRIDE・23」(東京ドーム)の田村潔司戦を最後に現役を退く。引退後はPRIDE統括本部長に就任してタレントとしても活躍。夫人はタレントの向井亜紀。
※この連載は2016年11月22日から12月29日まで全22回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全11回でお届けする予定です。