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「定岡、服を脱げ!」監督室に呼び出され、唐突にそう言われた【定岡正二連載#11】

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おかずを一気に食べる!のが長島流食事法

「定岡、服を脱げ!」。プロで初めてとなる1975年春の宮崎キャンプ、ボクは長嶋茂雄監督から監督室に呼び出され、唐突にそう言われた。「これから何が始まるんだろう…」。不安な気持ちでいっぱいになった。

 服を一枚一枚脱いでいき、とうとうパンツ一丁の姿になると、長嶋監督は「そのまま後ろを向け!」。とにかく監督命令は絶対だ。言われるままに後ろを向くと、監督の鋭い視線を背中に感じた。背中、腕、足、お尻…と、ボクの全身をくまなくチェックしているようだった。

「ようし、分かった!」。その後、しばしの沈黙の時間を破ったのは長嶋監督のそんな言葉だった。全く意味が分からずにボクがキョトンとしていると「定岡、これからは右の足の裏にもっと筋肉をつけろ。そこを鍛えれば一流の投手になれるぞ!」。これが有名なミスター流の“筋肉チェック”だということを知ったのは、それからしばらく後になってからのことだった。

長嶋監督は定岡を息子のようにかわいがった

 長嶋監督にはとにかくお世話になった。ボクが監督就任1年目のドラフト1位入団選手ということもあり、余計に目をかけてくれた部分もあったのだろう。食事の時は「おい定岡、オレの前でメシを食え!」と呼ばれて、プロ野球選手の“食事作法”のようなものを教わった。

「いいか、メシはこうやって食うんだ」。普通ならご飯とおかずを交互に食べるところを、長嶋さんはまず、おかずをガーッと一気に食べまくる。おかずをたいらげるだけたいらげたら、最後の最後にお茶わん一杯のご飯を、お新香とみそ汁でサッと食べるのだ。

「こ、これがプロの食べ方なんだ…」。これには大きなカルチャーショックを受けた。プロ野球選手はとにかく体が資本。先輩たちからも「たくさん食べることができない選手は大成できないぞ」とよく言われた。それには栄養価の高いおかずをよりたくさん食べることが効率的との考えから、こういう食べ方になったのだろう。

 キャンプでの食事のメニューには栄養のバランスを考えた鍋料理が多かった。巨人では宮崎の地鶏の鳥団子などが入った金田正一さん考案の「カネやん鍋」が有名で、それが伝統として継承されていた。先輩たちと同じ鍋をつつきながら「もっと食え、もっと食え」。ボクたちルーキーは、食事の時からプロ意識を叩き込まれた。

キャンプで食事をとる長嶋監督(1975年2月、宮崎)

「プロとはこういうものなんだ」。最初のキャンプから長嶋監督にはいろいろなことを教えてもらったけれど、あの時ばかりは理解不能。返す言葉が見つからなかった。

 宮崎キャンプ休日のある日のこと。テレビ局の企画取材で長嶋監督と2人きりにさせられて…。そこで長嶋監督から意味不明な言葉が飛び出した。

奥が深い〝長嶋ワールド〟

 何を言っているのか全く理解できなかった。1975年春の宮崎キャンプ休日、テレビ局の企画取材で「ミスターと定岡の会話を撮ろう」ということになり、ルーキーのボクは長嶋茂雄監督と二人きりにさせられて「何でもいいので、しばらくお二人で話をしてください」とテレビカメラの前に放り出された。

キャンプ休日、外出する定岡。このあと長嶋監督と二人きりにさせられて…

 いきなりそんなことを言われても…。何を話せばいいのかなんて分かるわけがない。自分から話しかけるわけにもいかないから「何を聞かれるのだろう」「失礼のないようにしないと…」とドキドキしながら長嶋監督の言葉を待った。

 重苦しい沈黙が2~3分間は続いただろうか。ようやく長嶋監督はボクに質問を投げかけた。

「定岡、洋服は着たことがあるのか?」

「ええっ!」。もちろんボクは完全にパニックだ。頭の中では「今、自分が着ているのは洋服じゃないのだろうか」「鹿児島ではこれが洋服なんだけど、東京ではこれは洋服とは呼ばないんじゃないのか」「ボクをからかっているだけなんだろうか」などと、長嶋監督の言葉の意味を理解しようとしてはみたけれど、どう考えても質問の意味が分からない。

 それでも下手な返事はできないから、口をもごもごさせていると、長嶋監督はさらに「洋服を着るのは初めてか?」「うれしいか? 洋服着て」とたたみかけてくるではないか。結局、ボクは「はあ」とか「いやあ」とか言葉にならない返事しかできずに、そのまま収録は終わってしまった。

 しかし、ボクが「こんな映像、使えるわけないよなあ」と思っていると、テレビ局の人は「いい絵が撮れた!」と大喜びで帰っていった。まるで会話になっていないところと、ボクの困ったリアクションが逆に面白いとかで、その映像はその後も何度も放送され、お茶の間で大きな反響を呼んだという。

「それにしても『洋服』はどういう意味だったんだろう」。それからしばらくは長嶋監督の言葉の意味について考えた。自分なりの結論としては「監督の言う『洋服』というのは『スーツ』のことを指しているんじゃないのか」というもの。確かにボクがスーツを着るのは高校を卒業してから初めてのことだった。

報道陣に囲まれる長嶋監督(右)と定岡(1975年1月、多摩川グラウンド)

 長嶋監督にあの時の会話の“真相”について聞くことができたのは、それから10年以上も後になってからのことだ。

「監督、あの時のこと覚えてますか。何で洋服のことなんて聞いたんですか。あの時はホント、困りましたよ」

「おお、あれか。あれはちゃんと計算して言ったんだよ。どうだ、オレの計算通りだったろう」

 確かに話題にはなったけど…。何をやっても絵になる男・長嶋茂雄のすごさを改めて思い知らされた出来事だった。

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さだおか・しょうじ 1956年11月29日生まれ。鹿児島県出身。鹿児島実業高3年時の74年、ドラフト会議で巨人の1位指名を受け入団。80年にプロ初勝利。その後ローテーションに定着し、江川卓、西本聖らと3本柱を形成するも、85年オフにトレードを拒否して引退を表明。スポーツキャスターに転向後はタレント、野球解説者として幅広く活躍している。184センチ、77キロ、右投げ右打ち。通算成績は215試合51勝42敗3セーブ、防御率3・83。2006年に鹿児島の社会人野球チーム、硬式野球倶楽部「薩摩」の監督に就任。

※この連載は2009年7月7日から10月2日まで全51回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全25回でお届けする予定です。


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