山あり谷ありのプロ1年目、メークドラマの裏にはミスターの「まだまだ大丈夫ですよ~」があった【仁志敏久連載#4】
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山あり谷ありのプロ1年目、メークドラマの裏にはミスターの「まだまだ大丈夫ですよ~」があった【仁志敏久連載#4】

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開幕戦で猛打賞という最高のスタートも、5戦目で早くもスタメン落ちした僕を…

 1996年4月5日、記念すべき開幕戦。
 前夜はカツ丼、朝は鯛と赤飯という決まりが我が家にできたのもこの日から。

 本拠地東京ドームに阪神を迎え、華々しく試合は開始されました。「1番・セカンド、仁志」。まだ、聞き慣れないコールが響き渡り、大歓声に送られながら1回裏のプロ第1打席へ向かいました。

 阪神の先発は当時のエース、藪恵壹さん。無我夢中でしたが、追い込まれながらも外のボールにうまく合わせセンター前ヒットとなり、初打席、初ヒット。その後、2打席目、4打席目とヒットが出て、最終打席は色気を出して一発を狙ったりもしましたが、結局5打数3安打。

 開幕戦でルーキーが猛打賞というのは巨人史上初の快挙ということでした。先発した斎藤雅樹さんも1安打完封の快投。試合は9―0の圧勝となり、初めてのヒーローインタビューとなったのです。

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開幕戦では斎藤とともにヒーローインタビューを受けた

 妻と友人夫妻を乗せ、帰りの車は意気揚々。次の日のことなど全く頭にはなく、まだ129試合も残っていることをこの時は分かっているようで、全く分かっていなかったのです。

 翌日、先が長いことを冷静に考えていたら、少し気が遠くなりました。考えてみれば3安打などまぐれに近い。相手投手が変わると案の定迷いが生じ、2、3戦目とノーヒットが続きました。

 開幕5戦目では早くもスタメン落ち。その後は、スタメンとベンチを繰り返し、4月20日の阪神戦を最後に、とうとうスタメンに名を連ねることはなくなってしまったのです。

 目標のない毎日でした。出ても打てる気がしない、守備固めなんかもちろんできない。できるのはせいぜい代走です。

 そんなある日、試合途中に体を動かして準備していると、長嶋茂雄監督の声が聞こえてきました。「代打は誰にする?」。もちろん監督が指名するのは自分ではないだろうことは予測していました。「誰が行くのかなぁ」。のんきにそのやり取りを聞いていると、ふと声がしました。

「監督、仁志を使ってやってくださいよ」

バッティングコーチだった武上四郎さんの声です。残念ながらその打席は打てませんでしたが、その声は今でも頭に焼きついています。

 スタメンを外れて約1か月。鳴かず飛ばずの時間は流れ、そろそろ二軍かと思っていた5月18日のヤクルト戦。久々のスタメンを言い渡されました。おそらくそれが最終テストだったのだと思います。

守備で華麗なプレーの仁志(96年)

華麗な守備を披露したこともあったが、まだまだ守備固めなんてできないと思っていた

 ところがまた打てず、翌日はさすがにないだろうと思っていたらまたスタメンだったのです。
「また駄目なんじゃないか」。少し諦めながら臨んだその試合、奇跡の2安打。するとそこから勢いと自信を取り戻し、1番・サードに定着するようになったのです。
 でも山もあれば谷もある。甲子園球場では試練も味わいました。

サヨナラエラーで失意の僕にミスターから呼び出し

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山あり谷ありのプロ1年目、メークドラマの裏にはミスターの「まだまだ大丈夫ですよ~」があった【仁志敏久連載#4】

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