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シーズンオフ“異種トレーニング”の出発点は酒!【下柳剛連載#12】

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高田道場のボクシングトレーニングで思わぬ〝悲劇〟

 現役時代にあらゆるジャンルのトレーニングに挑戦したオレが、日本ハム時代の2000年に導入したのが、格闘家の高田延彦さんが主宰する、東京都内にある高田道場でのボクシングだった。パンチの力を拳に伝えたり、体を回転させる動きは投球と似ていて、本業にも生かせるんじゃないかと試してみたんだ。

 やることは本格的で、縄跳びからシャドーボクシング、サンドバッグ、ミット打ちとフルメニュー。体幹と股関節の強化のためにキックの練習もした。さらに1ラウンド3分のマススパーリングも18ラウンド近くやるんだから、生半可なものじゃなかった。

桜庭(左)らとの格闘トレは阪神移籍後も続けた

 一緒に汗を流した桜庭和志とのアキレス腱固めのかけ合いなんかは楽しかったけど、トレーニングに関しては完全ガチ。4回戦の選手を相手にしてのマススパーでは、想定外の“悲劇”にも見舞われた。

 相手はプロだから、オレがどんなに頑張ったところでパンチはすべて見切られてしまう。でも、1か月ほど練習を繰り返すうちに感じが良くなってきてね。もちろんマススパーだから寸止めが大原則なんだけど、オレの繰り出したジャブが、偶然にも相手のあごをかすっちゃったんだ。

「あっ…」と言う間もなく、次の瞬間にオレはリングで大の字になって倒れてた。あごにジャブが入った瞬間にプロボクサーのスイッチがオンになっちゃったんだろうね。後で確認したら、本気の右フックがオレの左頬を捉えていたみたい。そんなアクシデントも、今となってはいい思い出だ。

 せっかく格闘技ファンの読者も多い東スポで連載をしているんだから、高田さんや桜庭との出会いや付き合いについても触れておこう。きっかけは、ダイエー時代に世話になっていた福岡の病院で、大相撲の寺尾関(現錣山親方)と知り合いになったこと。その寺尾関が高田さんともつながっていて、東京で3人して飲むようになったんだ。

 現役のプロ野球選手と関取、格闘家が本気で飲むんだから、その量もハンパなかった。3人で飲むときは日本酒がメーンで、それこそ行ったクラブの日本酒という日本酒がすべてなくなるまで飲んだりしてね。そのころにUWFインターナショナルでくすぶっていたのが、当時はマンガばかり読んで、周りから「まじめに練習しろ」とか言われてた桜庭だった。

ダッシュに挑戦する桜庭(左)を見守る下柳(2006年2月、沖縄・宜野湾)

 そんな桜庭が格闘家として頭角を現し始めたのが、98年に高田道場に移籍してPRIDEのリングに立つようになってからだ。

試合前の控室でケラケラ笑う桜庭和志

 1998年に高田道場へ移籍し、PRIDEのリングに立つようになってからの桜庭和志には、学ぶことも多かった。トレーニング嫌いは相変わらずだったけど、やるときはやるのが桜庭。オレが高田道場でボクシングトレーニングを始めた2000年春に、日本ハム球団の許可を得た上で名護キャンプに参加したときもそうだった。

 朝の声出しで「元気ですかー」とやって選手たちのハートをつかんだ桜庭は、たまたま投手陣の練習メニューに組まれていた50メートルダッシュ×50本にも挑戦してね。オレに勝ったのは1回だけだったけど、大喜びしてた。

 その桜庭が一躍、時の人となったのが、同年5月に行われた「PRIDE GP 2000」の決勝大会で、90分に及ぶ死闘の末にホイス・グレイシーを破った試合だ。その年は8月にヘンゾ・グレイシー、12月にはハイアン・グレイシーにも勝って「グレイシーハンター」と呼ばれるまでになった。

桜庭(上)とホイスの死闘(2000年5月、東京ドーム)

 時にはセコンドについたりして桜庭の戦いぶりを間近で見てきたけど、お世辞抜きにすごいと思う。特にメンタル面が。野球と違って、彼らの場合はリング上で殺されちゃう危険性だってある。実際に、出番を待つ控室では表情を硬くしてナーバスになっている選手がほとんどだ。でも、桜庭は違う。一人でケラケラと笑ってる。怖さを感じていないはずがないのに。そうした不安要素を受け止めた上で、すべてのみ込める精神的なタフさが桜庭にはあった。

 それこそセコンドについたときは、本人よりも緊張したほどだった。タイムキーパーを頼まれてたのに、ストップウオッチを押し忘れちゃったりしてね。それに、試合が進むにつれて友達の顔が腫れていくのを間近で見るのも、気分のいいもんじゃなかったな。

桜庭(左)のセコンドをすることで学んだことも多かった

 と、ここまで3回にわたってシーズンオフに取り組んだ“異種トレーニング”について書いてきたわけだけど、いずれのケースでも出発点となったのが酒だった。

 大相撲の寺尾関(現錣山親方)を通じて高田延彦さんと知り合ったときも一緒に飲んだのがきっかけだったし、ノルディックスキーを指導していただいたアルペンスキーの岡部哲也さんと出会ったのも六本木。ついでに言うと、阪神時代の04年オフから取り入れた陸上トレでコーチをしてくれた、バルセロナ五輪男子4×100メートルリレー代表の鈴木久嗣君も、もとをただせば六本木人脈だ。

 いくらシモちゃんが無類の酒好きだからと言って、ただただ飲んだくれていたわけではないんですよ。少しは分かってくれました?

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しもやなぎ・つよし 1968年5月16日生まれ。長崎市出身。左投げ左打ち。長崎の瓊浦高から八幡大(中退、現九州国際大)、新日鉄君津を経て90年ドラフト4位でダイエー(現ソフトバンク)入団。95年オフにトレードで日本ハムに移籍。2003年から阪神でプレーし、2度のリーグ優勝に貢献。05年は史上最年長で最多勝を獲得した。12年の楽天を最後に現役引退。現在は野球評論家。

※この連載は2014年4月1日から7月4日まで全53回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全26回でお届けする予定です。

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