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武藤敬司が語るジャンボ鶴田&高田延彦【スーパースター烈伝#3】

はじめに

 九スポ(九州スポーツ)でしか紙面掲載されなかった好評企画がnoteで復活!「武藤敬司のプロレススーパースター烈伝」では〝プロレスリングマスター〟武藤敬司が歴史に名を刻んだレジェンドレスラーたちをタブーなしで語ります。(運動二部・前田聡)
※ジャンボ鶴田編は2020年9月21日、高田延彦編は11月5日に九州スポーツ紙面で掲載されたものをnote用にまとめ直したものです。

馬場さん(右)とも体格的に見劣りしなかった鶴田さん

馬場さんと並んでも体格的に見劣りしなかったジャンボ鶴田さん

ジャンボ鶴田は「天が二物を与えたレスラー」

 今回はジャンボ鶴田さんか…。俺、ほとんど面識がないんだよね。多分、1回話したことがあるだけじゃねえかなあ…。

86年度プロレス大賞で顔を合わせた武藤(後列右端)と鶴田(左から2人目、87年1月4日)

1986年度のプロレス大賞授賞式で顔を合わせた武藤(後列右端)とジャンボ鶴田さん(左から2人目)

 レスラーとして? そりゃあもう、すごかったと思いますよ。まず縦横(のサイズ)があって「ディス・イズ・プロレスラー」って感じだよな。プラス、当時の全日本プロレスっていうのは外国人もすごい選手を招聘していたからね。NWAとかAWAとか、向こうの保守本流の団体とちゃんと付き合ってて、そこの王者とかさ。そういう選手と互角以上の体形で真っ向勝負できる日本人レスラーはなかなかいないですよ。

 晩年は三沢(光晴=享年46)とか川田(利明)とか、対日本人というか後輩たちと戦ってね。イメージとしては若手全員で鶴田さん一人に向かっているような感じだったよな。

鶴田のジャーマンスープレックス気味のバックドロップ

スープレックスで見事な弧を描く鶴田さん。身体能力の高さを物語っている

 会って話したのは多分、東スポのプロレス大賞のパーティーだったと思いますよ。俺が同じ山梨出身っていうのも知ってくれていて、向こうから話しかけてくれたんだよ。結構長く話したな。なんの話をしたかは忘れちまったけど(笑い)。

 実は、鶴田さんのお兄さんと柔道の試合をしたことがあるんですよ。山梨で就職していた時期だから20歳くらいの時かなあ。県の柔道の大会でちょうど当たって。見た目がすごい似てたんだよ。でかくてさ。みんなが噂してるから鶴田さんのお兄さんだって分かってて、試合をしてちょっとうれしかった。ミーハーだったから(笑い)。結果? 勝ちましたよ。詳しくは覚えてねえけど。

鶴田さんに引けを取らない体格の実兄・恒良さん(右、83年)

鶴田さんにひけを取らない体格の実兄・恒成さん(1983年)

 亡くなられた2000年5月に俺はアメリカにいたんですよ。ただ、亡くなられてからも変なところで接点があって。家を買った不動産屋が同じなんだよね。

 さらにうちは女房方の親父が建築屋で鶴田さんちにちょくちょく入っていたらしいんだよ。その義理の父はもう亡くなってて俺の家も建ててもらったんだけど、鶴田さんやその奥さんと飯も食ったりしてたって。そう考えると、もしご存命だったら関係は深くなってたかもしれないよな。

 噂に聞くと、財布の方はなかなか〝堅実〟だったらしいね。甲州人はみんなそうなんだけど(笑い)。晩年は大学教授みたいのもやったりしたし、経済観念とかしっかりしていて、もしご存命だったら俺たちの見本になるような生き方をしてくれていたんじゃないかと思うよな。

長州力はいまだに言う「あいつは化け物だった」

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