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東日本大震災で津波にのまれてしまった駒大野球部の親友と語った〝夢〟【石毛宏典連載#17】

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若者の夢実現へ独立リーグ設立を模索

 2011年6月、私は岩手県の陸前高田市を訪れた。駒大野球部の同期で親友の伊東進に会うためだ。

 伊東は東日本大震災で逃げ遅れた人々を助けようとして津波にのまれてしまったという。地元で「山十」という文具店を営みながら、地域振興のために精力的に働いていた。地域の皆が幸せになることを願っていた正義感の強い男だった。遺影の中で伊東はあの時と同じように笑っていた。10年以上前に2人で東北に独立リーグを設立できないかという夢を語り合った時のように…。

 2005年4月29日、私が創設した日本初の独立リーグ「四国アイランドリーグ」が開幕した。最大の目的はプロ野球選手になりたいという夢を持ち続けている若者にチャンスを与えることだった。そして、プロ野球OBの再雇用、地域振興や青少年育成にも貢献できないかと考えていた。

コーチ留学で渡米した石毛(1997年2月、ドジャータウン)

 きっかけはコーチ留学のため1997年に渡米した際、独立リーグを視察したことだった。米大リーグ球団の傘下であるマイナーリーグとは別に夢を抱いている若者が野球をする場があるということに感銘を受けた。その中には日本の若者もいた。私は異国で夢を追い求める彼らに国内でチャンスを提供してあげたい、と考えるようになっていた。

 98年にダイエー(現ソフトバンク)を退団。99年からNHKなどで野球解説をしたり、講演活動をする一方で独立リーグの可能性も探っていた。00年には再び独立リーグ視察のために渡米した。ハワイでウインターリーグか独立リーグを設立しないかという話も舞い込んできた。2632試合連続出場で鉄人と呼ばれたカル・リプケンもハワイでチームを設立する構想を持っていたため、一緒にリーグを立ち上げようというものだった。最終的にはMLBとの交渉がうまくいかなかったこともあり、実現はしなかった。

 その後、私は国内での独立リーグ設立を模索した。その中で東北独立リーグの可能性について話し合ったのが現地の青年会議所の理事長だった伊東進だった。東北地方は毎年、プロ野球の公式戦も行っており各地に設備が整った球場もある。高速道路網も整備されており、チームや観客の移動も問題ない。東北6県に1チームずつ6球団でリーグ戦を行うという青写真を描いていた。

 地域振興につながることもあって伊東も大きな興味を持ってくれた。2人で「費用はどれくらい必要か」「地元企業や青年会議所の会員の出資などで賄えるかもしれない」などと具体的な話もしていた。彼の長男の進太郎も地元のために頑張っていたが、震災の犠牲になってしまった。伊東親子とはもっともっと語り合いたかった。日本の将来のこと、野球のこと…。熱い志を持っていた2人のことだから、きっと目を輝かせながらいろいろなことを話してくれたはずだ。そう思うと悔しくてたまらない。

 私の独立リーグ構想はオリックス監督就任のため一時中断したものの、退団した03年から再び動き出す。

解任されて会見に臨むオリックスの石毛監督(2003年4月、札幌ドーム)

独立リーグ運営コストは年間6億円

 根本陸夫さんにこんな話をされたことがある。「石毛、大人1人が1年間で食う米の量を知っているか? 60キロだ。その分の金さえあれば生きていけるんだ。ぜいたくはするなよ」――。

 2003年4月にオリックスを退団すると“臨時収入”があった。1年4か月で監督を辞任したもののオリックスとは3年契約を結んでおり、契約期間の残り1年8か月分の監督報酬をもらった。実際に働いて得た収入ではない。言葉は悪いが私にとっては「あぶく銭」だ。このお金を野球界のために使えないか、と考えていた。同時に監督就任前に模索していた独立リーグ構想を現実のものにしたい、という思いも強くなっていた。

 元球団幹部の方やマスコミ関係者など様々な人に私の考えを聞いてもらい、意見を求めた。その中で証券会社に勤めていた大学時代の友人から中村洋一郎を紹介してもらった。中村は証券会社で企業買収や業務提携などを担当しており、会社設立や運営などに詳しく、私が実現の可能性を問うと「五分五分です」と答えた。

「5割も可能性があるのか」と前向きにとらえた私は本格的に夢を実現するために動き出した。まず場所を四国に決めた。昔から野球熱が高く、高速道路も整備され地域内の移動もスムーズにできる。各県1チームずつの4球団でスタートさせるのがいいのではないかとなった。

会見に臨む「IBLJ」の石毛代表(2004年9月、高輪プリンスホテル)

 続いて最大の懸案事項になる運営資金について検討した。国内には野球の独立リーグのモデルがなかったので、地元密着で活動しているJリーグや米独立リーグ、マイナーリーグの運営方法を参考にしながら試算し、年間6億円ぐらいの運営コストがかかるという数字をはじき出した。

 6億円という金額は経済や経営の知識を持っていない人間にとっては現実離れしたもので調達することは不可能と感じてしまうだろう。球界の仲間が「そんな大金を集めるのは無理だよ」と言うのも仕方がないことだ。しかし、中村ら専門家にとっては普段から接している金額で具体的な調達方法を考え、可能か不可能かを判断することできる。そういう意味では何事も漠然とした夢の段階であきらめるのではなく、実現に向けて様々なことを具体的にしっかりと検討してから判断すべきではないかと改めて感じた。

 コストを算出した後に入場料やスポンサー料などの収入予算の構想も考え、運営プランのモデルも出来上がった。こうした数字も踏まえて04年3月に最終的に日本初の独立リーグを発足させることを決断した。4月23日に運営会社「IBLJ(Independent Baseball League of Japan)」を設立。スポンサー探しをはじめ準備は難航したが、年末に香川・高松、東京、大阪、札幌など全国各地で入団テストを開催すると1166人もの応募者が集まった。「野球をするチャンスを求めている若者がこれだけいるんだ」。私の使命感はさらに燃え上がった。

四国アイランドリーグは地域文化に根付きファンを獲得した(2015年6月、高知球場)

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いしげ・ひろみち 1956年9月22日、千葉県旭市生まれ。市立銚子から駒大、プリンスホテルを経て81年に西武ライオンズにドラフト1位で入団。8回の日本一、11回のリーグ優勝に貢献。新人王(81年)、シーズンMVP(86年)、日本シリーズMVP(88年)、ベストナイン8回、ゴールデングラブ10回、14年連続球宴出場と輝かしい成績を残す。94年オフ、ダイエー(現ソフトバンク)にFA移籍。96年に引退。ダイエー二軍監督、オリックス監督を歴任。その後、四国アイランドリーグを創設するなど各地の独立リーグ設立に尽力。現在は野球教室「石毛野球塾」の塾長を務める。著書は「石毛宏典の『独立リーグ』奮闘記」(アトラス出版)。

※この連載は2012年5月8日から7月13日まで全40回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全20回でお届けする予定です。

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