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【プロレス】豪傑列伝

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プロレスと格闘技界の豪傑のエピソードをまとめました。
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#デスマッチ

沼澤邪鬼が語る初めての蛍光灯デスマッチ「いきなり死にそうになりました」【豪傑列伝#31】

 デスマッチの雄・大日本プロレスでも、一部から熱狂的な支持を集めているのが“黒天使”沼澤邪鬼だ。ケガを恐れず、理不尽な言動も数知れない。その生きざまは「神様」の異名通りだ。  幼いころからケガと隣り合わせだった。3歳の時に不注意から左手を骨折し、中学時代には柔道部の練習で受け身に失敗して右ひじを骨折。生まれて初めて入院生活を余儀なくされた。高校卒業後は地元の埼玉・本庄市の工場に就職。その後は職を転々としたが、レスラーになる夢をあきらめきれず、2000年に大日プロに入門。同年

頭皮がめくれてペッタンペッタン…田中将斗「笑い事やないっちゅうねん」【豪傑列伝#27】

 ゼロワンの弾丸児・田中将斗はメジャー、インディを問わず、どこのリングでも高評価を得ているレスラーだ。かつては日本人で初めてECW世界ヘビー級タイトルを奪取。ハードコア路線を得意としているだけに生傷は絶えない。旧FMW伝統の“休まない”美学を今に伝える男が経験した大惨事とは…。  デビューから16年、これまで300針以上、体を縫ってきた。今でも忘れられない傷が、頭頂部に残っている。  頭頂部の皮がめくれて頭蓋骨が見えていたにもかかわらず、そのまま試合を続行。当時、対戦相手

葛西純「あのババァ、医師免許持ってなかったんじゃねぇのか?」【豪傑列伝#26】

 プロレス界の〝狂猿〟こと葛西純は自他共に認めるデスマッチの天才だ。蛍光灯、画ビョウは日常茶飯事。11月20日にはあまりに危険なため過去3度しか行われていないカミソリボードデスマッチを敢行。デスマッチ史に残る戦いをくぐり抜けてきた男は、常識外れの生命力を持っていた。  デスマッチにこだわりを持つ葛西だけに、試合後の肉体はいつもズタズタ。生傷とは切っても切れない間柄だ。そんな葛西でも「あれはクレージーだった」という出来事があった。  聞くだけで身の毛もよだつ話だが、本人はケ

伊東竜二「そのままバイクで病院にいったんですが、お医者さんが『緊急入院です』」【豪傑列伝#22】

「デスマッチの雄」大日本プロレスのエース・伊東竜二ほど命知らずの男はいない。何度も選手生命を脅かされる大けがを負いながら、不死鳥のごとく生還してきた。最強デスマッチ戦士の生きざまとは――。  流血は日常茶飯事。全身に刻まれた切り傷は100や200では収まらない。命も惜しまずデスマッチで暴れ回ってきた伊東だが、これまで2度にわたって「最悪の瞬間」に直面したという。最初の惨劇は2006年9月のBJW認定デスマッチヘビー級選手権だった。当時の王者・佐々木貴に挑戦した伊東は、約4メ