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伊東竜二「そのままバイクで病院にいったんですが、お医者さんが『緊急入院です』」【豪傑列伝#22】

「デスマッチの雄」大日本プロレスのエース・伊東竜二ほど命知らずの男はいない。何度も選手生命を脅かされる大けがを負いながら、不死鳥のごとく生還してきた。最強デスマッチ戦士の生きざまとは――。

 流血は日常茶飯事。全身に刻まれた切り傷は100や200では収まらない。命も惜しまずデスマッチで暴れ回ってきた伊東だが、これまで2度にわたって「最悪の瞬間」に直面したという。最初の惨劇は2006年9月のBJW認定デスマッチヘビー級選手権だった。当時の王者・佐々木貴に挑戦した伊東は、約4メートルの足場からドラゴンスプラッシュ(ダイビングボディープレス)を発射した際、受け身に失敗し、両腕を痛打。右とう骨幹部骨折、左月状骨周囲脱臼などの重傷で緊急手術を受けた。

【伊東の話】あの時は「あ、失敗したな」と思ったんですが、その後も試合は続けました。試合が終わってすぐ病院に行ったら、入院しなさいと言われて。1週間ほど入院して、それから半年ほど休みましたが、かなりキツかったですよ。痛みなんかよりも、試合に出られないのが。それに両腕が使えなくて、トレーニングもできない。痛みがどうとかよりも、それが一番つらかったですね。

ドラゴンスプラッシュの受け身に失敗して両腕を痛打した伊東(上=2006年9月、横浜)

 交通事故と同様の重傷を負いながらも、まるで人ごとのような口ぶりで振り返る。この男の無鉄砲ぶりは誰にもマネできないだろう。復帰後は縦横無尽の大暴れを続けてきたが、再びとんでもない悲劇に襲われた。今年5月9日の四日市大会。試合開始後1分で、割れた蛍光灯が背中に突き刺さり、またまたとんでもない大けがを負ってしまった。

【伊東の話】試合を見た人の話だと、傷口から背中の脂肪がぶら下がってたそうです。とりあえず四日市市内の病院で診察してもらいましたが、背中って自分から見えないじゃないですか。大したことないだろうと思って、次の日は地元の横浜に帰りました。そのままバイクで病院にいったんですが、お医者さんがびっくりして「緊急入院です」と(笑)。お医者さんいわく「100針までは覚えてる」そうです。破片は肋骨の手前まで来ていて、あと何センチか深ければ、肺に穴が開くところだったとか。まあ、今までの戦いの中では一番危なかったですねえ。

 痛みの感覚が完全になくなっているのか…。開いた口がふさがらないが、さらに目を見張るのは、驚異的な回復力だ。それだけの大けがにもかかわらず、わずか2か月足らずで、リングに戻ってきたからビックリだ。

【伊東の話】6月29日の後楽園大会で復帰しました。本当ならもうちょっと休むべきでしょうけど、ボクの仕事を理解してくれてるのか、お医者さんは何も言いませんでした。大体、けがも覚悟の上で試合してますからね。泣き言言ってたらプロレスラーじゃありませんよ。

流血も凶器も怖くない。命知らずの男・伊東の挑戦は続く…

 過激なデスマッチで他の追随を許さない伊東だが、その反動からかプライベートは「全くおとなしいですね」という。家の風呂では傷口を刺激しないため、連日ぬるま湯で疲れを癒やしている。最近の趣味はネットサーフィンだとか。ただ、たまにユーチューブで自分の試合を見ると、その激しさに今さらながら驚いているそうだ…。

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。

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