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【プロレス】豪傑列伝

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プロレスと格闘技界の豪傑のエピソードをまとめました。
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2024年3月の記事一覧

大谷晋二郎の72時間ぶっ通し飲み【豪傑列伝#8】

 ゼロワン関係者の間では、大谷の酒好きは周知の事実。浅井啓貴広報によれば「飲まない日はないと思います。毎日飲まないと眠れないらしいですから」というほどの酒好きだ。  飲めや食えやの大騒ぎをしていた大谷だが、誰しも限界はある。時間がたつにつれて来客たちも潰れ、飲み疲れた大谷もこっそりとベッドで横になったのだが…。 これだけの大人数、男と女がいれば、やはり芽生える恋もあったのか?  結局、宴会は丸3日続き、ようやくお開きとなったという。飲んだ酒の量たるや、空きボトルで6畳の

武藤敬司 米国修行中はナンパざんまい「若いからムラムラするんだよ」【豪傑列伝#7】

 あの頃はオレも若かった。「天才」「プロレスマスター」などと称されるプロレス界のスター・武藤敬司も、やはり人間だ。多感な青春時代を送り、米国で武者修行した際はナンパざんまい…。今では考えられない武藤のプレーボーイぶりを大公開する。  1985年、米国遠征に旅立った武藤は各地を転戦し、後にWCWマットでグレート・ムタとして大ブレーク。その名を世界にとどろかせた一方で、夜の世界でも大物ぶりを発揮した。  武藤の記憶では、アタックに成功しながら事が成就しなかったのはわずかに2人

ケガをしても練習を休まない小橋建太「あの温厚な馬場さんが怒ったんだ」【豪傑列伝#6】

 2007年12月2日、日本武道館。腎臓がんを克服した小橋建太が546日ぶりにリングに戻ってきた。日本中が注目した鉄人の復活劇だったが、わずか9か月後の翌年9月には、両腕の手術で再度長期欠場を余儀なくされる。2000年8月にノアが旗揚げしてから、小橋が長期欠場したのは実に4回。ひざと腕は何度も故障しており、体にメスを入れた回数は何と11回になるという。  小橋の記憶では、初めて試合を欠場したのは全日本プロレスの若手時代。まだ故ジャイアント馬場さんの付け人をやっている時だった

関本大介「サザンを歌いながら踊っていたらだんだん火照ってきて…」【豪傑列伝#5】

 日本が世界に誇る「ズングリマッチョレスラー」関本大介(大日本プロレス)には、大きな声では言えない酒癖がある。マット界でも謎と言われる関本のプライベートが、いま明かされる…。  まさに「いなかっぺ大将」の「♪大ちゃんドバっと丸裸~」を地で行く天然ぶりだ。さぞ豪快に下半身のイチモツもブ~ラブラさせていたに違いない。  下半身までさらしてしまっては完全な警察沙汰だ。日韓レフェリーもたまったものではなかっただろう。また後輩との酒宴の席とはいえ、妻の前で男に全裸になられた伊東も内