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武藤敬司 米国修行中はナンパざんまい「若いからムラムラするんだよ」【豪傑列伝#7】

 あの頃はオレも若かった。「天才」「プロレスマスター」などと称されるプロレス界のスター・武藤敬司も、やはり人間だ。多感な青春時代を送り、米国で武者修行した際はナンパざんまい…。今では考えられない武藤のプレーボーイぶりを大公開する。

 1985年、米国遠征に旅立った武藤は各地を転戦し、後にWCWマットでグレート・ムタとして大ブレーク。その名を世界にとどろかせた一方で、夜の世界でも大物ぶりを発揮した。

【武藤の話】ナンパはよくしていたね。若いからやっぱりムラムラするんだよ。普段、会場に来ているファンだからそんなに失敗することはない。リング上のいいところばっかり見てもらっているからね。一般人となると難しいと思うけどな。

米国時代の武藤はどこへ行ってもモテモテ。なお写真の女性と本文は関係ありません

 武藤の記憶では、アタックに成功しながら事が成就しなかったのはわずかに2人だけという。WCW時代は同団体の収録スタジオがあったアトランタ空港付近にあるホテルに定住。移動にも便利でレスラー御用達の宿舎と評判で、いつしか熱心なファンも住み着いた。

【武藤の話】アルバイトをしながら暮らしていた2人の女と仲良くなった。結局、そいつらは生活に困ってストリッパーになったんだよ。じゃあ、答えはひとつじゃん。こっちは2人のストリップデビュー戦まで見に行ったし。でも、なぜかコイツらは最後まで絶対にヤらせてくれなかった…。今となってはいい思い出だけどさ。

 例外は除き、ナンパの成功率はほぼ100%。それだけ遊び歩いていれば、は信じ難い出来事にも遭遇する。サーキット仲間だったケンドー・ナガサキ(桜田一男)と口説き倒した〝美女〟が実は男だったことも…。なかでも武藤が鮮明に記憶しているのは〝失踪事件〟だ。

【武藤の話】いつものようにナンパしたら「ウチまで車で20分だから行く?」と誘われたんで、もちろん行った。そうしたら、どういう事情かは知らないけどベッドに子供が寝ていたんだよ。さすがに悪い気がしてオレは衝動的に家を飛び出しちまったら、なぜか鍵を閉められちまったんだよ…。オレも酔っていたから「走って帰ればいいか」と思ったんだけど、その後が最悪だった。

武者修行中はナンパざんまいだった武藤。写真の女性と本文は関係ありません(1986年7月、米フロリダ州タンパ)

 武藤は夜道を一人で走りに走った。ところが、滞在先のホテルが一向に見当たらない。当然だ。その距離は実に約30キロ。道端で小休止すれば、民家の番犬にほえられ、庭先から自転車を拝借しようとも考えた。途方に暮れながら歩を進め、気がつけば空は明るくなり、心配して付近を捜索していたレスラー仲間に発見されたのは午前7時ごろ。結局、武藤はその日、一睡もしないまま試合に出場した。

【武藤の話】いろんなことをやらかしたけど、反省はしなかったな。米国産の避妊具はイマイチで着けていなかったし。それで毎回「エイズにかかってないかな…」と翌朝、いつもヘコんでいた。でも、ヤりたいんだからしょうがねえ(笑い)。そんなことの繰り返しだよ。でも、男の性欲ってそんなもんだろ!?

 そんな武藤も92年に久恵夫人と結婚。一男一女をもうけ一家、そして全日プロの大黒柱となった。「もう昔の話だからな。時効だよ、時効!」。その言葉を信じたい。

※この連載は2009年4月~2010年3月まで全33回で紙面掲載されました。東スポnoteでは当時よりも写真を増やしてお届けします。

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