武藤敬司が語る橋本真也&リック・フレアー【スーパースター烈伝#7】
はじめに
九スポ(九州スポーツ)でしか紙面掲載されなかった好評企画がnoteで復活!「武藤敬司のプロレススーパースター烈伝」では〝プロレスリングマスター〟武藤敬司が歴史に名を刻んだレジェンドレスラーたちをタブーなしで語ります。今回は闘魂三銃士としてともに歩んだ名レスラー〝破壊王〟こと橋本真也。そして、武藤の代名詞となっている足4の字固めの使い手で、武藤のファイトスタイルに大きな影響を与えた〝狂乱の貴公子〟ことリック・フレアーの2人が登場。笑える話から泣ける話まで〝雪崩式〟に振り返っていきましょう。(運動二部・前田聡)
警備員に借りた銃で後藤達俊を狙う橋本真也。ちゃめっ気たっぷりだ(84年12月、フィリピン・マニラ市内)
入門時には「タイガーマスクを目指す」と宣言したのに、どんどん太っていった橋本真也
1984年に新日本に入門して最初に会った時、橋本もまだ体重が100キロちょいしかなかったんだよ。俺とも体重はそう変わらなかった。それで俺と蝶野(正洋)は練習でどんどん痩せて一時90キロ台になったけど、あいつだけどんどん太っていったな(笑い)。
入門したころの橋本。その後と比べてかなり細かった(84年11月、道場)
「ジュニアヘビー級でタイガーマスク目指して頑張るんだ」くらいのことを言ってたのに、ドンドン食って太っていった。だけど瞬発力は落ちなかった。縄跳びなんか、すげぇうまかったもん。二重跳びなんかずっとやってられたんだよ。
ヤングライオン杯の決勝戦で対峙する橋本(右)と蝶野、レフェリーは藤波(87年3月、後楽園)
正直、最初の数年間はずっと俺がリードして先を走ってたんですよ。3歳年上っていうのもあってね。だけど1993年9月にグレート・ムタが負けてIWGPヘビー級のベルトを橋本に取られて…。この辺から俺と蝶野と橋本の3人、本格的に横並びになった感はあるよな。
ムタを攻める橋本(93年9月、名古屋)
橋本のプロレスのスタイル? 正直「これは日本特有のものだなぁ」と思ってたよ。「よくここまでできるな」っていうくらい蹴ってたから。当時はレガースとかないから、試合が終わると靴の跡が付くんだもん。今だったらありえねぇし、当時でもアメリカでやったら大変だよ。だからかな、若干、外国人に対しては蹴りの強さが緩かった気がする(笑い)。
小川直也との遺恨マッチは世間をヒートアップさせた
俺や蝶野とは違うやり方で戦ってたよな。ある意味スカさないやり方というか。もしかしたら、一生懸命「ストロングスタイル」というものを守ろうとしていたのかもしれない。だからこそ「VS小川直也」っていうのはあそこまでやったんだろう。やっぱり橋本といえば、一番記憶に残るのは小川戦だもんな。あの試合? 俺と蝶野からしたら「触らぬ神に祟りなし」だった。「神」にタッチしたらアウトだよ。でも、橋本は(アントニオ)猪木さんのことが大好きだったから。
猪木に豚の頭を差し出されてからかわれる橋本はうれしそう(88年、ソ連)
デタラメさは猪木さんを超えていた破壊王
猪木さんに心酔してたよ。だけど、猪木さんの悪いところばっかりマネしてたよな(苦笑い)。どこかって? デタラメさだよ。金でもなんでもデタラメで。〝ある部分〟においては猪木さんの方がまともなくらいのこともあった。
懐かしの闘魂三銃士(左から蝶野、橋本、武藤、93年2月、両国)
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