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大沢親分の強烈インパクト「何だか、怖そうなオジサンだな」【田中幸雄連載#4】

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日本ハム3位指名の決め手となった〝人のつながり〟

 運命の日。1985年ドラフト会議が開催された11月20日は水曜日だった。都城高校の授業は普段通り。何時間目だったかまで覚えていないが、授業中に流れた校内放送で私だけが職員室に呼び出された。

 クラスメートがザワザワする中、ひとり教室を出て職員室へ向かう。ノックして扉を開けると先生たちは笑顔で迎えてくれた。「日本ハムが、きみをドラフト3位で指名した」。信じられない思いと同時に、うれしさから自然と表情が緩んだ。

 小学校6年のとき、卒業文集に「将来の夢はプロ野球選手」と書いた夢が現実になった。プロの世界から評価されていることを伝え聞いてはいたが、ドラフト会議で実際に指名されるかは半信半疑だった。だから喜びもひとしお。正直に言うと日本ハムのことはほとんど知らなかったが、プロの世界に飛び込めるというだけでうれしかった。

85年のドラフト会議で田中を3位指名した大沢常務(左)と高田監督

 それにしても縁というのは不思議なものだ。以前に各球団のスカウトが私を高く評価していたという話に触れたが、実際に3位指名してくれた日本ハムでは当初、それほど私を評価していなかったそうだ。

 一般的な流れとして、各地区の担当スカウトはお目当ての選手を追い、データやプレーの映像を収集する。それを球団事務所などで定期的に行うスカウト会議でクロスチェックして選手を取捨選択するのだが、私に関しては各スカウトの反応も芳しくなかったそうだ。それがなぜ、最終的に3位指名されたのか。決め手となったのは“人のつながり”だった。

 宮崎・都城市内の私の実家近くには日本ハムの子会社があり、創業者でファイターズの初代オーナー、大社義規さんが時々現地視察にいらっしゃっていた。その際の専属運転手を務められていた方が都城高校の近くに住んでいて私の存在を知っていたことから、大社さんへ直々に「都城に田中幸雄君という、いい選手がいるのでぜひ注目してあげてください」と猛プッシュ。その熱意に根負けした大社オーナーからトップダウンで視察を厳命されたのが、当時は球団常務をされていた大沢啓二さんだった。

(左)から高田繁監督、大社オーナー、大沢啓二常務(84年11月のOB会、三笠会館)

 “親分”自ら都城まで足を運んでくれたのは3年夏の練習中で、私も「日本ハムの大沢さんが練習を見に来ている」と聞いていた。特に意識はしていなかったが、その日はいつもより体が動いていたことを覚えている。なんでも、その際の機敏な動きに“親分”はほれ込んで即座にドラフトでの指名を決めたそうだ。

 ドラフト会議当日、私は校内に用意された記者会見場で、多くの報道陣を前に取材対応した。無数のフラッシュに矢継ぎ早の質問。何と答えていいのか分からず、苦労した。日本ハムに関する質問もあったが「よく知りません」とも言えず、必死に取り繕ったようなことも覚えている。

ホテルの窓から見えた東京タワーは見たこともない幻想的な光景だった

 1985年のドラフトで日本ハムから3位指名を受け、プロ入りが現実になると途端に慌ただしい日々が始まった。地元・都城では「プロ野球選手誕生」によってちょっとしたフィーバーが起こり、バタバタした中で球団と仮契約。11月下旬には新入団会見に出席するため東京へ向かった。

田中を高く評価していた大沢常務(左)と高田監督

 会見場となった東京都内のホテルへ行くと、日本ハムのそうそうたる面々が勢揃いしていた。まず強烈なインパクトを与えられたのは球団常務の大沢啓二さんだ。正直なところ「何だか、怖そうなオジサンだな」というのが第一印象。スカウト陣が一様にいい評価をしていなかったにもかかわらず唯一、猛プッシュして私の獲得を推し進めてくれた“陰の恩人”だが、その時点ではそんな舞台裏も知らなかった。大沢さんには後に媒酌人まで務めていただくことになるのだから、運命というものは分からないものだ。

 高田繁監督とも会見場でお会いした。スラッとしたスーツ姿の指揮官からは「頑張ってくれよ、頼むよ」と肩をポンと叩かれ、右手を強く握られると自然に身震いした。高田監督のことはもちろん知っていた。現役時代は巨人の有名選手で何度もテレビで見たスター。この人の下で同じユニホームを着て、これからプレーすることになるのか――そう思うと何だか不思議な気持ちになり、いよいよプロになるのだなという実感も増した。

入団交渉する本田技研・広瀬哲朗、左は大沢啓二常務(85年11月)

 ドラフト同期入団の選手たちとも初対面。そこには1位指名された本田技研の内野手・広瀬哲朗さんがいた。やはり会見ではドラ1ということもあってメディアの注目の的だった。記者から矢継ぎ早に浴びせられる質問を見聞きしながら、これがプロの世界なんだなと思わずにはいられなかった。それと同時に、冷静に答える広瀬さんの立ち居振る舞いを見て、学年でいえば「7つ上」ということも改めて感じた。

 何せ、この時の自分は誕生日を迎える直前で、まだ17歳。世の中の右も左も分からず生まれて初めてやってきた大都会・東京で、しかも大人の社会どころかプロ野球という夢の世界へいきなりポーンと放り込まれたのだ。困惑するのも当然だった。

 会見が終わり、球団が用意してくれたホテルの部屋へ戻ると、部屋の窓からは鮮やかなネオンサインを放つ東京タワーが見えた。それは都城の生活では見たこともない幻想的な光景だった。

「俺はすごいところへ来たんだな」

 生まれて初めて独り言をつぶやいた。心の中では期待と不安が入り乱れていたが、ここまで来た以上はやるしかない。もう後戻りも逃げ出すことも絶対にできないのだ。高校3年生の自分は強い決意と覚悟を固め、プロ野球選手として生きていくことになった。

宮崎を離れひとり暮らしで初めてホームシックに

 ドラフト同期入団は私を含めて6人だった。それにドラフト外入団の選手も加わって1986年1月上旬、基礎体力トレーニングが行われることになった。ここからがプロ野球選手として事実上の船出だ。

 その直前に神奈川県川崎市内にある「勇翔寮」へ入寮。宮崎・都城の親元を離れ、選手寮での新生活をスタートさせた。一人部屋で決して広くはなかったが、当時18歳の自分にとっては大きなベッドと机、収納スペースもあって生活するには申し分ない。持ち込んだものは着替えの服ぐらいだったと記憶している。自分はプロ野球選手になるため、ここに来たのだから必要最低限の物以外はいらない。足りない物があったら、こっちで買えばいい。そういう気構えでいた。

現在の勇翔寮は鎌ヶ谷スタジアムに隣接している(10年3月、千葉・鎌ヶ谷)

 寮生活自体は都城高校3年生の時に経験していたが、実家から寮までは自転車で行ける距離で、本格的な一人暮らしは初めて。都会の生活ではいろいろなものが新鮮に映ったが、楽しかったのは最初だけ。基礎体力トレーニングが始まると、だんだんと余裕がなくなっていった。

 練習場所となる日本ハムの多摩川グラウンドは勇翔寮のすぐそば、東横線の新丸子が最寄り駅だった。ちょうど多摩川をはさんで東京都側には巨人の多摩川グラウンドも見える。対岸にはすごい数のファンがいるのに、こっちは明らかに少ない。遠目で小さく動いているジャイアンツの選手を見ながら、そう思った。だが、そんなことも厳しい練習メニューを他の新人たちとこなしていくうちに感じなくなった。

 1月は、まだ高校3年生。他の生徒たちは普通に授業をしているが、自分は毎日遠く離れた場所でプロ選手としての猛練習を積んでいる。辞めたいとは全く思わなかったが、初めてホームシックにかかった。寂しいと感じたことはこれまで一度もなかったので、きっと精神的にも極限状態に追い込まれていたのだろう。

多摩川グラウンドでの練習前に新人あいさつの列に並ぶ田中(左から2人目、右は高田監督=86年1月)

 多摩川グラウンドにはそれまで雲の上の存在だった有名選手たちが、自主トレを行うため大勢やってきた。ファイターズの選手で以前から知っていた島田誠さんや高代延博さんにもごあいさつさせていただいた記憶は何となくあるのだが、さすがに詳細まではよく覚えていない。あまりにもガチガチに緊張していたので、おそらく頭の中は真っ白になっていたのだろう。

日本ハムの島田誠(左)と高代延博

 それに自分は入りたての新人選手。18歳の高校生だ。こっちから話しかけられるような雰囲気もまるでなかった。あいさつしてもらえれば、もう御の字である。一、二軍の選手が多摩川グラウンドに来ると背番号の上の表記を見ながら、その人たちの名前を確認して覚えていく。そういう毎日を繰り返し、2月のキャンプインを迎えた。

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たなか・ゆきお 1967年12月14日生まれ。宮崎県都城市出身。都城高1年生秋から正遊撃手に。84年春の選抜大会、同年夏の選手権大会と甲子園に2度出場。85年のドラフト3位で日本ハム入団。1年目のシーズン中に一軍初昇格。87年から正遊撃手に定着し、ベストナイン4回、ゴールデン・グラブ賞5回。95年は打点王に輝き、当時のパ・リーグ新記録となる339守備機会連続無失策も達成。2000年はシドニー五輪に出場。07年に通算2000安打達成。同年限りで現役を退く。一、二軍の打撃コーチを経て17年まで二軍監督。日本ハム一筋の「ミスターファイターズ」。現在は野球評論家。

※この連載は2019年10月1日から12月27日まで全49回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全18回でお届けする予定です。

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