130キロの「超速球」、星野伸之さんのすごさはキレと天性のカーブ【野田浩司連載#8】
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130キロの「超速球」、星野伸之さんのすごさはキレと天性のカーブ【野田浩司連載#8】

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練習量もすごいイチロー、試合後も打撃練習

 イチローは毎年首位打者を取っていたのに、その打撃フォームをキャンプになると毎年変えてきていた。普通なら変えない方がいいくらいなのに相手投手が警戒してくるから“変わらなきゃ”ということなんです。

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首位打者を取っても翌年には打撃スタイルを変化させていたイチロー。意識の高さに驚かされた

 ただ、あいつの中ではいろいろやっても「絶対に戻せる」というのがあった。僕だって普通に投げてはいても、自分の中で試行錯誤なんです。長年やっていればわかるんだけど、自分の形、ポイントというのがある。ここだけは崩してはいけないところというか…。

 例えば若い選手がコーチにいじられてフォームがバラバラになってしまうことがあるでしょ。ここだけは崩してはいけないところ、感覚というのはあるんです。逆に言えば他は変なことをやっても平気だし、それ以下にはならないというね。

 あいつがブレークして2年目くらいだったかな。僕が「お前、チェックポイントを自分で持ってるのか?」って聞いたら「もちろんです。2か所くらいはあって、そこは絶対に変えないし、万が一、変えても戻せる、というのは持ってます」って。21~22歳くらいでそんなことを言うんですから、やっぱりすごいですよ。俺なんか何年もやっているのにまだ試行錯誤してて…。

 感覚の世界ですよ。あれだけ前に体がいってもバットだけ残るような打ち方は普通、できない。僕との対戦は、紅白戦だけですね。チームが分かれることを楽しみにしていました。「よっしゃ、イチローと逆や」って。僕、5の0か、4の0で打たれてないんですよ。どうしたら打ち損じるか、考えていました。

 神戸ではロッカーが近かったからよく話してましたね。最初はみんなでワイワイやっていたし「お前、すごいな~」「たまたまですよ~」なんて。それが年々なくなっていった感じでしたけど…。本当にすごくなってからは“別格”になっていきましたね。

 練習量もすごかった。試合後は、時間をかけてスパイクとグラブを磨いて、そこから打撃練習ですから。「お前、今日ヒット3本打ってるんちゃうんか!」「いや、納得が…」って。こっちは私服に着替えて帰ろうとしている時、あいつはバットを持って室内に行くタイミングですから。

イチローを見つめる父の鈴木宣之さん(96年3月、GS神戸)

イチローを見つめる父の鈴木宣之さん(96年3月、GS神戸)

 やっぱり彼を育てた親父さん(宣之さん)がすごいんでしょうね。教育したわけですから。あの親父さん、イチローが遠征に行っている時も名古屋から寮に来て部屋の掃除をしたり、イチローの車を洗っていましたよ。普通はそんなことできない。溺愛ですよねぇ。神戸で僕が投げた時なんか試合後に親父さんが来て「すいません、イチローが今日は打てませんで…」なんて言うんです。ナイスピッチング、とかではなくてね。「いやいや、いいんですよ」って言うしかない。とにかくイチローしか見えていなかったですね。

 オリックスでは他に星野伸之さんにもビックリさせられましたね。

星野さんを見て盗んだ〝2つの投球術〟

 オリックス時代は星野伸之さんの投球は勉強になりましたね。最初にキャッチボールをやらせてもらった時、驚きました。決して速くないボールをポンって投げてるだけなのに、スーッと、ずーっと伸びてくる。いかにうまくボールに力を入れているか、なんです。

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ともにチームを牽引してきた左腕エースの星野伸之

 投球フォームでもあの人、ボールを体で隠すでしょ。どれくらい見えないんだろうと、正面のスコアラー室で見たことがあったけど、全然見えなかった。もちろん、打たれないのはコントロールが第一ですけど、キレと天性のカーブ。あれは誰にもマネできないし、それにフォークもいい。自分のパターンに入った時は簡単にアウトを取るでしょ。5~6球で3アウト取るんじゃないですか。

 オリックスに1993年から移籍して最初のキャンプ。ブルペンですごい投手陣見て「俺、この中に入れるのかな」って思いましたよ。その筆頭エースが星野さんでしたからね。ボールが遅いし、どこがすごいのか、何で毎年同じような成績を残せるのか、を興味持って見ていましたね。

 でも、あまり星野さんに野球のことを教えてもらったことってないんですよ。ほとんど飯に一緒に行ったこともない。というのも、僕には阪神時代からのスポンサーというか、タニマチがいて…。どっちかというと後輩を誘って、その人たちと行っていました。“阪神流”でね。

 それに僕がオリックスに行くまでは星野さんがチームの勝ち頭でしょ。たまたま僕が入って、その年に最多勝(17勝5敗)を取って勝ち頭になった。だから余計にライバルというか、関係の難しさがあったのかもしれません。それに当時のオリックスは“大人の集団”。自分のことだけする、という野球観だったんで、そんなに一緒に野球のことをたくさん話す関係はなかったんです。

 それでも星野さんを見て盗もうとは思っていました。マネしたのはテークバックでボールを隠すこと、いかに力を抜いてポンと投げるか。力の入れ方、抜き方を学ぼうとしていました。

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