オリックス・山本由伸がまだ超えられない伝説のドクターK【野田浩司連載#1】
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オリックス・山本由伸がまだ超えられない伝説のドクターK【野田浩司連載#1】

 現在、パ・リーグ首位を走るオリックス・バファローズ。投打がかみ合った交流戦では11年ぶりの優勝、なかでも宮城大弥投手、山本由伸投手の2人は防御率1点台と出色の出来で、オールスターでも活躍が期待されています。そんなオリックスが最後にリーグ優勝したのは、まだブルーウェーブだった25年前の1996年。阪神・淡路大震災の苦難を乗り越えて奇跡の優勝、そしてリーグ2連覇からの日本一へと躍進した当時のエース、野田浩司投手の野球人生をひもときます。いまだに破られていない1試合19奪三振の日本記録はどのようにして生まれたのでしょうか(※順位、成績は2021年7月7日時点)。

山本由伸と宮城大弥(2021年)

好調オリックスを引っ張る山本由伸(左)と宮城大弥(どちらも2021年)

19奪三振を記録したあの日、フォークが風とケンカしていた

 僕が阪神で5年、オリックスで8年の現役を続けられたのは言うまでもなく、フォークボールのおかげでした。まずは1試合19奪三振の日本記録を達成した、あの試合のことから話しましょう。

 阪神からオリックスに移籍して3年目の1995年、4月21日のロッテ戦です。千葉マリンスタジアムは風速8メートル。千葉では何度か投げていたけど、それまで経験した風とは少し違った。もっと強い日は他にもあったんですけど、マウンドに上がった瞬間に「あ、嫌やな…」と思いました。センターからの風がホームで跳ね返ってきて僕には向かい風になる。「え~、何、この風」って。

西武戦で投げる野田(95年、西武球場)

西武戦で力投する野田(95年、西武球場)

 僕は前回登板の西武戦(15日)で3回途中、8失点でKOされた。そのころは左が星野伸之さんで右が僕、という両エースみたいな感じでした。ベンチの信頼もあったし、めちゃ頼りにされていたのに、シーズンが始まったばかりで…。もう1回、そんな投球を続けるなんて自分の中でもあり得なかった。KOされた次の日からブルペンに入って投手コーチだった山田(久志)さんにフォームをチェックしてもらいました。

 フォームについてそれまであまり言われたことはなかった。阪神時代と違って任せてもらっていたのでね。でも、その時は次の登板までの間に4回ブルペンに入り、山田さんに助言をもらいました。もう同じぶざまな姿を首脳陣に見せたらあかんと思って原因を探った。それが21日につながったと思います。

 僕が当時よくやっていたフォームチェックの方法は、良い時のフォームのビデオを流し、画面を止めてラップを張りつけるんです。それで上からフェルトペンで頭の位置なんかをなぞって書く。次に悪い時のビデオに入れ替えて同じようなシーンで止めるわけです。すると頭の位置、腕の角度や体の傾きがおかしいな、とわかるんです。

紙面連載1(生写真ではない)

19奪三振の日本記録を打ち立てた野田。千葉マリンでフォークが冴え渡った

 21日はロッテ戦の初戦。先乗りで前日から千葉に入って、もちろん酒も飲まずに早く寝た。当日、体を動かしてみたら軽い。ランニングしている時に冗談ぽく、リリーフの鈴木平や平井正史に「今日は調子いいから肩を作らんでいいぞ」なんて言ったくらいです。それくらいフォームも調整できて“ピタッ”ときていた。

 それが実際に試合が始まってみると、この風でしょ。まずは風の確認です。フォークを放すタイミングとか、早く落ちないか、どれくらい風で持っていかれるとか。真っすぐはいいけど、変化球が影響を受けますからね。序盤はそういうのを探りながらの投球でした。でも、自分では探りながらなんだけど、打者が次々と三振するので「あれっ、打者も打ちにくいのかな…」と。最初は自分に風が味方してくれている、とは思いませんでしたが、僕には風以外にも強い味方がいたんです。

自分を〝上げて〟くれた捕手・中嶋の助言

 1995年4月21日のロッテ戦。千葉マリンスタジアムは風速8メートルの強風。センター方向から吹いてきた風が跳ね返ってきてマウンドの僕に向かい風になっていました。それでも序盤から打者が三振してくれた。風が味方についてくれているのに「打者が風のせいで打ちにくいんだな」くらいにしか思っていませんでした。

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捕手・中嶋(右)とのコンビで19奪三振を達成。最強バッテリーだった

 序盤にフォークはそんなに多くなかったけど、捕手の中嶋聡の頭には風を利用しようというのはあったと思う。3回くらいからなんとなく調子がいいなと。フォークが風とケンカしてくれて落ち方がいい。チェンジアップ効果も出るし、落差も出る。カウント球のフォークは軽く投げるけど、勝負球のフォークは思い切り投げていたんです。思い切り腕を振らないと打者をだませないと思っていましたからね。リリースポイントもわかってきて「これは今日はいける。ゼロでいけるな」と。

 ロッテにはその日まで6連勝中と相性がよかった。(フリオ)フランコと(ピート)インカビリアがいたんですけど、フォークばっかり投げて僕は嫌な投手だったでしょうね。フランコなんか1メートルも前のワンバンを振ったりしていましたから。

 4回に福良(淳一)さんのタイムリーで先制してくれたんですけど、僕のメンタルがすごく動く。4回を終わって10三振。そこで「あれ、三振めちゃ取っているな」って気づくんです。5回もアウトは全部三振。その時点で数は頭に入っていました。もしかしたら…というのも出てきました。僕はそれまで17奪三振(当時の日本記録)が最高だったんですけど、すごいペース。7回も全部三振で17個に並んだんで、ベンチに帰った時に「これ記録やぞ。花束用意せい」というマネジャーの声が聞こえてきました。試合は1―0で競っていたし、頭の中は「逃げなきゃ」という緊張感と、一方で三振の数も数えていました。

 中嶋は賢くて、知らないこともいっぱい教えてもらった。僕の感覚ではインコース高めで打者の上体を起こして、そこからフォークというのが効果的と思っていたんですけど、中嶋に言わせると「野田さんの場合は絶対にアウトコースの真っすぐを見せて食いつかせて、そこから落とした方が効きますよ」と。捕手の感覚、打者の感覚を教えてもらってそのパターンが増えたりしてました。ホント頭がいい。

野田(右)と中嶋(95年7月、グリーンスタジアム神戸)

中嶋と笑顔で握手する野田(95年7月、グリーンスタジアム神戸)

 僕がオリックスに移籍して初戦の西武戦にKOされた時も中嶋に「野田さん、パ・リーグはセ・リーグと違って自分でテンションを上げていかないとダメですよ」って言われてね。それまで阪神でしか投げていないし、92年のヤクルトとの優勝争いの中でも投げていた。球場が勝手に気持ちを高揚させてくれたわけです。だからパの静かな雰囲気にがくぜんとしましたからね。それに気づいてくれた。ほんといいキャッチャー。そして、その試合も終盤に突入して…。

最終回「やられた~」と思ったらイチローが忍者のように…

 1995年4月21日のロッテ戦(千葉マリン)。風を味方につけた僕は7回までに17奪三振で日本記録に並びました。8回に平野謙さんからの三振で新記録を達成したんです。スコアボードにも「日本記録達成」って出た。自分の中でも7回に3つ取って「いける!」と思っていたからとりあえず「ヨッシャ!」でした。

 でももう1つ、試合に勝たなきゃという気持ちがある。記録を達成して一瞬、エアポケットに入ったというか、ガクッとなったんです。それで次の打者の堀幸一に3ボール、ノーストライクになったんです。記録を作ったくらいなんで3ボールになるような悪い調子じゃないから「あれ、おかしいな」と。自分の心理が揺れ動いているんでしょうね。

 何とか8回を切り抜けたけど、最終回も変なプレッシャーがあった。記録を作ったし、完封しなきゃって。なんせ1点差。先頭打者の初芝清さんにヒットを打たれてインカビリアを三ゴロ。でも僕に相性のいい打者なら打たれていたでしょう。一死二塁で続く平井光親さんに真っすぐを真芯でとらえられた。センター前にライナーで飛んでいった。普通ならヒットなんだけど、中堅・田口(壮)があの足なんで突っ込んでいった。「もしかしたら」。ところが、中途半端なバウンドになってグラブに触らないまま後ろにそれたんです。記録は三塁打、1―1の同点になった。

 山田(久志)コーチが出てきた。サヨナラのピンチだったんで満塁策をとって、打者は山中潔さん。フォークをバットの先で拾われてライト前にフラフラって上がった。「やられた~」と思ったら右翼・イチローが忍者のように出てきて楽勝で捕ったんですよ。イチロー、ありがとうですよね。最後は渾身の真っすぐで平野謙さんを三振に取って19個目でした。満塁だし、力を振り絞って投げましたね。9回まで風の状況は同じだったと思うけど、150球くらい投げているんでフォークの落ちも悪くなっていたでしょうし、打者の目も慣れていたでしょう。

 同点にされたけど、9回をなんとかしのいでベンチに帰った。すると山田さんがすぐ来て「野田、代わろう」と。僕は「この試合は僕に白黒つけさせてくれませんか」と言いました。普段からそんなことをコーチに言うようなことはないんで、山田さんは「よっしゃ、わかった」って。ピッチャーのプライドとか気持ちをすごく大事にしてくれる人でしたからね。

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ベンチで〝微妙な距離〟を保っていた仰木監督(左から2人目)と山田投手コーチ(右)

 山田さんは仰木監督(彬、故人)とベンチの隅に行って、10回表の攻撃が終わるまで話してたんですよ。攻撃が終わった瞬間に山田さんが僕のところに来て「すまん、俺の力不足や。代わってくれ」と…。マウンドには平井(正史)が上がったんです。そして試合は…。

次の話へ

のだ・こうじ 1968年2月9日、熊本県出身。多良木高から社会人・九州産交を経て87年のドラフト会議で阪神に1位指名され、入団。3年目の90年に11勝を挙げ、91年には開幕投手を務めた。92年オフに松永浩美との交換トレードでオリックスに移籍。93年に17勝5敗で最多勝をマーク。95年4月21日のロッテ戦では1試合19奪三振の日本記録を達成し、リーグ優勝に貢献した。96年に巨人を下して日本一。2000年オフに引退し、現在は神戸・三宮で肉料理店「まる九」を経営している。

※この連載は2015年2月17日から4月17日まで全36回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全12回でお届けする予定です。



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