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19奪三振もチームはサヨナラ負け。その夜、宿舎で田口が土下座していて…【野田浩司連載#2】

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打たれたら「帰れ」という山田久志さんの〝粋〟

 山田久志投手コーチからはいろんなことを教わりました。投手というのはプライドがなきゃダメだと。例えばシーズン中にKOされるとするでしょ。ベンチに帰ってきて座っていると必ずカメラの標的になるでしょう。2番手、3番手でも打たれたらそうなる。山田さんはそういうのが絶対に嫌なんです。打たれたら「帰れ。シャワーを浴びて帰れ」って。だから打たれたら試合中でも帰って家で酒を飲んでましたよ。山田さんはそういう人でした。

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投手陣をまとめる山田投手コーチ(右奥)は、投手のプライドを大切にしてくれた

 あとKOされてマウンドに交代を告げにくるでしょ。その時もボールを渡す時に「次は来週の何戦だぞ!」って言ってくれる。その時点で次に気持ちを向けさせてくれる。それってすごい人心掌握術だと思うんです。もちろん、技術的にも精神的にも反省しなきゃいけないんだけど、投手にはやっぱり次、なんです。

 あの当時のローテ投手だった佐藤義則さん、星野伸之さん、長谷川滋利なんかはある程度、確立されているんですよ。この中で勝って優勝を争っていかないといけない。2回続けてKOされたからといって僕らの立場が危ういということはなかった。だから二軍の選手なんかはなかなか上がってこられないし、上がれてもローテになんか入れないわけです。そんな時代だった。

 とにかく山田さんは投手の美学というものを持っていて、僕らの気持ちを大事にしてくれていました。だから打たれても登板日だけ教えてくれて「帰れ」なんです。極端に言えば「今日はもういい、そんな日もあるよ」ということです。トーナメントじゃないんだからそれくらいの感覚でないと1年間やってられない。確立された仕事人の集まりというか、たくさん給料もらっているチームの軸なんですからね。だからプライドを大切にしてくれる。

 山田さんにはそういうことを動きの中で教えてもらいました。他にも試合前にブルペンで50球くらいの投球練習をしますよね。その間も、ずーっと見てて何も言わないのに、終わり際に「野田、1アウト取れたら明日、休み」って。1アウトなんて絶対取れるでしょ。山田さんなりの粋な冗談なんですよね。僕もそういう山田さん的な部分は持ち合わせていると思っていますよ。

仰木監督(左)と山田久志コーチ(95年2月、宮古島キャンプ)

仰木監督(左)と山田久志投手コーチ(95年、宮古島キャンプ)

 19奪三振を達成した1995年4月21日のロッテ戦。山田さんは延長に入って「この試合は白黒つけさせてください」と言う僕の気持ちをくんで仰木監督(彬、故人)に掛け合ってくれたけど、ダメでした。マウンドには平井正史が上がってサヨナラ負け…。記録を勝利で飾ることができなかった。でも山田さんがそこまで言ってくれたし、納得しました。後日談だけど、山田さんから家に5万円は下らないような大きな胡蝶蘭が届いていました。そういう人ですよ。

 そんな記録達成の夜にはびっくりの出来事もありました。

エレベーターを降りると土下座した田口が…

 19奪三振の日本記録を達成した1995年4月21日のロッテ戦(千葉マリン)は、延長10回、平井(正史)が打たれてサヨナラ負けになりました。もちろん、勝ってくれ、という気持ちでベンチで見ていたけど、自分の中では9回を投げて交代している時点で終わっているんです。10回も投げさせてもらえていたら自分が勝てるチャンスがあるわけでしょ。そこで代えられたんで…。記録を達成した喜びよりも勝てなかった悔しさがすごく残った。

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マウンドに駆け寄るイチロー(右)と田口(中)。外野の鉄壁布陣には何度も助けられた

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