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イチローのすごさは成功していても「変わらなきゃ」【野田浩司連載#7】

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〝かわいかった〟イチローから「野田さんて、すごい」

 イチローはねえ…。最初の印象は「かわいい子だな」ですね。あいつがルーキーのころなんで1992年、僕が阪神時代にケガをして少しだけ二軍にいた時があったんです。西宮球場に試合に行った時、イチローが僕のところに「野田さん、握手してください」って来たのを覚えています。僕が一軍でずっと投げていた投手だったんでね。「おう、頑張れよ」って。

新人入団発表、土井正三監督と鈴木一朗(イチロー、92年)

新入団発表会見で鈴木一朗(のちのイチロー)と土井正三監督(92年)

 僕がトレードでオリックスに入った93年はあいつはまだ一、二軍を行ったり来たり。それでも代打でたまに出る姿を見て「いい当たり打つなあ。なんでこいつを使わないのかなあ」とは思っていました。足もあるし、身体能力が高かった。でもまあ、層も厚かったし、石嶺和彦さんもいたしね。イチローは経験値もない。よく「1年目から使っておけばよかったのに」とか言われるでしょ。でも、それはその時のチーム状況がありますよ。二軍で勉強することも山ほどあるわけだから、遠回りでも何でもないですよ。

イチローと仰木監督(94年2月、宮古島)

イチローと仰木監督(94年2月、宮古島)

 登録名が鈴木からイチローになってブレークするのが94年。仰木彬監督(故人)がイチローを「今年から使う」と宣言していた。その年、福岡にオープン戦に行って、僕が宿舎から外に食事に出掛ける時、イチローもたまたま出てきて一緒になって外をずっと2人で歩いたことがあった。僕は前年に最多勝を取っていたし、阪神にもいたから外にファンが何人もいた。サインをしていたらイチローが「やっぱり、野田さんて、すごいですね」って言うんです。僕は「お前、そんなん言うけど、絶対お前もすぐこうなるわ」って言ってやりました。

 確かに「お前もすぐ人気が出るよ」と思いましたけど、まさかあんな数字を出すとは思わない。レギュラーで打率3割くらいは残すようになるやろうと…。それが210安打ですからね。打撃もすごいけど、足もすごい。内野に転がしたらセーフやし、抜けた、と思ったらすぐ三塁打やし…。守備もすごいし、こんなにヒットって打てるものなんか、と思った。

 最多安打記録に近づいてくると、マスコミも騒ぎだしてね。そうなると、僕らも知り合いにイチローのサインを頼まれるわけです。当時はイチローも若いし、普通に「サイン頼むわー」「いいですよ」って、パパッと書いてくれていました。

 ある日、バットにイチローのサインをもらってそのまま、球場の外の電話ボックスに電話しに行ったんです。当時は携帯なんてないですから。電話が終わって、バットをそのまま電話ボックスに忘れて帰っちゃったんです。それを次の日、イチローが僕のロッカーの前に置いていて「野田さん、電話ボックスにありましたよ。ひどいですよ~」って。「悪い、悪い」って…。あれは申し訳なかった。

イチロー185安打、130試合制で新井宏昌の184安打を抜き新記録を達成、試合後新井宏昌コーチ(右)が祝福(94年9月、藤井寺球場)

130試合制で185安打の新記録を達成したイチロー。試合後に184安打の記録を持っていた新井宏昌コーチ(右)が祝福した(94年9月、藤井寺球場)

 イチローは大活躍し、チームで1人だけスターになっていった。それでナインや関係者が気を使うようになって…。

球団の「イチロー特別扱い」に周囲は…

 イチローは1994年に210安打の日本記録を達成しました。イチローの人気が爆発すると、球団が完全に“特別扱い”をしてしまうんですよね。僕は阪神にいたからわかるけど、92年の新庄剛志と亀山努のフィーバーの時だって球団は特別扱いを一切しなかった。おかしなことしたら「そんなんアカン」「やり直せ」としっかり言っていましたもん。

イチロー、シーズン200本安打達成(94年9月、GS神戸)

シーズン200安打を達成したイチロー(94年9月、GS神戸)

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