「ウマ娘」の凸凹コンビ!ヒシアケボノとビコーペガサスを「東スポ」で振り返る
ヒシアケボノとビコーペガサス。「ウマ娘」のキャラの中で最も背が高い「ボノ」と小柄の「ビコーちゃん」が並ぶと、もはや〝大人と子供〟で、性格もほのぼの⇔元気娘と正反対なのですが、2人はとってもウマが合います。親友として、ライバルとして切磋琢磨するゲーム内と同じように、同じ時期に何度も何度も同じレースを走り、90年代の短距離界を引っ張った2頭の史実を「東スポ」で振り返りましょう。どちらも、ついつい応援したくなる何とも個性的な名馬でした。(文化部資料室・山崎正義)
小さな切れ者
リアルの世界では、ヒシアケボノより、ビコーペガサスの方が年上。しかも、早々に頭角を現しました。90年代に人気を博した外国産馬(外国で産まれて日本に輸入された馬)で、父は北米リーディングサイヤーだったダンジグ。米国由来の血統はダート適性があるとされていましたから(米国競馬はダート中心)、ビコーペガサスもダートでデビューさせたところ、ポンポンと連勝します。しかも、2着に9馬身、5馬身ですから圧倒的。「大物かもしれない」という予感と、「芝は走るのだろうか」という疑念の中、3歳初戦、中山の芝1600メートル、京成杯に出てきます。
待ち受けていたのはヒシアマゾン。ビコーペガサスと同じ外国産馬で、前年暮れ、2歳牝馬ナンバーワン決定戦と言えるGⅠをレコード勝ちしていました。黒く塗りつぶされた◎が付いているほど、実績では断然だったわけですが、ビコーはこの馬を破ります。アマゾンが内でモタモタしているうちにスパッと抜け出したその切れ味は鋭く、初めての輸送(ビコーは関西馬)で12キロ体重を減らし、422キロという小ささで走ったものの、インパクトはなかなか大きいものでした。
「芝もいけるんだ」
「キレ味がありそう」
「大物かもしれない」
しかし、あの体で中山の急坂をギュイーンと上ってしまったからか、軽い骨折が判明してしまいます。5か月休んで、6月と7月に2戦するのですが、3、2着。故障が尾を引いているように見えました。ただ、関係者や記者からその素質は大いに買われていたのでしょう。秋になり、3歳馬ながら挑戦したスワンステークスや、マイルチャンピオンシップでは、結構な印を集めます。
スワンSが3番人気、マイルCSも5番人気ですからファンの支持もなかなかのもの。それぐらい春の京成杯のインパクトが強く、同時に、そこで下したヒシアマゾンが、その後、怒涛の連勝を続けていたこともビコーの評価を高めていました。マイルCSにいたっては、ちょうど前の週にアマゾンが重賞6連勝でエリザベス女王杯を勝っていたので、特にそう。「あのアマゾンに勝ったんだから…」と人気が押し上げられたのでしょう。しかし、スワンSの7着に続き、5着に敗れてしまいます。
「骨折の影響があるのかな」
「いや、早熟なのかも」
そんな声の中、迎えたスプリンターズステークス。希代の名スプリンター、サクラバクシンオーが引退レースを日本レコードでぶっちぎったその後ろから追い込んできた小さな馬…。
レース後、鞍上の的場均ジョッキーはこう話しました。
というわけで、古馬になっての飛躍が大いに期待される存在として、ビコーは1995年を迎えます。当時、春にスプリントGⅠはありませんでしたから、大目標はマイルの安田記念…。
もう一歩の4着に的場騎手はこう話しています。
どうやら、スプリンターズSで2着に入ったとはいえ、ケガからの完全復調に時間がかかっている様子でした。で、ひとまず勝ちにいったはずの6月のGⅢ阪急杯(1400メートル)も1番人気で12着に敗れます。馬体重も安田記念に続き、過去最低の420キロ。いっこうに増えてきません。
「ゆっくり休ませて成長を促そう」
「立て直しだね」
というわけで、しっかり夏休みを取ることになったビコー。そのころ、大きな大きなアノ馬が目覚めの時を迎えてきました。
ヒシアケボノ
ビコーと同じく外国産馬だったヒシアケボノは、前年秋にデビューしていました。馬体重は552キロ。サラブレッドは500キロを超えたら「大型馬」と呼ばれますから、550キロオーバーは「超大型馬」です。馬名の由来は同じく相撲界の超大型力士だった曙(太郎)。2メートル超の巨体を生かし、ヒシアケボノがデビューする前の年に横綱になった曙は、その年、4度の優勝を果たすなど、大活躍していました。
というわけで、曙のような活躍を…という期待の中、ターフに登場したヒシアケボノ。当然、見栄えはしました。迫力もありました。調教も動いていました。ただ、体を持て余しているような感じがあったのと、適性がなかなか見えてきません。芝の1600メートルで、4、2着。年が明け、3歳になってからは父が米国の種牡馬だったこともあり、ダートに矛先を向けるものの、3、4、5着。ビコーがお休みに入った1995年6月の時点でまだ未勝利でした。しかし、7月に芝の1200メートルを使い、逃げの手に出たところ突然、覚醒します。
2着に10馬身以上の差をつける大差勝ち――
あっさり勝ち星を挙げると、続くレースは
2着に6馬身――
もう一丁勝って、3連勝で今で言う3勝クラスのレースに出走します。
そろそろ壁にぶつかると思った人も多かったでしょうし、実際、このクラスまで上がったところで連勝が止まる馬も少なくないので2番人気だったのですが…。
2着に2馬身差をつけてあっさり逃げ切ったボノは、一躍、〝夏の上がり馬〟として注目を集めます。9月になり、勢いそのままに、京王杯オータムハンデというGⅢに向かう際には、追い切り速報の紙面でも大きな枠を割かれるような存在になっていました。
サラブレッドがどんどん成長する時期で、持て余し気味だった体をしっかり使えるようになっていたのでしょう。叩き出したタイムは、栗東トレーニングセンターの坂路ができて以来、最も速い「49・4秒」。しかも、陣営から出たコメントはこうでした。
「まだ余力十分」
鞍上に関西の名手・河内洋を迎えていたのも期待の表れ。1200メートルで4連勝してきた馬が1600メートル戦に出てきたのですから、距離の不安は大いにあるはずなのに、ボノには重い印が並びます。
結果は3着。持ち前のスピードを活かし4コーナーで早々に先頭に立ちましたが、最後の最後で差されてしまいました。ただ、河内騎手は悲観していません。
好感触とともに伝わってきたのは、1600メートルがギリギリだという適性。というわけで、陣営は次走に大井競馬場で行われたダート1200メートルの交流重賞・東京盃を選択したのですが、6着に敗れます。
「やっぱり芝向きか…」
向かったのは京都競馬場で行われるスワンステークスでした。
「連勝は止まってるし…」
「夏の強さは本物なのだろうか」」
そんな半信半疑の4番人気。年明けに一度は510キロ台にまで減った馬体重は、連勝中に徐々に戻り、この日はプラス11キロで…
556キロ!
久しぶりに大台を突破した超大型馬は、ハイペースを4番手で追走。そのまま抜け出すと、2着馬を4馬身突き放したのですが、掲示されたタイムを見て誰もが驚きました。
1分19秒8!
日本レコード!
前年、あのサクラバクシンオーが1400メートルで初めて1分20秒を切ったのですが、それを上回るタイムに、関係者もファンも声を上げます。
「デカいだけじゃない」
「相当なスピード」
「これで短距離界も盛り上がるかも」
そう、前年のマイル王ノースフライトも、スプリント王バクシンオーも引退していたこの年、日本のマイル・短距離戦線は完全に役者不足でした。春の安田記念はハートレイクという外国馬にかっさらわれていましたし、誰もが次代を担う馬の登場を望んでいたのです。そんなタイミングで登場したでっかい体のスピード馬に、ファンはこんな会話をしていました。
「どんどん強くなってきてるから楽しみだ」
「マイルチャンピオンシップでも強い競馬を見せれば…」
「ヒシアケボノが次期エースか」
「いや、でも、あの馬もいるぞ」
「もしかして、この前とんでもない勝ち方をした馬?」
「うん、相当強かったもんなあ」
その馬、すなわちもう一頭のエース候補こそ、ビコーペガサスでした。
激突
ヒシアケボノが怒涛の連勝を飾っていた夏に充電したビコーペガサスは、好調時の動きを取り戻していました。陣営も手ごたえを感じたのでしょう。ボノがスワンステークスでレコードを出す4週前、秋初戦として選んだセントウルステークスでは鞍上に天才・武豊ジョッキーを迎えます。
先ほど言ったように、この年の短距離戦線は小粒。だからこの年重賞を勝っているわけでもないビコーにこれだけ印が集まり、3番人気にもなったのですが、結果は意外なものとなります。後方に控え、直線でスパートをかけると…
ギュギュギュ…
ギュイ~ン!
とんでもない切れ味を見せたのです。ためるだけためた武ジョッキーの作戦が功を奏したのもあるでしょうが、1年半以上、勝ち星を挙げていない馬とは思えない鮮やかな差し切り。まさにうっ憤を晴らすようでした。
「やっぱりこの馬は強い」
「体調が戻ったんだ」
「完全復活だ!」
そう感じたファンを武ジョッキーがダメ押しします。レース後、こう話したのです。
天才の想像を超える瞬発力
小さき切れ者
ついに本格化!
そんな評価を得たビコーはマイルチャンピオンシップへの直行を選択します。そして、その間に急浮上してきた馬こそ、スワンステークスをレコード勝ちしたボノなのです。2頭は、短距離界の次期エース候補として、大レースの有力馬として、GⅠの舞台で初めてぶつかることになりました。まずは、追い切り紙面で共演。
既に栗東坂路の〝調教大将〟となっていたボノがこの日の1番時計を出せば、ビコーも万全の仕上がりを見せます。さらに、レースが近づくにつれ、両陣営からも勢いを感じさせるコメントが次々と出ました。
こう話したのはボノの角田晃一ジョッキー。夏の連勝時に手綱をとり、その後、河内騎手に乗り替わりましたが、スワンSからボノの背中に戻ってきていました(25歳ながら既にGⅠ3勝)。一方、ビコーの武豊ジョッキーは両馬の大きさにも触れながらこう話しました。
2頭とも絶好調で陣営も強気ですから、記者からも印が集まりました。
1番人気がビコーで、ボノが2番人気。そう、凸凹コンビ初めての直接対決は、GⅠでの1、2番人気だったんですね。オッズはビコーが2・8倍で、ボノが3・6倍。この差はジョッキーに加え、京王杯で3着に敗れていたボノの距離延長に疑問を呈する声があったからでしょう。管理する佐山優調教師は「ハナにこだわるタイプじゃないし、マイルも守備範囲。時計の裏付けもある」と話していましたが、京都の1600メートルはスピードだけで勝ち切れるコースではありません。正直、この1、2番人気の〝並び〟は納得で、あとは結果がどうなるか…2頭のタイプが真逆なのもファンの興味をそそりました。当時はまだ馬のサイズはそれほど注目されていません。対照的だったのはこんな要素。
「切れ味のビコーペガサスか」
「スピードのヒシアケボノか」
「ビコーが差すか」
「ボノが押し切るか」
2頭はそんなファンの興味を裏切らないレースを見せます。ボノは逃げた快速馬エイシンワシントンの2番手につけ、ビコーは後方4番手。
「前か、後ろか」
「どっちだ…」
4コーナーを回り、強気に先頭に立つボノ。ビコーは直線を向きながら外に持ち出します。結果は…
ボノは3着
ビコー4着
凸凹コンビはともに勝つことはできませんでした。ビコーは3枠5番からのスタートだったため、枠なりに内目でじっとしていました。切れ味を生かそうとする馬には最善の策ですが、勝負所で動けず、やや外に出すのが遅れました。いや、出してもらえなかったと言ってもいいかもしれません。小さい馬ですから、周りを囲まれた場合、強引に動くわけにはいかないのもつらいところ。接触したら弾き飛ばされてしまいますから。ただ、正直、「もうちょっと伸びても良かったのでは?」という物足りない結果でもありました。
一方のボノは見せ場十分どころか、十二分。最後の最後に力尽きましたが、残り50メートルまで先頭でした。しかも、このレースはかなりのハイペース。つまり、一番強い競馬をしたと言えたのです。これは誰の目にも明らかでした。
「スピードの持続力は相当」
「でも、1600メートルは微妙に長い」
そんなボノが向かうのは、当時、1年に1回しかなかった1200メートルのGⅠ。
「スプリンターズステークスは決まりだろ」
というわけで、直接対決の第2ラウンド、凸凹コンビの人気が入れ替わります。
印通り、ボノが1番人気で、ビコーが2番人気。オッズは2・3倍と4・2倍ですから、マイルCSのビコーより、スプリンターズSのボノの方が〝優位性〟では上回っていたと言っていいでしょう。1200メートルは4戦4勝でしたし、中山の急坂をこなすだけのパワーがあることは馬体が証明していますからスペシャリストの可能性すらありました。一方、ビコーは1200メートル自体が1年ぶり2回目。前年、このレースで2着に入っているものの、バクシンオーからは離されていたので、スペシャリストの可能性は低そうです。
「今回はヒシアケボノかな」
「ビコーペガサスはどこまで差してこれるか…」
しかし、ファンが思うよりはるかにビコーはスプリンター寄りでした。スペシャリストに負けないスピードでついていき、後方ではなく中団。4勝4勝とはいえ、夏以来の1200メートルだったため、さすがに先行するまではできず、7番手あたりにいたボノのすぐ後ろにつけていました。そして、このレースから手綱を取った横山典弘騎手は、4コーナーで外に出さず、内を狙います。なぜなら、ボノは3~4コーナーで馬群の一番外を上がっていっていたからです。大きな馬というのは一度ブレーキを踏んでしまうと、もう一度エンジンをかけるのに時間がかかります。だから角田ジョッキーはロスを承知で不利を受けない外を回したのですが、横山ジョッキーはそれを見逃しませんでした。
強い相手に勝つには限りなくロスを少なく
ロスの差で逆転を狙う
名手の作戦は成功したと言っていいでしょう。体が小さくピッチ走法の馬は急カーブを苦にしません。スーッと、抜群の手ごたえで回っていきます。それはまるで小回りが利くバイク。スピードを落とさぬまま、さらなる加速に備えようとしていました。
「これはきた」
「きたぞ!」
そのときでした。
バイクの横を重戦車
キュルルル~の横をゴゴゴゴー
人間の足音で言えばこうです。
スタタタ!
その横を
ドドドド!
さらに坂を上りながら
ドシ
ドシッ
ドッシン!
ビコーも負けていませんでした。「なにくそ!」と必死に食い下がりました。でも、ボノのスピードと迫力はそれ以上。ゴールの瞬間、馬名の由来を想起した人もたくさんいたでしょう。そう、それは2メートルを超える横綱でした。
どすこい!
どすこーい!!
数分後、場内に流れるリプレーで、私たちは見たことのない映像を目にします。それは残り100を過ぎたあたり、ボノが抜け出し、ビコーが内から食い下がろうとしたときでした。
「隠れちゃってる」
「ビコーが…」
並んだ2頭。外の馬がデカすぎて、内の小さな馬が一瞬、その馬体の影に隠れてしまい、見えなくなっていたのです。
「デカっ…」
「強いし…」
「デケえ!」
このときの体重は…
560キロ!
今も破られていないJRAのGⅠ勝利における最高馬体重に圧倒された私たち。そのインパクトが大きくて気づきませんでした。
横綱のぶちかまし
それにも吹っ飛ばなかった小さき勇者を
ビコーの根性を
さあ、再戦です。
高松宮杯
凸凹コンビ再戦には絶好の舞台が用意されていました。年が明けた1996年、今まで上半期にはなかったスプリントGⅠが新設されたのです。夏の中距離決戦として親しまれてきた高松宮杯が、5月に1200メートルのGⅠとしてリボーン。当然、2頭は、前年のスプリント王決定戦の1、2着馬として、そこを狙いました。ビコーペガサスは4月上旬のダービー卿チャレンジトロフィー(中山芝1600メートル)で、ヒシアケボノは下旬のシルクロードステークス(京都1200メートル)で、ともに3着という〝いかにも〟なひと叩き。しっかり調子を上げながら本番に向かいます。両馬とも当然、中心ホースで、特にボノはスプリント王として1番人気濃厚。しかし、この時、注目を集めていたのは別の馬でした。追い切り紙面がその馬の存在感を表しています。
1番人気必至のボノの追い切り速報よりも大きく扱われているのはナリタブライアン。そう、2年前の三冠馬で、その圧倒的な強さから〝シャドーロールの怪物〟と呼ばれた馬です。前年、ケガをしてしまい、かつての力を発揮できなくなってしまったその元怪物が、天皇賞・春でサクラローレルに完敗の2着となった後、まさかまさかのスプリントGⅠ参戦を決めたのでした。
「3200メートルの後に1200メートルなんて…」
「さすがに無理だろ」
「いや、ブライアンなら…」
賛否両論、喧々諤々。メディアも連日、ブライアン一色となったのをよく覚えています。しかし、やはり厳しい意見の方が多く、記者の印としては〝中心馬〟ではありませんでした。
◎を最も集めていたのはボノ。担当の助手さんはレース前にこう話していました。
余裕すら感じさせる勝利宣言。その一方で、ビコーの助手さんはこう。
ライバルはGⅠタイトルを取ったのに、ビコーはまだ手に入れていません。確かにスプリンターズステークスは完敗でしたが、今回は競馬場も違いますし、有利なファクターもありました。助手さんはこうも言っていたのです。
そう、スプリンターズSではビコーの57キロの対し、まだ3歳馬だったボノは55キロでした。自分よりはるかにデカい馬が、自分より軽い斤量で走っていたのです。それが今回は同斤量(57キロ)ですから、机上では十分逆転可能。というか、なんとか逆転したい! 陣営がビコーを究極の状態に仕上げたことが前日の紙面にも載っていました。
ゲートが開き、ボノはすっと4番手。スプリンターズSの時より1200にも慣れて、行き脚がついています。ビコーはその直後につけていました。鞍上の横山ジョッキーは、当時は直線に坂がなく、先行有利の小回りだった中京競馬場の特性を踏まえて後ろになりすぎないようにしつつ、ボノをマークしながらレースを進めたのです。陣営の思いにこたえるように、悲願のGⅠ取りに向けて、虎視眈々。4コーナーを回り、大跳びで不器用なので外に膨れてしまったボノの内をつき、直線で並ぶと、再び、あの光景が目に入ってきました。
デカい馬の内に小さい馬
一瞬消えたビコー
しかし、スプリンターズSと違ったのは、ビコーが前に出ようとしていたことです。
「いけ!」
「差せ!」
大柄の横綱の懐にもぐりこんだ小兵力士
100キロ以上重い相手を
技で
根性で
「負けるか」
「負けるか―!」
差した
差したんですが
はるか前にもう1頭いるなんて、競馬の神様は残酷です。ブライアンが馬群に沈む中、4角先頭で押し切ったのはフラワーパーク。横山ジョッキーもうまかったですが、先行有利の競馬場を生かし切った鞍上の田原成貴ジョッキーも見事でしたし、コースレコードを出した馬も強かった。
「タイムも速いし…」
「仕方ないか」
「仕方ないけど…」
悔しがるファン。でも、春にはもうひとつ、短い距離のGⅠが残っています。安田記念。ビコーはボノと一緒にエントリーしました。
ビコーは前年の安田記念とマイルチャンピオンシップが、ともに4着ですから、1600メートルがダメなわけじゃありません。それでも印がだいぶ薄くなっているのは、前年よりはるかにメンバーが揃っていたから。陣営も「出す以上は勝つつもりでいくが…」と前走よりも明らかに弱気になっていました。馬自身はどう思っていたのでしょう。強い相手、周りを見れば、自分より大きな馬ばかりです。弱気になりかねません。
走っても走ってもGⅠには届かない
タイトルを取れない
どうして、どうして…
気持ちが切れてしまう馬もいるはずのそんな状況で直線を向いたビコー。内でじっと、虎視眈々だったビコーに、外から有力馬の一頭が馬体をぶつけてきました。
「危ない!」
声を上げたファン。小さいので、明らかに弾き飛ばされそうになっていました。内に押し込められていました。でも、でも、ビコーはスピードを緩めませんでした。
歯を食いしばり
前へ
前へ
前にいたのは…
ヒシアケボノ!
なんと、1600メートルは明らかに長いと思われ、12番目まで人気を落としていたボノが、府中の直線で先頭を走っていたのです。序盤からハナを奪い、持ち前のスピードで堂々たるレースを見せていました。ビコーにとっては自分の前にライバルです。だからこそ負けられなかった。だからこそ食らいついていったと私は思いたい。それぐらいビコーは頑張りました。
レース後、ボノのファンは満足感に浸っていました。
「やっぱりすげぇ」
「やっぱり強ぇ」
長い直線を堂々と重戦車
1600メートルで横綱相撲
「そのまま!」と何度叫んだことか。
そしてその姿を見て、少し弱気になっていたかもしれないビコーも、必死に走り切り、再び前を向くことができたのでしょう。秋になっても、闘志は薄れていませんでした。スワンステークス、8番人気にまで評価を落としていたビコーは、2着に激走します。
「やっぱりすごい」
「この馬は偉い!」
「なんとかGⅠ勝たせてあげたい!」
ファンから絶大なエールを送られる存在になっていたビコーは2番人気に支持されました。前年、内で包まれてなかなか外に出せなかったこともあり、今度は外々を回ります。小さな馬だからこそ不利を受けないように外を回った切れ者の悲願は…
既に分かっていたファンはそれほど多くはなかったものの、実はビコーにとっても1600メートルは〝ちょっぴり長い〟のでした。最後の最後に脚が止まってしまうのは、それが理由だったと思われますが、ファンはさすがにガックシ。
「ダメか…」
その隣でボノのファンがつぶやきました。
「こっちよりいいじゃないか」
「そんなことないだろ。ヒシアケボノはGⅠ取ってるじゃん」
「確かにそうだけど、GⅠを取ってる馬がこんなことになるか?」
苦笑していました。実は、この秋、ボノはとんでもないことになっていたのです。スワンステークスに出走してきたとき…
プラス30キロ
580キロ!
食べ過ぎてしまったのでしょうか。もはや動ける体ではありませんから11着に大敗。で、体重を減らすためにマイルチャンピオンシップの前は、めちゃくちゃな量の調教を課されていました。GⅠ馬なのに、条件馬のようにビッシビシ。なのに、パドックに出てきたボノは…
プラス2キロ
582キロ!
「太いだろ」
「デカすぎるだろ!」
そんなツッコミを受けたボノ。早々に息切れして15着に大敗したボノの姿を見てビコーはどう思ったでしょう。
「君は仕方ないなあ」
「本当によく食べるもんなあ」
「ウマ娘」で超おおらかなキャラで描かされているボノの実像が同じような性格だったとしたらこう答えたかもしれません。
「あははは~」
「困ったな~」
「しばらく時間がかかりそうだから」
「ビコーちゃん、頼んだよー」
これはあくまで私の妄想ですし、そのボノに「何言ってるんだよ! ほら、一緒に出るんだろ!」とビコーが言ったかどうかは分かりませんが、2頭は2年連続で、年末のスプリンターズステークスで共演を果たします。
デカすぎ突っ込まれキャラは、まだまだ太めが解消されなかったものの、実績を買われて4番人気。悲願を目指すビコーは2番人気に支持されました。
出遅れるボノ
真っ先に飛び出したビコー
まさに凸凹なスタートは今見ても感動的ですが、中団内の絶好位に収まったビコーを見て、ファンは燃えに燃えました。戦前の予想通り、1番人気のフラワーパークと3番人気のエイシンワシントンが前にいきます。ミエミエの先行争い。だからこそ本当にミエミエでした。
2頭を行かせ
直後でパワーをためて
最後に差す!
今見ても、ビコーが差すとしか思えない展開。しかも、この年から鞍上に戻った的場ジョッキーは人気馬をマークして負かすのが大得意なのです。
「頼むぞ」
「今日こそ」
「今度こそ!」
4角手前、「さあ、上がっていくぞ」というところで、ビコーの前を走っていた馬が故障してしまったことに関しては誰が悪いわけでもありません。
「でも、よりによって…」
「どうして…」
そう思いたくもなる出来事。勝負所で前の馬が下がってくるなんて、しかも、外ではなく内ですから自分もポジションを下げるしかありません。電撃の6ハロン戦で、これ以上の〝致命的〟があるのかという不利に、あのときばかりはビコーのファンは競馬の神様を恨んだでしょう。私もその一人でした。だから、やり切れず、「ビコー、もういいよ」「よくやったよ」ともなっていました。年が明ければ6歳、年齢も年齢です。小さい体でよく走った。故障を目の前にしたかららこそ、「あとは無事に…」とも思ったのですが、翌日の紙面を見て、なんだかその気持ちが揺らいできました。出遅れた後、外々を回ってしぶとく4着に入ったボノに乗っていた角田ジョッキーがこんなコメントを出していたのです。
こっちが悲願悲願と言っているのに、まるで前哨戦の後のような発言に笑うしかありませんでした。確かにマイナス16キロでしたが、「ここが目標じゃなかったんかい!」と、「次ってどこだよ!」と。とっくにGⅠ馬になっているボノこそ、秋からの体重増と大敗続きで引退を決断してもおかしくなかったのに、「まだまだ走るんかい!」と(笑)。で、本当にボノは、翌月、レースに出てきました。GⅠ馬がお休みする時期なのに、オフシーズンなのに、食べ過ぎた体をさらに絞るために出てきたそのレースの馬柱、斤量をご覧ください。
62キロ!
で、ボノの体重は
プラス2キロ!
減ってない!
で、惨敗!
いやはや、どれだけ面白いのでしょうか、この馬は。そして、このひたすらに走り続け、ひたすらにファンに突っ込ませるボノの姿に触発されたわけでもないでしょうが、ビコーも、なかなかの選択をしてくれます。
引退?
いやいや、現役続行でした。目指すはもちろん悲願のGⅠ
高松宮杯?
いや、その前に1つありました
できたんです
GⅠが
ビコーが取れそうなタイトルが!
砂でタイトルを
この1997年、JRAは今までなかったダートのGⅠを新設したのです。フェブラリーステークス。それはビコーがスプリンターズSで不利を受けた2か月後、まさに待ち構えていたかのように控えていました。秋の激戦後ですから、疲れもあり、体調の不安もあるのが普通です。しかし、これがまた面白いもので、不利を受けたことで全力を出し切るまでもいかなかったビコーには体力が残っていました。追い切りの動きも上々で助手さんもこうコメントします。
そして何より、ファンをいきり立たせたのは「ダート」という可能性です。思い出してください。米国血統のビコーは、デビュー2戦をダートで勝っています。しかも、ぶっちぎりで! さらに、2戦目で退けたライブリマウントという馬は、94年から95年にかけて7連勝を飾ったダートの猛者だったのです!
「ついにきた」
「あれだけ意地悪をしてきた競馬の神様が…」
「ついにビコーにほほ笑む時がきた!」
興奮するファンに、冷静なヤツが突っ込みます。
「あれ? 4歳時にも一度ダートを走って負けてなかったっけ?」
確かに、4歳初戦、京都のダート1400メートル戦でビコーは7着に敗れていました。しかし、そのことに関する前出の助手さんのコメントが本紙にはしっかり載っていました。
もう期待しかありません。鞍上には久しぶりに武豊ジョッキー。メンバーも正直、それほど強くありませんでしたから記者からも印が集まりました。
残念ながらボノはいませんでしたが、周りはデカい馬ばかり。パワータイプが多いダート馬には体が大きい馬が多く、450キロより小さいのはビコーだけで、パドックではひと際小さく見えたんですが、いい情報もありました。午前中が雨で、ダートは水が浮くような状態だったのです。軽いダートはパワーよりスピードが優先されます。
「これならビコーでもいけるかも」
「むしろ切れ味が生きるんじゃないか?」
そんな希望的観測が単なる希望に見えないほど、中団で控えていたビコーが、絶好の手ごたえで上がっていったのですから、ファンは狂喜乱舞しました。4コーナーでは4番手。あとは前をとらえるだけです。
「いけ!」
「ビコー!」
「差せ―――!!!」
4着――伸びていましたが、前も止まりませんでした。そして改めて、ビコーに1600メートルは、やっぱりほんの少し長いのです。
「ダメか…」
「ダートでもダメだったか…」
正直、あきらめつつあったファン。ビコーだって悔しかったはずです。苦しかったはずです。でも、「ウマ娘」のビコーがこう口にするように、この馬は本当に偉かった。
「ビコーペガサスはくじけない。1度膝をつこうとも、何度だって立ち上がるんだ」
2か月後、シルクロードステークスでエイシンバーリンが4馬身差をつけて逃げ切ろうとしたその後ろ。私たちは小さき切れ者が追い込んできたことにどれだけ勇気づけられたでしょう。
向かうは高松宮記念。次の安田記念は1600メートルですし、秋になれば年齢的な衰えも心配されますからラストチャンスと言っていいでしょう。
ビコーはどう思っていたでしょうか。そこには盟友、いや迷友のボノがしっかり名を連ねていました。そして、しっかり場を和ませてくれました。佐山調教師がレース前、こう言っていたのです。
悲願悲願といっているビコーの緊張をほぐすかのようなマイペースぶりに思わず突っ込んだ私たち。そのボノと一緒に、ビコーはこの日も一生懸命走りました。でも、この日を境に、ビコーの体はほんの少しだけ下降線を描きはじめてしまいます。絶好の手ごたえなのに伸びず、10着。その後も、安田記念でも勝負に加わることができなかったビコーはケガをしてお休みに入ります。
「年齢的にさすがに…」
「引退だろうなあ」
ビコーと同じく高松宮杯と安田記念を惨敗したボノにも似たような声が上がっていました。正直、ビコーより事態は深刻です。97年になってからの成績は、8、15、14、8着。「終わった」と言われても仕方がありません。なのに、ボノは走りました。走ったどころか、驚くべきは安田記念の後。いつ走ったと思います?
翌週です。
GⅠ後に連闘!
斤量は61キロ!
1番人気!
で、負けました。
秋になっても走り続けたボノ。陣営にも事情があったでしょうが、ファンからすると、休んでいるビコーの代わりに走っているようにも見えました。スワンステークス11着、マイルCS14着、CBC賞7着、スプリンターズステークス9着。負けても負けても、ボノにはなんだか悲壮感はありませんでした。むしろ微笑ましかった。ラストレースになったスプリンターズステークスの体重は…
マイナス10キロ
私は思わず声をかけました。
「よく頑張ったね」
「ダイエット成功じゃん」
それでも550キロあった希代の超大型馬がターフを去り、凸凹コンビの物語も終わったかと思ったのに、98年になり、ビコーが休みから戻ってきたのですから、本当に驚きました。高松宮記念、安田記念。やはり勝負には加われなかったものの、あまりにも尊い姿を見せてくれたこそ、「ウマ娘」のボノはビコーにこう言うのでしょう。
「大変でも苦しくても諦めない。そういうとこがね、あたしにとってはヒーローなんだよ」
GⅠは勝てませんでしたが、追いかけ続けたファンにとっても、ビコーはヒーローでした。本当にお疲れ様でした。