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暴力的に無双!ゲーム「ウマ娘」に登場で話題のナリタブライアンを東スポで振り返る。

ついに登場

 17日からゲームアプリ「ウマ娘」で実装されたナリタブライアン。トウカイテイオーやサイレンススズカ同様、この馬の名前を「史上最強」として挙げる競馬ファンは少なくありません。それほど圧倒的だった1994年、そして翌年以降の苦しみを東スポで振り返ります。サクッと爽快に強さだけを知りたい人は最初だけでもぜひ!(文化部資料室・山崎正義)

1994年のブライアンをイッキ見!

 ブライアンの強さをお見せするために、まずは、圧倒的な強さだった3冠を馬柱と写真で振り返ってみましょう。この年はブライアンを脅かすようなライバルがいなかったため、目がチカチカするほど◎が並び、気持ちがいいほどぶっちぎってくれました。では、皐月賞の馬柱から。

94年皐月賞・馬柱

 単勝は1・6倍。レースでは中団よりやや前の内めを進み、3~4コーナーでは4番手に上がりつつ前を射程圏に収めます。直線に向くとアッと言う間に抜け出しました。

皐月賞

 2着とは3馬身半。タイムはコースレコード。どこまでもどこまでも伸びていきそうな脚色だったので、距離延長にも不安はなさそうで、ダービーはさらに◎が並びました。

94年ダービー・馬柱

 単勝は1・2倍。道中は6~7番手の外。怖いのは不利や内に閉じ込められることだけですから、超安全策で、外を外を回り、4コーナーでは持ったままで2番手まで上がります。で、直線はさらに外。誰にも邪魔されないよう、誰もいない、他馬とは大きく離れたところを走りました。あんなダービーは後にも先にも見たことがありません。18頭のうち1頭だけ別の競馬をしていたのですから。

ダービー1

 ゴール後、あまりの強さに歓声が溜め息にすら変わる始末。それほど強烈な5馬身でした。皐月賞同様、いや、それ以上に地の果てまで突き進んでいきそうな脚色は、3冠間違いなしを予感させるもの。菊花賞も単勝1・7倍の〝当確〟ムードで…

94年菊花賞・馬柱

 7馬身差のぶっちぎり!

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 1冠→2冠→3冠とどんどん着差を広げていく怪物(3冠合計着差については最後にデータをまとめてありますよー)に、「相手が弱いだけ?」「世代レベルが低いのでは?」なんて声も上がりましたが、同年12月の有馬記念で歴戦の古馬相手に…。

94年有馬記念

 3馬身差の圧勝! 熱狂を通り越し、あきれるようなムードが競馬場に漂ったのを覚えています。

ブライアンの強さとは

 その強さは「暴力的」とさえ言われました。文章で伝えるのが難しいですが、サイレンススズカのような速さとも、トウカイテイオーのようなカッコいい主人公的な強さとも少し違います。敵の中に一騎で突っ込んでいって全員倒しちゃう最強武将のような「どけどけどけー!」に、誰もが「ははー!」とひれ伏すしかない迫力があったんですね。

 首をグッと低く下げた走り方で、重心が低く、馬なんですけど、まるでチーター。筋骨隆々で重戦車のようなチーターでした。近代競馬の結晶といわれるディープインパクトは飛ぶように走るといわれたんですが、ブライアンは真逆。地を這うように走りました。私だけでしょうか、それはもう「頭が地面につくんじゃ?」っていうぐらいで、ダービーの時に南井騎手が立ち上がってガッツポーズしたんですが、馬の重心が低すぎて、「騎手が落ちちゃう!」と心配したほどです。

ダービー落ちちゃう

 兄が菊花賞を勝ったビワハヤヒデ(「ウマ娘」では姉妹関係です)という良血ながら、エリート感が強くなかったのもブライアンの特徴です。デビュー戦で負けていたり(歴代の3冠馬で初戦を勝っていないのはブライアンだけ)、3戦目で1200メートルの重賞に出走していたり(しかも6着)…最終的に朝日杯3歳ステークス(GⅠ)という若駒ナンバーワン決定戦は勝つものの、2歳時はおよそエリート街道とは呼べないローテーションでした。朝日杯を勝ったGⅠ馬なのに、皐月賞前に2回走っているところ(ちょっと大事にされてない感じ)も同様。競馬ファンにはキラキラした箱入りエリート万歳!という人ばかりではありませんので、この〝叩き上げ〟感にグッときた人も多かったと思います。騎手の南井克巳ジョッキーがこれまた叩き上げのベテランファイターというのもイメージを後押ししていました。

 また、菊花賞の前哨戦で、足元をすくわれているのもお茶目。夏の調整がうまくいかず、単勝1・0倍(お金をかけても増えません!)で2着に敗れるんです。菊花賞で無事に3冠を達成したから気軽に振り返れますが、確かあのときは、テレビ中継にブライアンの生産牧場の代表がゲスト出演していて、スタジオが凍り付いたような…(動画が見つからないんですが覚えている人いません?確かそうだったと思うんですが)。いずれにせよ、こういうツッコミどころのあるところもブライアンの魅力でした。「ナリブー」というニックネームもどこか愛敬がありますよね。

 そうそう、外見でも目立っていました。鼻のあたりにシャドーロールというボアをつけていたのです。

シャドーロール

 これは芝の切れ目や物の影などに驚く馬に対し、下方を見えにくくして前方に意識を集中させる矯正具。着けている馬の方が少なかったため、白いそれが見えるとファンは「きたきた!」と興奮しました。完全にブライアンのトレードマークになりましたし、「シャドーロールの怪物」と称されるのもこのためです。なお、「ウマ娘」のナリタブライアンも鼻にテープを貼っています。

 話が少し脱線しましたが、とにかくあの年のブライアンは反則級の強さでした。イマドキの言葉だとチート級で、走り方も強さもチーター!?(うまいこと言ったつもり)。ファンやメディアだけではなく騎手や調教師もモンスター視しており、競馬サークルの中でさえ「ナリタブライアン史上最強説」はいまだに根強いです。ただ、その説には「ただし」がつきます。あくまで史上最強なのは「1994年のナリタブライアン」――そう、翌年、輝きは失われてしまうのです。

1995年のブライアン

 古馬になったブライアンは3月の阪神大賞典から始動。7馬身差で楽勝します。そんなにぶっちぎらなくても…と話をふられた南井騎手はこう答えたとか。

「流してるだけなんだけど、それでも差が開いちゃうんだよ」

 もはや手がつけられません。天皇賞・春ではどれだけのパフォーマンスを見せてくれるのか…しかし、その後、ブライアンは調教(練習)を休みがちになり、4月になって故障が判明します。右股関節炎。骨折ではないのですが、これが曲者でした。厩舎や牧場でしっかり休み、治ったとされたものの、後遺症というのでしょうか、どうしても力が入らないのでしょうか、〝別馬〟になってしまうのです。

 復帰は秋。まずは、調子も上がらず、急仕上げ気味で回避濃厚と見られていた天皇賞・秋に出走してきます。

95年天皇賞秋・馬柱

 昨年の史上最強っぷりがありますから記者も印をつけていますし、ファンも1番人気に支持しました(単勝2・4倍)。しかし、結果は12着。続くジャパンカップでは、鞍上に武豊ジョッキーを迎え(南井騎手はケガで戦線離脱中)、4コーナーにかけて徐々に上がっていき、競馬場を大いに沸かせたものの、追ってから伸びを欠きます(6着)。本紙はこんな記事でレース後の陣営の様子を伝えています。

95年ジャパンカップ・結果

 抜群の手ごたえでも伸びなかったことに加え、武騎手がレース後に「無事ですよ」と言ったことが「うれしかった」と調教師は話しました。もはや、勝ち負け云々の状況ではないのでしょう。「叩いての上積みを期待するしかない。強い馬の復活を信じている」という武騎手のコメントも、現在の姿が昨年とは違うことを物語っています。とはいえ、次はいかにも復活劇が似合う有馬記念…。

95年有馬記念・馬柱

 調子は上がってきていると伝わっていました。道中の手ごたえも良さそうでした。4コーナーではジャパンカップ同様のしびれる手ごたえで2番手まで上がっていきました。でも、いざ追い出すとやはり伸びませんでした。

95年有馬記念・結果

 武豊騎手のコメントが載っています。

「手ごたえは抜群だったし、正直、勝ったと思った。オグリのことが一瞬頭によぎったんですが…」

 確かに、4コーナーで外めを進出していく様子は、5年前にオグリキャップが奇跡の復活を果たした時のよう。正直、ファンは2度目の夢を見ました。だからこそ、ダメ押しとも言える3連敗はあまりに重い現実でした。

阪神大賞典

「引退すべき」という声が、ファンやメディアはもちろん、競馬サークル内からも上がる中、ブライアンは現役を続行します。賛否両論ありました。だからこそ、その復帰戦は大きな注目を集めます。これはレースの週の金曜日の本紙(夕刊)です。

96年阪神大賞典・馬柱1面

 土曜日に行われるGⅡが1面になることは、おそらく最初で最後でしょう(あり得ません!私も調べていて驚きました)。全競馬ファンがブライアンを気にかけていたのを、本紙も敏感に察知したのです。紙面では、トウカイテイオーの復活を予言した本紙渡辺薫記者が「今回はいける」と断言しています。ただ、お金をかけている人のジャッジは正直でした。差のない2番人気とはいえ、ブライアンは前年の有馬記念を制したマヤノトップガンに1番人気を譲ります

 ゲートが開き、ブライアンはどの馬より速いスタートを切りました。すっと下げ、道中は5~6番手。いい感じです。ただ、昨年のジャパンカップや有馬もこんな感じでしたから、まだ喜べません。「今年はどうだろう…」。半信半疑でファンが見つめる中、3コーナー、マヤノトップガンが先に動きます。正直、仕掛けとしたらかなり早いです。しかし、トップガンに乗っていた田原成貴ジョッキー(トウカイテイオーを復活に導いたあの人です!)は果敢に先頭を奪いました。これが「来るなら来い!」だということを、ブライアンの背にいた武豊騎手が気付かないわけがありません。元祖天才が送ったメッセージを受け取った天才は、すぐに反応し、ポジションを上げていきます。そして、4コーナー手前で外からトップガンに並びかけたのです。

 試合開始のゴングが鳴った瞬間でした。ゴールまで延々と続く、誰も見たことがない伝説のマッチレースが始まりました。驚かないでください、いや、驚いてください。600メートル、およそ30秒にわたり、2頭はどちらも譲らず、馬体を併せて走り続けたのです。外がブライアン、内がトップガン。昨年秋、いざ追い出しても伸びなかったブライアンが前へ前へ、しっかり脚を伸ばしています。実況の杉本清アナウンサーの口から「よみがえれブライアン!」。一歩も引かないトップガン。競馬場のファンはつま先立ちになり、テレビの前のファンは身を乗り出し、心の中で叫びます。「ブライアン!」「戻ってこい!」。並んだまま、残り50メートル。内からジワジワと前に出ようとしたトップガンを、「なにくそ!」とばかりにブライアンがかわしたところがゴールでした。

阪神大賞典

 GⅠレースを超える歓声に拍手。見たことのないものを見た興奮で、誰もが高揚していました。冷静でなんかいられません。あれだけ不安だったのに、「無様な惨敗を喫するようだと…」と心配していたのに、安堵を通り越し、メディアともども「史上最強馬の劇的な復活!」と騒ぎ立てました。「トップガンもよくやった」「天皇賞・春で再戦だ!」。胸が高まります。ブライアンも順調に調子を上げていき、ケガで戦列を離れていた3歳時の主戦・南井克巳ジョッキーも戻り、再び単勝1倍台でGⅠに臨む時がやってきました。

天皇賞・春

96年天皇賞春・馬柱

 京都の3200メートル。レースが動いたのは阪神大賞典同様、残り600メートルの地点でした。先頭をうかがうトップガンの外からブライアンが並びかけます。ファンからしたら「待ってました!」のマッチレース再び…と思いきや、直線を向いてすぐにブライアンがトップガンをかわしました。もうひとつの「待ってました!」です。ブライアンの完全復活が成就!…しそうになった、そのときでした。2頭の直後で息を潜めていた3番人気のサクラローレルが、ブライアンに並び、あっさりとかわしていったのです。

96年天皇賞春

 ファンにとって、あれほど残念な「あっさり」はありません。ブライアンは抵抗することなく、決定的な2馬身半差をつけられました。2着でしたが、誰が見ても完敗でした。2着ですから誇れる結果なのですが、現実を突きつけられた感がハンパじゃありませんでした。

「戻ってなかったんだ…」

 やはり、ブライアンは全盛期を取り戻してはいなかった。ファンはそのことに気づきます。阪神大賞典の高揚で忘れかけていた、いや、忘れようとしていた現実が、そこにはありました。全盛期なら、トップガンをかわしたあの後、地の果てまで伸びていくはずなのです。でも、そこまでの力は、もうブライアンにはない…。ある意味、最下位より残酷な2着に、誰もが打ちのめされました。中には、再びあのマッチレースを思い出し、涙をこらえきれなくなったファンもいました。トップガンに外から並びかけ、前へ前へ首と脚を伸ばしていたブライアン。見ていた人は無邪気に熱狂していましたが、あれは、思うように動かなくなった体にムチ打ち、私たちの期待に必死に応えようとしていたのです。昔の姿に戻っていなかったのに、あんなに頑張ってくれたのかと思うと、涙が止まりませんでした。

96年天皇賞春・結果

 ずいぶんセンセーショナルな見出しに映るかもしれませんが、現実を伝えるのが競馬メディアの仕事でもあります。おそらく記者の心も、見出しを付けた人の心も、それを読んだほとんどのファンの心も晴れませんでした。徐々にとはいえ調子が上がってきているのは分かります。でも、どこまで戻るのか分からないのです。自分たちの勝手なのかもしれませんが、走っている姿を見たら、どうしても1994年のブライアンと比べてしまうのです。

え? 高松宮杯?

 戸惑うファンに、仰天の、いや、ドッキリかと思うニュースが飛び込んできたのは天皇賞からしばらく経った頃でした。宝塚記念を目指すと言っていたブライアン陣営が、予定を変更して高松宮杯への出走を表明したのです。JRA(中央競馬の主催者)が短距離路線を整備したことで、この年からGⅠに昇格したのですが、距離を聞いて驚いてください、何と1200メートル! 2000メートル以上の王道路線を歩んできた馬が出るレースではありません。短い距離のレースに矛先を向ける馬自体は結構いますが、1600メートルが限度です。しかも、王道どころか、ブライアンがその前に走った天皇賞・春は3200メートル。最も距離が長いGⅠの後に、最も距離が短いGⅠに出るなんて、常識では考えられません。前代未聞、アンビリーバブル。当然、「3冠馬の看板に傷をつけるな」という声が上がりました。批判的なメディアも多かったと記憶しています。その〝圧〟に負けて、出走を取りやめるような気もしました。でも、ブライアンは出走表に名を連ねたのです。

96年高松宮杯・馬柱

 勇気か暴挙か。私はブライアンについて〝ツッコミどころが多い〟と書きましたが、その究極とも言えるこの高松宮杯出走に関しては、人によって本当にいろいろ見方がありますので、ツッコミ方は皆さんに委ねるしかありません。ただ、せっかくなので、あの日の前日、深夜バスに乗り込み、高松宮杯観戦に向かった私が見た、中京競馬場の様子を記しておきますと、とにかく人であふれていました。売店のオバちゃんは「今まで一番」だと目を丸くしていました。スタンドの指定席にいた私が、せっかくだからメインレースは下に降りて見ようかと思ったころには既に手遅れ。身動きが取れないほどになっており、断念せざるを得ませんでした。

 5月の半ば、晴れ間はありましたがピーカンではなく、少し蒸し暑かったのを覚えています。カラッとしていない少し不快な湿気は、「どうして出るんだ」とモヤモヤしつつ、「もしかしたら…」も消せない、そんなファンの心模様が生み出したのでしょうか。一緒に行ったブライアンファンの友人は、ファンファーレが鳴る直前、私にこう漏らしました。「非常識な選択で良かった」と。理由を尋ねると、「普通のローテーションで、普通に完敗したら目も当てられない。そもそも無理なんだから、今日負けてもブライアンに傷はつかないだろ?」。なるほど、そういう考え方もあるんだね、競馬には様々な視点があるんだなと感心しつつ、改めて友人を見ると、諦めたかのような穏やかな表情ながらも目はキラキラしていました。なんだよ、まったく期待していないのかと思ったら、やっぱり期待してるんじゃないか。「ブライアンならやってくれるかもしれない」と。

 勝ったら化け物――という状況でスタートが切られました。ついていけないかと思いきや、元化け物は後方集団でしっかりとレースに参加していました。歴戦のスピード自慢の中なので〝速さ負け〟してしまうのは仕方ありません。それでも、ブライアンは阪神大賞典の時のように必死で首を前に出していました。勝ち馬が抜け出し、大勢が決した後、4番手まで上がったのは3冠馬の意地でしょう。

高松宮記念

 ブライアンはこの後、競走馬にとって不治の病とも言える屈腱炎を発症し、一度も走ることなくターフを去ります。前回ご紹介したトウカイテイオーは3度の骨折から見事に復活しました。しかし、その復活に「奇跡の」という言葉がつく通り、ケガが競走能力に無関係なんてことは、ほとんどありません。ブライアンの変貌は、そのことを競馬ファンに改めて知らしめました。

 当シリーズを読んでくださっている皆さん、できれば頭の片隅にとどめておいていただけないでしょうか。サラブレッドにケガはつきもので、それによって競走馬生命を絶たれたり、思うように走れなくなってしまう馬がいることを。〝終わった〟と言われながらも走っている馬がいることを。誰のせいでもないんです。私たちは、それを承知の上で、必死に走り続ける馬を応援するしかありません。だからこそ、ドラマチックな物語や馬券で一喜一憂しつつも、時に拍手し、感謝しなければいけないと思うのです。ナリタブライアンという史上最強馬が身をもってあがき、もがく姿を見せてくれたおかげで、私たちはそれを改めて胸に刻むことができたのでした。ツッコミどころもありましたけど。

おまけ1(サムソンビッグ)

 1994年、ナリタブライアンがぶっちぎりの3冠を達成する裏で、ある意味とんでもない記録を達成しかけた馬がいました。きさらぎ賞を勝った「サムソンビッグ」という馬で、皐月賞はブービー、ダービーと菊花賞は最下位。この年、3冠すべてに出走したのがこの2頭だけだったのと、〝あわや逆3冠〟と話題になったのです。ちなみに、きさらぎ賞は11頭立ての11番人気で、単勝オッズが172倍。100円が1万7200円になる大穴でした。

サムソンビッグ

おまけ2(幻の兄弟対決)

 1歳年上のお兄さん・ビワハヤヒデが天皇賞・春を勝った1か月後に、ブライアンはダービーを勝ちました。この頃から、秋には夢の兄弟対決が実現するのでは…と期待が高まります。ビワハヤヒデの秋のローテーションは天皇賞・秋から有馬記念。順調なら2頭は暮れの大一番でぶつかるはずでした。しかし、ビワハヤヒデは天皇賞・秋で5着に敗れた後、ケガをしていたことが明らかになり、引退。対決は幻に終わり(だからアニメやゲームで一緒に走っているのを見るとグッときます)、翌週に行われた菊花賞の最後の直線、杉本アナは「弟は大丈夫だ」と何度も口にするのです。ちなみに、ビワハヤヒデのケガとは、ブライアンを引退に追い込んだのと同じ屈腱炎でした。

おまけ3(田原の阪神大賞典)

 1995年の阪神大賞典でマヤノトップガンに乗った田原成貴ジョッキーは、昨年12月、本紙の独占インタビューでこう振り返っています。

「みんな伝説のマッチレースとかいって今でも取り上げてくれるけど、僕にとっては消したい過去なんだ。ほんの少し、ひと呼吸だけ仕掛けが早かったんだ。ひと呼吸待てば勝っていた。ふた呼吸待てばクビ差で勝っていたよ」

 常識的に見てかなり早めの仕掛けでしたが、その仕掛けの中にも微妙なタイミングというのがあったことが分かります。う~ん、奥が深い!(前回も言いましたが、田原元騎手は現在、GⅠ週に本紙で予想を披露していますよ~)。

おまけ4(歴代3冠馬着差ランキング)

 ブライアンが3冠でつけた2着馬との合計着差は歴代1位。せっかくなので過去8頭を並べてみましょう。
1 ナリタブライアン  15馬身2分の1
2 セントライト    13馬身2分の1
3 ディープインパクト 9馬身2分の1
4 オルフェーヴル   7馬身4分の1
5 ミスターシービー  5馬身4分の1
6 シンボリルドルフ  3馬身4分の3
7 コントレイル    3馬身2分の1+クビ
8 シンザン      3馬身2分の1

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