バクシン!バクシン!の猪突猛進ウマ娘!最強スプリンター・サクラバクシンオーを「東スポ」で振り返る
今年のスプリンターズステークスはピクシーナイトが勝利。まだ3歳、これからもっと強くなりそうなニューチャンピオンが誕生しました。近年は絶対的王者の不在が続いていたので、彼が歴史的スプリンターになることを願いつつ、今週は、史上最強のスプリンターとして名高いサクラバクシンオーをご紹介しましょう。ゲーム「ウマ娘」のバクシンオーも、子供の頃からかけっこで「神速」と呼ばれ、「最速こそ最強」「圧倒的なスピードこそ勝利の秘訣」「あらゆるレースをスピードで制す」というキャラになっていますが、実際はどうだったのか。マイルとスプリントの違いを競馬ファンに教えてくれた驀進王を「東スポ」で振り返ります。(文化部資料室・山崎正義)
バクシン最強説
サクラバクシンオーは、競馬ファンが「史上最強のスプリンターは?」という議論をすると真っ先に挙がる馬名であり、ランキングを作るとだいたい1位か2位になります。最強の座を争うのはロードカナロアという馬で、活躍したのは2010~13年。1992~94年に現役だったバクシンオーとは全く時代が違いますから、新旧の最強馬はこの2頭だということになるでしょう。言い方を変えると、2013年ごろまで「史上最強のスプリンターは?」という議論の帰結は常にバクシンオーでした。それぐらい誰もが認めるスピードを持っていましたし、何より1400メートル以下の戦績が完全に〝伝説〟だったのです。その数字は…
12戦11勝!
はい、無敵です。1度の敗戦も若い頃のGⅠですから、ほぼパーフェクト。せっかくなので、競馬欄に載る馬柱を最初から最後までつなげて、1400メートル以下をピンク色にしてみました。箱の中の上から2行目の左から2つ目の欄でやや太字になっている数字が着順で、その下の漢字「千二」は1200メートル、「千四」は1400メートルです。
いかがでしょう。1度の6着を除き、ピンク色の着順欄はすべて「1」。残念ながら1200メートルだった引退レースのみ含まれていないので(その後に使わないから馬柱が作成されていません苦笑)、ピンク色の部分は11個ですが、「1」が10個あったはずです。ただ、こうやって見ると、白い部分も結構ありますよね? なぜ、史上最強スプリンターは1600メートル以上のレースにも出ていたのか…デビューから振り返ってみましょう。
3歳春バクシン
体質や脚元が強くなかったバクシンオーのデビューは2歳が終わり、3歳になってからでした。調教では目立つ動きをしていたので2番人気に支持されます(下の馬柱は「4歳新馬」となっていますが、当時は年齢表記が今と異なるためで、実際は3歳です。その後の馬柱や記事でも現在の馬齢より1歳年を取った表記になっていますが同様の理由)。
バクシン!バクシン!
ダートの1200メートルを2着に5馬身差をつける逃げ切り。上々のスタートを切りますが、まだこの時点で陣営はスプリンターだとは思っていませんから、2戦目は芝の1600メートル戦に出走します。ただ、ありあまるスピードを制御するのが難しく、レース途中で後方から先団に上がっていくチグハグな競馬で2着。「短い方がいいのかな」と、今度は芝の1200メートルを走らせると…。
バクシン!バクシン!
2着に4馬身差をつけ、好タイムで逃げ切りました。
「明らかに持っているスピードが違う」
「短距離路線なら相当出世するはず」
陣営も確信したでしょう。でも、この時点で、まだ3月の半ばでした。
「間に合うかもしれない」
何に? はい、競走馬の憧れ、クラシックです。超ギリギリではありますが、5週後の皐月賞への出走は計算上、不可能ではありません。しかも、ここまでの勝ちっぷりからすると、スプリンターどころか名馬級の可能性もあります。出走するだけじゃなく、クラシック制覇を夢見てもおかしくない器だったのです。というわけで、バクシンオーは、2週後の「スプリングステークス」(GⅡ)に出走します。距離は1800メートル。皐月賞の2000メートルをこなせるぐらい距離適性に融通はあるのか…試すにはうってつけです。
当シリーズを読んでいただいている皆さんはミホノブルボンの回を思い出してください。あの二冠馬が背水の陣で東上してきたのがこのレース。バクシンオーと同じく、ブルボンも距離を不安視されていたので印の付き方が微妙ですよね。単勝オッズ4・5倍の2番人気にとどまります。一方のバクシンオーは、ブルボンに迫る5・7倍の3番人気。陣営ともども、「めちゃくちゃ強いかも」と期待するファンが多かったことが分かります。名前もカッコイイですし、底が割れていない未知なる魅力もありました。しかし、レースでは「バクシン!バクシン!」とはいきません。逃げるブルボンの後ろ、2番手でレースを進めたものの、12着に惨敗します。
翌日の紙面で鞍上の小島太ジョッキーは敗因として、重馬場と、ムキになってしまう気性を挙げています。完成度が低く、「まだまだ若い」「粗削り」なのは明らか。賞金的にも皐月賞出走が不可能になったこともあり、バクシンオーは路線変更に舵を切りました。出走したのは「クリスタルカップ」という芝1200メートルのGⅢ。クラシックを歩めない外国産馬や短距離向きと判断されたスピード自慢の3歳馬が集うレースとして有名だったんですが…。
バクシン!バクシン!
2着に3馬身半差をつける逃げ切りを決めます。さらに続く菖蒲ステークス、200メートル距離延長だったものの…。
バクシン!バクシン!
これまた楽勝でした。2着のエーピージェットという馬が、同世代ではスピード上位の外国産馬で重賞ウイナーでもあったので、誰もが感じました。
「これは相当だ」
「速さの絶対値が違う」
おそらく、現在だったらこの時点で、夏のサマースプリントシリーズに向かったでしょう。6月から9月にかけて6つの短距離重賞が組まれ、その総ポイントで優勝馬を決めるシリーズです。3歳春の時点で明らかに適性が短距離だと分かった馬は早々にそちらに路線変更することができ、有利な斤量で戦えるのですが、残念ながらバクシンオーの時代にはこのシリーズは存在しませんでした(あったら優勝していたかもしれません)。しかも、サマースプリントのゴールともいえるGⅠスプリンターズステークスは今のような9月末~10月頭の開催ではなく、12月半ば。若くして短距離志向が判明した馬にとっては、目標を定めづらい不遇の時代だったんですね。バクシンオーは仕方なく、いや、当時としては自然な流れで1600メートルのGⅡ戦に駒を進めます。
やや印が薄いのは、距離延長を不安視されていたことに加え、調教での動きがイマイチだったこと、関西から強力な外国産馬がやってきたこと、直線が長く差し馬向きの東京競馬場だったことも関係していました。結果はやはり「バクシン!バクシン!」とはいかない7着。3番人気で逃げたものの失速します。
「やはり1600メートルは長い」
陣営はここで思い切ってバクシンオーを休ませます。前述のように間近に目標はなく、バクシンオー自体も、若駒特有の体調が安定しない状態が続いており、体も完成していなかったので、成長を促したのです。ゲーム「ウマ娘」のバクシンオーは育成が簡単で初心者向きなのですが、リアルではそんなことはなかったんですね。
3歳秋バクシン
3か月の充電期間を終えたバクシンオー。11月に行われる1600メートルのGⅠマイルチャンピオンシップに向けて、関西では1400メートルの重賞が2つあったんですが、体が未完成だったのと、「無理して強い敵と戦わせるより、地元でじっくり育てたい」という意向があったのでしょう、まずは中山競馬場で京王杯オータムハンデ(GⅢ)に出走します。ガンガンいかなくていい1600メートルで、ムキにならない走りを教えたのです。レースでは今までとは違う3番手に控える〝味〟な競馬を見せて3着。「逃げなくてもいいじゃん」と思わせるのですが、まだまだ若かった。続く、多摩川ステークスという東京競馬場の1600メートル戦で暴走してしまい、7着に敗れます。1400メートルとなった次のキャピタルステークスも、おそらく陣営は控える練習をさせたかったのかもしれません。ただ、スピードが他馬と違いすぎるので逃げる形になります。結果的には楽勝して「やっぱりすげー」となるんですが、気性的な危うさは解消されません。それでも、逆に言えばそのありあまるスピードは記者やファンにとって魅力十分。歴戦の古馬と戦う師走の最速王決定戦・スプリンターズステークス(GⅠ)に名を連ねたバクシンオーには高い期待が込められた印が並びます。この秋、重賞戦線を走ってきていないのに何と単勝は3番人気!
やはり、いや、想像以上の速さをバクシンオーは持っていました。
バクシン!バクシン!
引くことを知らない強気な年上の快速先行馬2頭に楽々ついていくどころか…
バクシン!バクシン!バクシン!バクシン!
並走しているうちにスピードで勝ってしまい、ハナに立ちます。
「はえー!」
場内から驚きの声。本当なら、その2頭を行かせた直後に控えたいところですが、まだそこまでの精神的余裕はありません。
バクシン!バクシン!バクッシン!バクバクッ!シンッシン!
自ら超ハイペースを演出してしまいます。直線を向くと
バクシン、バクシン…、バクシ…
初めて1200メートルで敗戦を喫してしまいました。とはいえ、気づいた人は気づいたはずです。
「この馬が本格化したらとんでもないことになる」
とんでもなくなるのを一緒に見ていきましょう。
4歳バクシン
さあこれから!というタイミングで、バクシンオーは脚部不安に見舞われます。春シーズンはお休みして復帰は10月。さすがにこれだけ休みが長いと、不安の方が大きくなり、印もこんな感じ。
とはいえ、このレースは1200メートルです。
バクシン、バクシン!
完勝でした。完璧とまではいかないまでも、小島騎手が2~3番手に控えさせると、何とかそこでガマンします。続くアイルランドトロフィーは1600メートル+重馬場だったので最後は「バクシン…」となってしまいましたが、逃げずに2番手から4着。続く1400メートルのキャピタルステークスでは、2番手に控えることができた上に「バクシン!バクシン!」の完勝です。さあ、次はいよいよ昨年敗れたスプリンターズステークス。その週の本紙に載った記事から、4歳秋の充実ぶりを物語るコメントをピックアップしてみましょう。まずは小島太ジョッキー。
「3歳時は体のあちこちに痛いところがあってフットワークもバラバラ。それが放牧で調整されてから一変した。馬自身が本当に思い切ったフォームで走れるようになった」
続いて境勝太郎調教師。
「昨年からいつも併せ馬(調教での合同練習)で子供扱いされていた馬にも先着するようになって、本当に状態がいい」
「3歳の頃は周りに馬がいると怖がって一本調子に逃げる競馬しかできなかったけど、2~3番手に控えるレースができるようになった」
小島ジョッキーも「今年は抑える競馬に徹してきた」と付け加えました。これが、昨年のような超ハイペースの競り合いをしない、させないことを意味するのは明らか。それぐらいコントロールが利くようになっていたんですね。
印を見ても分かるように、ライバルは8番のヤマニンゼファーでした。春のマイル王決定戦・安田記念を連覇。バクシンオーと違って距離にも融通が利き、前年のスプリンターズステークスで2着、この年は天皇賞・秋(2000メートル)も勝利していました。単勝は2・2倍の1番人気。バクシンオーが4・3倍ですから、「王者」と「挑戦者」という立場でゲートが開きました。
バクシン、バクシン。
ポンと好スタートを切ると、昨年同様、先行馬がガンガン前に行こうとしますが、追いかけようとはしません。2頭を前に行かせ、3番手に収まります。
バクシン♡バクシン♡
ムキになっていないのが画面を通しても伝わるほど。前の2頭は必死で飛ばしているのに、涼しい顔でついていきました。
バクシン♪バクシン♪
ペースは乱れぬまま、4コーナー。余裕十分。しかし、外の4番手を見ると、そこに王者がいました。虎視眈々、ヤマニンゼファーが迫ってきたのです。鼻歌を歌っている場合じゃありません。小島騎手がGOサインを出します。
バクシン!バクシンッ!!
王者か。挑戦者か。
バクシーーン!!!
ギューンと伸びたのは挑戦者。王者に追いつかれるどころか、突き放してのゴールでした。2馬身半は短距離では決定的な差。新チャンピオン誕生です。
バクシン!バクシン!
ゴール後、得意げなバクシンオーの上で小島ジョッキーが右手を上げ、喜びをあらわにします。実はこのレースの8日前、バクシンオーのオーナーであり、サクラ軍団(サクラ〇〇〇という馬を数多く所有)の総帥・全演植氏が亡くなっていたのです。父のように慕うオーナーのために、決死の覚悟で挑んでいたのでした。
紙面ではバクシンオーのキャリアについて触れています。まだGⅠ挑戦が2回目で、重賞勝ちも3歳春のクリスタルカップのみ…というのが異色だったのです。スプリンターズステークスというのは1990年にGⅠになったばかりで、バクシンオーが勝ったこの年が4回目。過去3回の優勝馬、バンブーメモリー、ダイイチルビー、ニシノフラワーはその時点で何度もGⅠに出走していましたし、既にマイルのGⅠを勝っていました。そのせいか、ファンにとってのスプリンターズステークスは「マイルで強い馬が、ついでに勝つGⅠ」といったイメージもあるレースだったのですが、バクシンオーは違ったのです。「ついで」じゃない。1200メートルこそが自分のテリトリーであり、明らかにそこを狙ってきた経歴が当時は珍しく、異色だったんですね。その戦績のせいで、正直、関西では「強い相手と戦っていない」と、バクシンオーの実力を懐疑的な目で見る記者やファンも少なくありませんでした。なのに、終わってみれば、力の違いを見せつける完勝――。
「こういう馬も出てきたか」
今風に言えば
「スピードにマン振り!」
「スプリントガチ勢!」
といった感じでしょうか。そして、この勝利をきっかけに、翌年にかけて古いファンの意識も変わっていきます。前述のように、スプリントはよく言えば〝マイルの仲間〟、悪く言うと〝マイルのおまけ〟という認識でした。当時は1600メートルのGⅠが春と秋に1回ずつあるのに、1200メートルのGⅠは師走に1回だけ。スプリント路線が確立しておらず、マイナーな存在だったため、そのようなくくりでとらえられており、極端に言えば「競馬には短距離と長距離があり、短距離は1200メートルから1600メートル」という大雑把なとらえ方をしている人、さらには「1200メートルと1600メートルは似たようなもの」ぐらいのファンも私の周りにたくさんいました。今となっては笑い話なのですが、そのぐらいの感覚の人が実際にいたんですね。路線が確立していなかったからにほかならないのですが、これはスプリント王者となったバクシンオーにも、正直、困った状況でした。前途洋々、来年も頑張るぞ!となっても、1200メートルのGⅠは春シーズンはゼロなのです。
5歳バクシン
現在のように3月下旬に春のスプリント王決定戦「高松宮記念」がなかった94年、バクシンオーが目標とするレースは「安田記念」しかありません。1600メートルですが、それしかないのだから仕方ない。まずは4月上旬に「ダービー卿チャレンジトロフィー」という1200メートル戦で脚ならし。
黒く塗りつぶされた◎があるように、正直、負けるようなレースではありません。
バクシン♪バクシン♪
単勝オッズ1・2倍に応える楽勝。先頭に立った逃げた後、いったん2番手に控えるところも成長の証でした。昨年、教え込んできたことが実を結び、スピード一辺倒の馬ではなくなっていたのです。
「マイルもこなせるかもしれない…」
ただ、安田記念には外国から刺客が顔を揃えていました。国際GⅠになったばかりの前年は様子見の馬が多かったのですが、この94年の外国勢はガチでした。フランス、UAE、イギリスから実力馬4頭が来日し、前哨戦の京王杯スプリングカップ(GⅡ)で、その4頭が上位を独占したのです(本番の安田記念にはニュージーランドからも1頭参戦)。
「本気で(日本のGⅠを)取りにきてる」
誰もがそう感じました。しかも、京王杯を勝ったスキーパラダイスという外国馬には日本の天才ジョッキー・武豊が乗っているので、慣れない競馬場で騎手がヘマをする可能性もありません。一方、日本のマイル路線はヤマニンゼファーが引退したことでかなり手薄。期待できそうな馬を探すと、それは自然とバクシンオーに行きつくような状況でした。
「日本の総大将として返り討ちにしてほしい」
「でも、距離はこなせるのだろうか…」
期待と不安、半々のファンの背中を後押ししたのはバクシンオー陣営でした。
これは安田記念の週の追い切り速報紙面ですが、強気な言葉が連発されています。まずは小島ジョッキー。
「弱かったところがすべてクリアされ、いまやっと本物になった。マイル戦で勝ち星はないが、あの頃とは馬が違う。日本の代表として胸を張って戦える」
極めつきは境調教師。
「敵はフランスでもイギリスでもない。(苦手な)雨だけだ!」
本紙だけではなく、他紙にも似たような言葉が並んだのですから、応援しないわけにはいきません。記者も期待を込めて印をつけ、ファンは一度もマイルで勝ったことがないバクシンオーを3番人気に支持します。
バクシン♪バクシン♪
好スタートから先行するバクシンオー。ムキになっている様子はありません。
バクシン!バクシン!
気力も体力も充実していたのでしょう。距離に不安があるのに、小島騎手もバクシンオーも強気に勝ちにいきました。2番手の外を進む横綱相撲。マイルの逃げ馬より明らかに脚の速いスプリント王が4コーナーでたまらず前に並びかけたときの東京競馬場の大歓声は本当にすごかった。しびれるような手ごたえ、持ったままで先頭に立ったバクシンオーに多くのファンが叫びました。
「いけーーー!」
バクシン!バクシン!バクシーン!
結果は4着。15頭を引き連れて堂々と突き進んだものの、残り200メートルでノースフライトがかわしていきました。ただ、かわされた後の彼の姿は多くのファンの胸を打ちます。
バクシン…バクシ…
とはならず
バクシン!バクッシン!
と歯を食いしばり、必死で抵抗したのです。
応援したファンも悔いなし。差し馬有利の超ハイペースだった(勝ち馬と3着馬は4角10番手、2着馬は15番手)こともあり、一番強い競馬をしたのがバクシンオーだったのは明白でした。
「距離は持つ!」
「持つじゃないか!」
ファンだけではなく陣営も相当な手ごたえを感じたのでしょう。秋初戦、バクシンオーが1800メートルの毎日王冠(GⅡ)にチャレンジしたのがその証。結果次第では天皇賞・秋(2000メートル)への挑戦も…と噂されるほどでした。結局、4着に敗れたものの、大敗しないのですからやはり本格化は間違いなく、あとは無事に年末のゴール地点・スプリンターズステークスに向けて調子を上げていくだけ。その道すがら、マイルチャンピオンシップで1600メートルの勲章も手にできれば、なお良しです。というわけでバクシンオーは、前哨戦のスワンステークス(GⅡ)に駒を進めます。
距離が1400メートルなので◎がズラリ。斤量(馬名の下の数字)が他馬より重い59キロなのにコレですから、いかに力を認められていたかが分かりますよね。レースでも王者は余裕たっぷり。
バクシン♡バクシン♡
2番手でムキにならず…
バクシン♪バクシン♪
鼻歌交じりでゴールに向かいます。
バクシン!バクシン!
と、力を入れたのは最後だけ。楽勝どころか、芝1400メートルの過去最速タイムを叩きだします。コントロールも利いていましたし、まさに充実一途。マイルチャンピオンシップの戴冠が現実味を帯びてきました。調教も絶好調で、紙面には陣営の強気なコメントが躍ります。
中でも読者を勇気づけたのは厩務員さんのコメントでした。
「安田記念は良馬場だったけど、午前中に降った雨が内ラチ沿いにずいぶん残っていた。こっちが走ったのは(内の)ぐちゃぐちゃの芝。すっかり乾いていた外を回った馬が1、2着。だからどうとは言わないけど、普通の馬場だったらと誰もが思うだろう」
苦手な馬場でも4着だったんだから逆転もある…本紙では、その安田記念の覇者・ノースフライトよりも多くの◎がつきました。
単勝オッズはノースフライト1・7倍。バクシンオー3・3倍。3番人気が11・4倍でしたからまさに一騎打ちでした。焦点はただ1つ。バクシンオーが距離を克服し、持ち前のスピードと先行力で、差し馬であるノースフライトの追い込みを封じるか否か。そのためには当然、リラックスして走らないといけません。
バクシン♡バクシン♡
いつものように外めを先行していきます。
バクシン♪バクシン♪
気分も良さそう。
バクシン♪バクシン♪
4コーナーで先頭に並びかけます。あとはエンジンをかけるだけで、実際エンジンもかかりました。しかし、相手をバクシンオーに絞り、マークしていたノースフライトが、その時、既に外から並びかけていたのです。瞬発力と距離適性で上回る名牝が、一気にバクシンオーをかわし、先頭に立ちます。
バクシン!バクシン!
スプリント王も負けていません。しっかり伸びています。
バクシン!バクッシン!
差し返すかにも見えるほどの抵抗に場内は大歓声。しかし、相手が一枚上でした。バクシンオーが充実期を迎えていたのと同じく、歴史に残るマイル女王は競走生活のピークを迎えていたのです。抵抗むなしく、手にしかけたマイル王のタイトルはするりと逃げていきました。
完璧なレースで負けたのだから仕方ありません。翌日の紙面では、陣営も敗戦を認め、前を向いていました。
「今日はよく頑張ってくれた。鞍上がうまく乗って敗れたのだから仕方ない」
こう話した境調教師。記事では3着馬の猛追を凌いだ2着だったこと、ノースフライトとの着差が安田記念より縮まったことを挙げ、バクシンオーの成長ぶりを改めて強調するとともに、スプリンターズステークスへの明るい展望で原稿を締めています。さあ、やっとです。やっと自分の適距離で走ることができます。待ちに待った1200メートル戦は、すぐそこに迫っていました。
有終バクシン
バクシンオーがスプリンターズステークスを最後にターフを去ることが発表されました。何度もお話ししているように、スプリント路線にはGⅠが1つしかなく、既にそれを勝っているのですから他にやることはありません。何より、バクシンオーには次の仕事が待っています。その恵まれたスピードは、日本のサラブレッド生産界にとっては〝宝〟。種牡馬として、子供たちに速さを受け継いでいかねばならない存在だったのです。
引退レースだとはいえ、仕上げにぬかりはありません。スプリント路線に新星も登場していませんでした。ただ1つ、ファンをヤキモキさせたのが外国馬です。この年から国際レースとなったスプリンターズステークスには3頭が来日していました。中でも、ソビエトプロブレムという米国馬は、18戦14勝で、前走はブリーダーズカップスプリントという世界的スプリントGⅠでアタマ差の2着。世界最強クラスのスプリンターだったのです。
本紙も含め、各スポーツ新聞はその正体を探る記事を連日掲載しました。読めば読むほど、心配になってきます。
「相当速いんじゃないか」
「大丈夫かなあ」
「最後に負けるなんて見たくないぞ」
そんな私たちを勇気づけてくれたのはやはり陣営でした。何度も登場している境調教師は強気で知られ、レース前に進軍ラッパを吹き鳴らすのがお決まりのパターン。時にそれに躍らされ、馬券で痛い目に遭うことも多かったのですが(苦笑)、ユニークなコメントで多くのファンに愛されていましたし、こういう時には本当に心強いんです。これは水曜日の本紙に載った進軍ラッパ。
「ソビエトでも中国でも、どこの馬が来たって大丈夫!」
ソビエト(プロブレム)といっても米国馬ですし、中国の馬なんて出ていないのですが(苦笑)、とにかく強気なのは伝わってきますよね。「キン肉マン」的に言えば、言葉の意味はよく分からんが、とにかくすごい自信。で、調教も抜群でした。
この日最速のタイムをマークし、小島ジョッキーも自信満々。
「ジャパンカップと違って短い距離では外国馬もある程度の力は出してくる。それでも相手を意識したレースをするつもりはない。あくまでこの馬のペース、この馬のリズム。1頭で競馬をするつもりでいく」
他馬は眼中にないと言わんばかり。それぐらい教え込んできたことが実になり、すべてにおいて完成形になっていたのです。ファンの不安は日に日に消えていき、記者からも絶大な支持を得て、バクシンオーは引退レースに臨みました。
ゲートが切られると、2頭が火の出るような先行争いを始めます。
「これはとんでもないペースになる…」
実際、前代未聞の超ハイペース。そんな中、1・6倍の大本命馬は…。
バクシン♡バクシン♡
5番手で余裕しゃくしゃくでした。
バクシン♪バクシン♪
この馬のリズム。この馬の世界。2年前がウソのようです。
バクシン♡バクシン♡
楽しそうに、気持ちよさそうに走っています。
「やっぱりスピードの絶対値が違うんだ」
天性の速力に感嘆するファン。
「他馬なんて関係ないんだ」
よく見ると、バクシンオーのすぐ外にピッタリと馬体を併せてマークしている馬がいます。見慣れない勝負服。それがソビエトプロブレムだと、誰もが気付きました。でも、まったく怖くなかった。まったく負ける気がしませんでした。
バクシン♪バクシン♪
4コーナーを前に我が国のエースが上がっていきます。
バクシン♪バクシン♪
ソビエトプロブレムはついていけません。
バクシン♪バクシン♪
直線を向いてもまだ鼻歌。持ったままで前を行く馬に並びかけ、かわそうとしたところで小島騎手からGOサイン。
バクシン!バクシン!
アッと言う間でした。一気に先頭に立ち、あっさり突き放します。もう大丈夫です。誰もが勝利を確信する中、それでも小島騎手は最後に力強くムチを振るいました。華のある名手、ファンに愛された魅せる男は、引退レースだからって安全運転で終わらせるようなことはしなかったのです。
どこまでいけるか。
スピードの限界へ――。
ムチの意味を察した競馬ファンから大歓声が上がります。
「いけっ」
「いけーーー!」
愛の猛ムチと声援に、希代のスピード馬が伝説に向けて疾走します。
バクシン!バクシン!バクシン!バクシン!
これが日本最速馬だ。
バクシン!バクシン!バクシーン!!!
これが世界最速馬だ!
バクシーーーーーン!!!!
史上最速馬が、スプリントGⅠのゴール前ではまずお目にかかれないぶっちぎりで、最後の驀進を終えた時、ファンの目は電光掲示板に釘付けになりました。
1分7秒1――
日本レコードでした。
試してみた
先月下旬にオープンし、おかげさまでバクシン中の本紙新サイト「東スポ競馬」を、あくまでファンとして、オッサンなりにいろいろと試しております。初心者の皆さん、玄人の皆さん、それぞれにオススメポイントをリポートしておりますので、お時間があればぜひのぞいてやってください。