プロ野球界激震の2004年!労使交渉しながらのプレーは大変だったけど成績は…【礒部公一連載#4】
盗もうとしても無理だったイチローの技術のすごさ
打撃に悩んだときもヘッドコーチの伊勢孝夫さん、打撃コーチの正田耕三さんによく相談していました。「この場面は頭を使っていってこい」と言われたら相手投手は普通の配球をしてこないということ。教えてもらったことを思い返して「勝負球が来るぞ」「ボール球から来るかも」とか一瞬、冷静になって打席に入っていた。僕が得点圏打率(4割1分7厘)がよかったのはその辺にも理由があると思います。僕の打撃が開眼したのはその2人のおかげ。よく練習させられましたけど、僕が13年間、ほぼレギュラーでできたのはその時代の練習があったからだと思っています。感謝ですね。
練習中からクギ付けになったイチローの打撃
同僚で中村紀洋、タフィ・ローズとすごい打者が間近にいたんですけど、目の前で見て「すごい!」と思ったのはイチローですね。捕手をやっていても、なんでミットに入るギリギリでバット出してヒットになるんだって思っていた。空振りも取れない。僕の1年目の1997年は連続して首位打者を取ってるバリバリのころ。僕は捕手としてよく出てたので捕手目線になりますよ。打たれるのはわかっているし、長打じゃなきゃいい、得点圏で打たれなきゃいいって。
イチローさえ抑えれば勝てるぞって思っていました。助っ人のロブ・マットソンというナックルボーラーには、わざと球速90キロくらいのナックルを6球くらい続けたり、インハイとアウトローばかり攻めたり…。あとはもうぶつけろ、みたいな(笑い)。
最初、彼を見た時は衝撃だった。打ち方といい、ルーティンといい、ロボットみたい。走り方もかっこつけるでしょ。それが彼のプレースタイルであってマネはできない(笑い)。同級生だし、試合後にイチローと食事をすることはありました。だいたい会うのは神戸の牛タン屋。僕がプライベートで行ったら彼が1人でいることもあった。彼がメジャーに行った後、日本球界の再編騒動のときも「楽天は大丈夫なん?」って気にかけてくれていたこともあります。心配だったんでしょうね。
イチローの振り子打法(94年9月・グリーンスタジアム神戸)
技術的な話は一度もしたことはない。聞いてみたかったけど…。アマ時代に打ち方をマネしたこともあるし、どうやってバットを強く振ってるんだろうとか、球場で目で見て盗もうとはしてました。阪神の坪井智哉とかもやってましたけど、やはり技術がないとあんな打ち方はできない。オリックス戦では試合前練習からずっと見ていた。バットが出てくるのが遅くてスイングスピードが速い。僕は打撃は上半身より足の使い方が大事と思っているんです。彼の踏み込み、切り込みのうまさが打球の飛距離を出している。ほぼ同じポイントで正確に右中間に打つ。いいバット使っているから打球音もよかったですねえ(笑い)。
次回からは球界激震となった2004年の再編問題のことをお話ししましょう。僕は選手会長としてオリックスとの合併阻止を訴えた。
合併反対を訴えるファンと横断幕(04年7月・大阪ドーム)
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