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2001年リーグ優勝の近鉄ナインは毎日が「倍返し」だった【礒部公一連載#1】

はじめに

 杜の都が熱い――。仙台に本拠を構える東北楽天ゴールデンイーグルスに今年、9年ぶりに〝ミスターイーグルス〟が帰ってきた。ヤンキースのエースとして活躍した田中将大投手が現役バリバリで古巣へ復帰。その一挙手一投足がプロ野球界を沸かせている。犬鷲軍団を率いる新監督も話題だ。2013年以来の日本一へ期待が高まるが、さかのぼること20年前の日本シリーズ。その石井一久新監督と猛牛戦士として相対したもうひとりの〝ミスターイーグルス〟がいた。

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左から中村紀洋、ローズと〝いてまえ打線〟の中核を担った

ドラマ「半沢直樹」よりも先!2001年から使ってた「倍返しや!」

 近鉄はもともと「いてまえ打線」という名前がついていたんで、2001年がすごいというより打高投低という打ち勝つ野球がメインのチームでした。僕が入団して最初の佐々木恭介監督のころから打って優勝争いしたこともあったし、01年からいきなり全員がよくなったとは僕は受け止めていなかった。

近鉄の佐々木恭介監督(96年)

近鉄の佐々木恭介監督(1996年)

 開幕(3月24日)の日本ハム戦ですね。初回にいきなり5点取られてもそこから逆転して10―9で勝ったことが勢いがついたきっかけかな、と思います。僕は7回に逆転の3ランを放ち、何か吹っ切れた。プロ5年目で脂の乗っているとき。いいメンバーと打線が組め、開幕でいい試合ができたことで走れたという感じですかね。キャンプ、オープン戦と同じような形で入っていたので、今年は違うぞ、という感覚はありませんでしたよ。

トミー・ラソーダ氏と近鉄ナイン、右は梨田監督(01年3月、大阪ドーム)

ラソーダ氏のアドバイスを受ける近鉄ナイン。右は梨田監督(01年3月)

 僕の中でも捕手から外野手にコンバートされた年。打撃がいい状態でしたし、業務提携していたドジャースのアドバイザーだったトミー・ラソーダさんも「打てるんならライトで」ということでした。捕手は的山哲也さん、古久保健二さんがおられたし、打って勝ち取った形でもありました。

 前半は首位で折り返したけど、ダイエー、西武は来るんじゃないかと思っていました。近鉄の12年ぶりの優勝がかかっている。三つどもえになって差が詰まっていった。3・5ゲーム差をつけているときに西武に3連敗して詰まったり、直接、その2チームが潰し合ってくれたり…。それが9月17日からの大阪ドームの西武3連戦に3連勝してマジックが点灯し、ようやく「いけるんじゃないか」となった。

 点を取られても「倍返しや!」とは、ずっと言ってましたよ。ドラマではやる何年も前からですよ(笑い)。開幕戦もそうだし、シーズン中も2点取られたら4点取るぞ、倍返しやって、ベンチからよくそんな声が出てました。その年は78勝のうち半分以上の41試合が逆転勝利。4点、5点を先に取られても終盤にひっくり返せる、なんとかなるぞっていう空気があった。

梨田監督を激励する武藤敬司(01年3月17日、大阪ドーム)

梨田監督を激励するプロレスリングマスター・武藤敬司(01年3月)

 打線はほぼ7番までは固定。捕手とショートが代わるくらいで、僕らのやることはわかっていた。梨田昌孝監督はオーソドックスなゲーム運びをされる。1、2番の大村直之、水口栄二さんが出塁してくれたらタフィ・ローズ、中村紀洋という2人で100発打つ打者がいるのでかえしてくれる。得点圏にいるから2人に続く僕や吉岡雄二さんが頑張るという形。ほんとに打線になって、みんなが自分の役割をわかっていました。

 9月19日の西武戦で僕が逆転の決勝3ランを打ってマジック5。もう大丈夫だろう、このまま大阪ドームで決めたいと思った。チームは23日の日本ハム戦勝利でM3、24日の西武戦勝利でM1。そして26日のオリックス戦を迎えた。球場は超満員。異様な雰囲気の中で試合はスタートし…。

打った瞬間にベンチ飛び出した!ペーさんの代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン

 2001年9月26日、近鉄は優勝マジック1から本拠地の大阪ドームでオリックス戦を迎えた。僕が入団して大阪ドームが満員になることってなかったのに、そのころは毎日満員。大勢のなかで決めたいという気持ちはものすごく強かった。12年ぶりの優勝がかかって異様な雰囲気なんだけど、僕らはそんなでもなかったんです。相手先発は1年目の北川智規。これはいけるぞって思った。それでも試合が始まって点が入らず、リードを許す展開になってから「これがプレッシャーなのかな」と。

 3点取られても何とかなるぞって思っていたら9回まで2―5。表にクローザーの大塚晶文さんがマウンドに上がって3人を抑え、迎えた裏の攻撃。相手投手はオリックスのルーキーでクローザーで結果を出してる大久保勝信でした。先頭打者の吉岡雄二さんがヒットで出塁し、続く川口憲史が二塁打で無死二、三塁になったとき「これ、もしかしたらあるんじゃないか」と思った。続く代打の益田大介が四球で満塁。ネクストには代打でペーさんこと北川博敏さんが準備していました。

 ペーさんも阪神からトレードで来て1年目。打撃コーチには真弓明信さんもおられたし、打撃も期待できる存在でした。何とか1点返してもらえれば、三振さえしなければ、と思って見ていましたけど、ベンチでは「これ、ホームランで優勝やな」との声も出てましたよ。そして…打球がスタンドに入った瞬間、ではなく、打った瞬間にベンチを飛び出した。入ると確信できましたから。

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北川の〝奇跡弾〟で近鉄の12年ぶりの優勝が決まった

 奇跡としか言いようがなかった。どうなったかわからないけど、投手のショーン・バーグマンに抱きつかれて倒れたような…。本人が打ったのもすごいし、みんなで勝ち取ったものでした。代打逆転満塁優勝決定とか頭に何とかかんとかつく記録って歴史的にもなかった。あの人が持ってるんだな、と思ったし、そのシチュエーションを作り上げた3人もいた。そこに当てはめたウチの打線も強かったし、投手も頑張った。チーム全体で勝ち取った1勝、優勝だったんだなと思います。

 その年は78勝中、41試合が逆転勝ちだったことで「漫画みたいな試合が多いなあ」ってみんなでよく言ってたんです。漫画でも描けないような試合で勝っていた試合も多かった。球宴前の7月17日のロッテ戦なんか、5点差をつけられた9回に8点取った。クローザーの小林雅英さんを打って逆転勝利。雰囲気がそうなっていたんですねえ。勝った後なんか「勝ってもうたなあ。できるもんやなあ」なんてみんなで話してましたから。

 でも…優勝決定の試合後はビールかけができなかったんです。アメリカの同時多発テロの影響でね。その代わり球場内のお風呂場でビールかけしましたよ。瓶が割れて足を切った選手もいた(笑い)。今だから言えますけどね。

日本シリーズ初戦、「石井一久は立ち上がりはよくない」と聞いていたが…

リーグ優勝し胴上げされる梨田監督(01年9月26日、大阪ドーム)

12年振りのリーグ優勝を果たし、胴上げされる梨田監督

 北川博敏さんの奇跡の一発で優勝を決めたけど、その夜は米国の同時多発テロの影響でビールかけを自粛したんです。その代わりみんなで球場のお風呂場でビールかけしましたけどね(笑い)。あとブルペンで缶ビールでお祝いしました。会見があってテレビ取材が一通り終わり、その後にみんなでミナミに繰り出しました。梨田昌孝監督をはじめ、裏方さんも全員でクラブ貸し切りで朝まで。途中からどうなったかは覚えていません(笑い)。

 ミナミの通りにシャンパンを並べてくれてるお店もあって…。そこで飲んでからクラブに入る。阪神じゃ考えられないでしょ(笑い)。大阪ドームから移動してきたんでちょっとした騒ぎにはなったんですよ。大阪の街の人も喜んでくれて「大阪で決めれてよかったなあ」と実感しました。

ヒーローインタビューを受ける礒部(01年5月、大阪ドーム)

ヒーローインタビューを受ける礒部(01年5月・大阪ドーム)

 僕は140試合全部に出場させてもらい、打率3割2分で95打点。レギュラーとして1年間、走り抜けた。捕手から外野手に転向した年にある程度、素晴らしい成績を収めることができた。10月20日からの日本シリーズもこの勢いでいきたい。ヤクルトはもう優勝が決まっていたし、ここまできたからには日本一へ…。大阪ドームからのスタートだったし、このメンバーならヤクルトくらいいける、と思った。

 でもシリーズに向けての期間中に気になることがあった。僕って首を痛めやすいんです。寝違いみたいな感じでやってしまい、試合には出られても十分に練習できない状態でシリーズに入ってしまって…。言い訳になるのであまり言ってなかったけど、調整不足は否めなかった。疲れがどっと出たのかもしれない。

 ヤクルトはペタジーニがいて稲葉篤紀さん、古田敦也さんがいて打線のチームという印象。特に稲葉さんは僕と同じ5番で、同じような成績を残していた。分析もしましたよ。僕らはシーズン中もミーティングをしっかりやっていたし、前回の対戦結果、内容を見て攻め方を変えてくるんじゃないかとか、情報を入れていた。ヘッドコーチの伊勢孝夫さん、打撃コーチの正田耕三さんから若手扱いで口やかましく言われていたしね(笑い)。

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日本シリーズ初戦はヤクルト・石井に封じ込められた

 ヤクルト投手陣なら打ち崩せるだろうと思っていた。日本シリーズはシーズンと違って緊張感が違った。10月20日の1戦目は先発が同学年の石井一久。7回一死で北川さんのヒットが出るまで打線はノーヒット。これはまずいな、と…。こんな展開はシーズンでなかったですからね。ミーティングでは石井は立ち上がりはよくない、その後は尻上がりによくなるから立ち上がりに捕まえないときついぞ、という話でした。僕は1打席目に内野ゴロでも「三振するほどのボールじゃないぞ」とは思った。それが3回、4回と回を追うごとに140キロくらいの真っすぐが150キロに、130キロくらいだったスライダーが140キロくらいになってきた…。

次の話へ

いそべ・こういち 1974年3月12日、広島県東広島市出身。西条農で夏の甲子園大会に出場。社会人・三菱重工広島時代は主砲の捕手として都市対抗の決勝に進出した。96年のドラフト会議で近鉄に3位指名され、入団。捕手兼外野手として1年目から出場し、2001年から外野手に専念。ローズ、中村とともに「いてまえ打線」の主軸を担い、チームを12年ぶりのリーグ優勝に導いた。打率3割2分、95打点、得点圏打率4割1分7厘の好成績でベストナインに輝く。04年には近鉄の選手会長として球界再編問題に取り組み、12球団存続に貢献した。05年から新球団の楽天に移籍。09年に引退し、コーチ業に専念する。17年に退団するまで21年間、ユニホームを着続けた。今年3月にYouTubeチャンネル「イソちゃんねる」を始めた。

※この連載は2019年4月23日~5月31日まで全21回で「猛牛ラストサムライ」というタイトルで紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を大幅に追加し、タイトルをリニューアルして全7回でお届けする予定です。

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ありがとうございます
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東京スポーツ新聞社の紙面で過去に掲載された連載がまとめて読めたり、ココだけしか読めないコンテンツがあったりします。できる範囲で頑張ります。