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捕手だった僕が、日本を代表する捕手・古田敦也さんの術中にはまった感覚とは【礒部公一連載#2】

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16打数ノーヒットで終戦「日本シリーズのA級戦犯は僕だな」

 2001年のヤクルトとの日本シリーズ初戦。近鉄打線は石井一久に封じられた。石井の状態は尻上がりによくなってくる。スピードガンも上がってきてこれはやばい、と…。そうこうしているうちに0―7で完敗でした。1つ落としたんで次は勝たないと大阪ドームに帰ってこれないかもしれない。その気持ちで2戦目に臨みました。

近鉄優勝でビールかけする中村紀とローズ(左)(01年9月26日、大阪ドーム)

リーグ優勝時にビールかけをするローズと中村紀

 僕にヒットは出なかったけど、中村紀洋水口栄二さんタフィ・ローズに一発が出て9―6で逆転勝ち。いい形で1勝1敗となった。僕はシーズンと同様のスイングができず、2試合ノーヒットでメディアにも叩かれた。調整不足ですね。シーズン中なら何試合か打てないときがあっても他が打ってくれるから「捨てられる試合」がある。打てなくても4打席とも逆方向を狙って打ったりして修正するようにしていた。それがシリーズは短期決戦なんで捨てられる試合がない。ジワジワとプレッシャーがかかってきた。他はヒットが出てるのに自分はいいスイングができずにタコに終わって…。

 3戦目から神宮に場所を移しても、練習中でもよくない。これは試合でもよくないんじゃないか、と弱気が出始めていましたね。首脳陣からは「1年間、レギュラーでやってくれたんだから試合には使う。打てなくてもいいから自分のスイングをやってくれ」と言われていたけど、僕の中では結果が欲しい。まだプロ5年目で27歳。若手から中堅になるころに日本シリーズを経験している…。プレッシャーを感じていましたね。

 3戦目を落とし、ノーヒットが続いていた僕は、4戦目で打順が7番に変わり、5戦目はスタメン落ちになった。代打の準備はしていたけど、情けなかった。メディアに叩かれるのも嫌だし、殻に閉じこもってしまう状態で…。初めてベストナイン級の成績を残せた年なのに、歯がゆくてイライラしていました。近鉄は5戦目も2―4で敗れ、3連敗で目の前でヤクルトの胴上げを見た。放心状態でしたね。僕は16打数ノーヒットに終わり、申し訳なく、責任を感じた。この世界ならしょうがないことだけど、シーズンのA級戦犯とか言われるでしょ。日本シリーズのA級戦犯は僕だな、と…。

日本シリーズ第3戦でヒットを放つヤクルト・古田

日本シリーズ第3戦でヒットを放つヤクルト・古田敦也

 結果的に近鉄は総合力で及ばなかった。古田敦也さんの術中にはまったみたいなところはある。配球にうまく抑えられた。「いい捕手」というのが頭にあったんで、相手投手のことより古田さんと勝負してる感覚になって…。みんなそうだったと思います。バリバリの日本を代表する捕手ですから。配球はオーソドックスでも、こちらが考えすぎていた。日本一になりたい気持ちが強くて、もっとフラットにいけばよかったかもしれない。20試合くらいあればタイ以上の戦いができたかもしれない。

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近鉄を倒し、宙に舞うヤクルトの若松監督

 僕のシーズン中の得点圏打率は4割1分7厘。それが無安打なんだからへこみますよ。しばらく引きずりましたねえ。

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