THE LAST DAY OF 近鉄バファローズ、2004年9月27日に梨田監督が残した言葉【礒部公一連載#5】
最終戦の試合後、梨田監督は選手会長の礒部の手を取り労をねぎらった
古田さんが握手を拒否したロッテの瀬戸山さんも普段はいいオッサン
2004年は近鉄の選手会長として球界再編問題に取り組んだ。オリックスとの合併は阻止できなかったけど、楽天の参入によって12球団を継続することができた。労使交渉とかわからないことだらけの中で、選手会労組の古田敦也会長、松原徹事務局長が僕らのことを親身になって考えてくれたんです。
古田さんは賢いし、松原さんも交渉事をわかっている方。僕も30歳くらいだったし、社会人出身(三菱重工広島)なんである程度、世間の流れとかはわかる。これが20歳そこそこだったらもっとむちゃくちゃなことを言ってたでしょう。僕が思っていたことは古田さんの頭に入っていたし、それを全部言ってくれたと思う。12球団存続を勝ち取るために何とかしようと、選手会は完全に足並みが揃っていました。
礒部と古田(右)は懸命に球界再編問題に取り組んだ
経営者側はというと…。労使交渉では休憩時間にたばこ吸いに行くでしょ。そういう時にヨソの球団社長の人も来られて「君たちの気持ちもわかるよ」と声を掛けてくれたところもある。特に広島なんかは市民球団として地域密着でやっているので鈴木清明本部長に「ファンの声は裏切れないよね」と言われたこともありました。
ストライキを何とか回避した9月10日の労使交渉では、終わった後に古田さんが経営者側の選手関係委員会委員長だったロッテの瀬戸山隆三さんの握手を拒否した。でも瀬戸山さんも普段はいいオッサンなんですよ。それは僕、よく知っている。だからそこよりも上、もっとトップの人たちに言われたら瀬戸山さんも動かざるを得ないでしょう。本意じゃなかったと思います。球団代表なんで現場のことを一番に考えてくれる立場なんですから。
選手関係委員会の瀬戸山氏(左)と同意書を交わす古田会長
そういう意味では僕らが闘っている相手は企業のトップなわけです。現場であるコーチから「あまり無理するな。お前もプロなんだから野球できなくなる可能性もあるんじゃないか」と言われたこともあります。使っている方と使われている方。給料を払ってもらっている立場は変わらないわけです。「たかが選手が…」なんて言われたら腹も立つし、表には出さなくても「ストライキまでやると言ってるのになんで向こうは止めてくれないんだ」とか、くじけそうになることもありました。
でも最終的にはそれを覚悟してやらなきゃしょうがないと思った。近鉄の選手会長になってこの問題に取り組むのは僕の使命。会社からしたら煙たい存在だったかもしれないけど、割り切るしかなかった。妥結した9月23日の労使交渉後の会見で僕は「合併が止められなくてファンに申し訳ない」と話しました。24日に楽天がNPB加盟を申請。10月のライブドアとのヒアリングを経て、11月2日のオーナー会議で楽天の新規参入が承認された。
事態はようやく落ち着いたわけだけど、僕のチームの近鉄は消滅してしまう。ラストゲームは9月27日、ヤフーBBスタジアムでのオリックス戦。試合後の梨田昌孝監督の言葉は一生忘れません。
〝近鉄最後の日〟梨田監督の忘れられない言葉
近鉄ラストゲームの試合後、近鉄とオリックスの選手は握手を交わした
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