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東海大相模はみんなが4番打者のよう…初回いきなり原辰徳にタイムリーを浴びた【定岡正二連載#5】

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「甲子園で1勝」の目標を完封で達成

 あの日も暑い日だった。1974年7月30日。鹿児島県大会決勝は、ボクたち鹿児島実業が「優勝候補大本命」と見られていた鹿児島商業を2―0で下し、2年連続4回目となる夏の甲子園大会出場を決めた。

 実力では完全に劣るボクたちが、超高校級のエース・堂園喜義を擁する鹿商に勝ってしまったのだから、野球は何が起きるか分からない。この決勝戦の経験でボクたちは「強い者が勝つんじゃない。勝った者が強いんだ」と思えるようになった。「怖いもの知らず」とは、こういう精神状態のことを言うんだろうか。その意識は続く甲子園でも発揮された。

 甲子園にやってきたのは8月3日。地元の人たちは「ひょっとして全国制覇も」なんて大きな期待をかけていた鹿商が敗れたこともあって、鹿実への期待はそれほどではなかったと思う。だからボクたちはプレッシャーも感じていなかった。

組み合わせ抽選会風景。鹿児島実業のボードが見える(1974年8月、フェスティバルホール)

 大阪・中之島のフェスティバルホールで行われた7日の抽選会では「大会屈指の好投手」と言われた千葉・銚子商の土屋正勝(中日、ロッテ)、茨城・土浦日大の工藤一彦(阪神)、そして1年生ながら「父子鷹」「長嶋茂雄2世」として話題を呼んだ神奈川・東海大相模の原辰徳(巨人)らがまばゆいフラッシュを浴びていた。そんな姿を見ても「おおーっ、すげえ」と思うぐらいで、気後れするようなことはなかった。

 1回戦負けとはいえ1年前に甲子園を経験できたということもある。ミーティングでは「1回戦は勝とうな!」「勝っど、勝っど!」とみんなで言い合い、チームのムードは最高とも言えるぐらいに盛り上がっていた。

のちに阪神に入団する土浦日大の工藤。「大会屈指の右腕」として注目された

 鹿実は2回戦からの登場。迎えた13日の佼成学園(西東京)戦は、初回に挙げた1点を守り切り、1―0で4安打完封勝ちを収めた。「甲子園で1勝」という目標をクリアすると、さらに勢いに乗った。続く15日の3回戦・高岡商(富山)戦も7回に鹿実が均衡を破り、1―0の7安打完封勝ちだ。点差的に苦しい試合が続いたけど、不思議と負ける気はしなかった。「オレたちはあの鹿商に勝ったんだ」「あの決勝戦以上の苦しい試合なんてない」。ボクたちはどこまでも強気だった。

 さあ、次はいよいよ優勝候補筆頭の東海大相模だ。だが、甲子園の暑さは、知らず知らずのうちにボクたちから体力を奪っていた。鹿児島の暑さと甲子園の暑さは別物で、甲子園はとにかく風がない。スポーツドリンクなんてものがない時代、水分をうまく取らないとすぐに脱水状態になってしまう。食欲不振もひどく「何とかして食べないと持たないぞ」との思いから、ご飯にお茶をかけて無理にでも流し込んだ。眠れない夜も続き…。そして17日、準々決勝・東海大相模戦の朝を迎えた。

甲子園特有の暑さにヤラれたまま迎えた東海大相模戦 

「やばい、やばいぞ…」。第56回全国高校野球選手権大会・準々決勝が行われる1974年8月17日の朝、ボクは何とも言えない体の重たさに苦戦を覚悟した。

優勝候補だった東海大相模の練習風景(1974年8月、神奈川・相模原)

 ボクたち鹿児島実業のこの日の相手は、優勝候補筆頭の東海大相模(神奈川)。「長嶋茂雄2世」との呼び声高い1年生スラッガー・原辰徳を中心とした猛打のチームで、2回戦ではプロ注目の好投手・工藤一彦(阪神)を擁する土浦日大(茨城)を延長戦の末に撃破。3回戦も盈進(広島)を13―4と寄せ付けず、順当にこの準々決勝まで勝ち上がってきた。

 一方のボクは、ムシムシとした甲子園特有の暑さにやられ体力の限界が近づいてきていて、食事も満足に取れない状態。すっかり弱気になってしまい「今日で終わりか…。10点ぐらい取られるんだろうな」と大敗を覚悟して甲子園球場へと向かった。

 だが、この日は雨がぱらつき、ボクたちの試合は第4試合。炎天下での試合を避けられたのは、せめてもの救いだったのかもしれない。やがて雨は上がり、グラウンドに土を入れて両校の先発オーダーがアナウンスされた。

【先攻・鹿児島実業】
 1番ファースト松元
 2番ライト溝田
 3番レフト井上
 4番センター森元
 5番キャッチャー尾堂
 6番ショート柳田
 7番サード中村光
 8番セカンド中村孝
 9番ピッチャー定岡
【後攻・東海大相模】
 1番ショート杉山
 2番セカンド原雅
 3番ファースト園田
 4番レフト佐藤功
 5番サード原辰
 6番ライト津末
 7番キャッチャー岩崎
 8番ピッチャー伊東
 9番センター鈴木

 プレーボールは午後3時59分。マウンドに立ってみると、あらためて東海大相模打線の迫力を実感させられた。

 何より構えが違うのだ。ボクたち鹿実はバットを短く持ち、小さく鋭いスイングを心がけるミート打法。だが、体格も大きい相模の各打者はバットを長く持ち、空に向かって突き出すかのような大きな構えからフルスイングを繰り返す…。みんなが4番打者のようだった。

「やっぱりダメなのか…」。自分の体調の悪さも合わせ、すっかり東海大相模打線の豪快なスイングに圧倒されてしまったボクは、初回にいきなり園田良彦、そして原辰徳にタイムリーを浴びて2点を失った。

「長嶋2世」と呼ばれた原には、1年生ながらスターの風格が漂っていた

 だが、これまでの2試合で1―0、1―0と2点しか取れなかった貧打の鹿実打線はいつもと違った。あの鹿児島県大会決勝で鹿児島商業の下手投げ投手・堂園喜義を攻略した時のように、東海大相模の下手投げ投手・伊東義喜に食らいついていった。

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さだおか・しょうじ 1956年11月29日生まれ。鹿児島県出身。鹿児島実業高3年時の74年、ドラフト会議で巨人の1位指名を受け入団。80年にプロ初勝利。その後ローテーションに定着し、江川卓、西本聖らと3本柱を形成するも、85年オフにトレードを拒否して引退を表明。スポーツキャスターに転向後はタレント、野球解説者として幅広く活躍している。184センチ、77キロ、右投げ右打ち。通算成績は215試合51勝42敗3セーブ、防御率3・83。2006年に鹿児島の社会人野球チーム、硬式野球倶楽部「薩摩」の監督に就任。

※この連載は2009年7月7日から10月2日まで全51回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全25回でお届けする予定です。

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