「エース鶴田がイボ痔」なんて書かれたらメンツ丸潰れだ【ターザン後藤連載#2】
「ジャンボスマイル」とよく言われていたけど、本当にジャンボ鶴田さんは笑顔の絶えない人だった。ある意味、一番プロレスに似合わない人だった。
鶴田さんの付け人をやらしてもらったが、実は最初は乗り気じゃなかった。アレは当時、鶴田さんの付け人だった三沢光晴と、馬場さんの付け人・越中詩郎さんがメキシコ修行に出かけた時だ。後釜を決めることになった。
そのとき、鶴田さんが越中さんの手伝いをしていた川田利明に「お前がオレの付け人を買って出ろ」と耳打ちするのを聞いてしまったんだ。それでも、尊敬する馬場さんのそばに四六時中いたら精神的に疲れるから、オレは鶴田さんにお願いした。
そして付け人になったら、それまで思い描いていたことは偏見だと分かった。鶴田さんを「ケチだ」という人もいたが違う。オフは家に呼んでくれて、奥さんのごちそう。帰りは道場まで送ってくれた。ポンと2万円の小遣いもくれた。
普段の行動は天然で面白い。鶴田さんはパンツを2枚しか持っていなかったから、パンツ洗いは重要な役目なんだけど、見事になくしてしまった。すると「これからはパンツは自分で洗う」と宣言して自分で洗濯するようになったんだ。変わっているだろ。
なぜか鶴田さんとの思い出は汚い話が多いけど、まあ仕方ない。もう時効だな。
肝心のプロレスはやっぱり天才
鶴田さんは新婚のころ、イボ痔になったんだ。病院で切り取って、その足で会場入り。オレは試合前に患部の消毒を頼まれた。すると、ある東スポ記者が特ダネをつかもうと探り始めちまった。
こっちは必死に隠した。「エース鶴田がイボ痔」なんて書かれたらメンツ丸潰れだ。控室から立ち入り禁止の風呂場に場所を移したのに、まだ付いてくる。関係者に追い払ってもらって助かったが、衝撃はここからだ。
四つんばいでケツを突き出された。女ならまだしも、これは見たくないぞ。でも言われたからには、立場上やらなきゃならない。覚悟を決めて綿棒を近づけると、今度は肛門にトイレットペーパーがくっついていた。
「鶴田さん、紙が残ってますよ…」と恐る恐る事実を伝えると、何の恥じらいもなく「オウ、じゃあ、ついでに取ってくれ」。普通なら鏡を見ながらコソコソ処理するものだろ。鶴田さんはアッケラカンと陽気なまま。何をやっても、楽しそうにできるなんてうらやましい。
まあ、その自由奔放さのおかげで、それからしばらく地獄のような日々が続いたのは、言うまでもないんだけど。
歌も作詞作曲しちゃって、サーキット中に「後藤ちゃん、聞かせるよ~」なんてよく歌ってもらった。決してうまくなかったけど、輝いて見えたよな。
肝心のプロレスは、近くにいたのに残念ながらマネできるものではなかった。やっぱり天才。唯一、自分のモノにできたのは、自分よりもゴッツイ相手にも真っ向から立ち向かう時に、自分がリングの真ん中に立って相手を動かすこと。
そうすることによって自分を強く、大きく、格上に見せられる。鶴田さんは誰に教わるワケでもなく、自然に身につけていた。スゴイ。
オレもそこは使わせてもらっている。オレが動かないのは、決して動けないからじゃない。ちゃんとした理由があるんだよ。分かってくれただろ。